日本人が抱いている危機管理はどのような場面でも極めて低い。それは政治や社会に留まらない。家庭でも同じである。自分の財産管理に於いても危機管理が低い。今回起きたAIJ投資顧問に対する投資などは、投資のイロハを全く忘れてしまったのか、それとも投資のイロハを全く知らなかったのか、と言うことに尽きる。
国を守ると言うことがどれだけ大変なのか。それが例え民主党に政権が変わったとしても同じである。自分の国も守れないようでは、政権を担う政党ではない。国民が選んでしまったのだから責任を持って国を守らなければならないのだ。選ばれた政治家が素人だからと言って、国を守ることを放棄したら、それは売国奴に近い。
危機管理ということを常に念頭にして行動する。家庭でも個人でも、組織でも全く同じである。組織に於いては、責任者が連帯責任を負う。家庭内の事でも家族全員の責任なのである。
今、日本の周辺諸国が日本の放れ小島を奪い取ろうとうかがっている。隙があれば、一般住民を上陸させて、事実を作り、その後軍隊が上陸するのである。日本周辺には小島が沢山ある。それを守るのは大変かもしれないが、国土の一部である。守れなければ国土を失うのである。国民が危機意識を常に抱いていないと、尖閣列島などはどこかの国に奪い取られてしまう。
個人の財産を、いつも狙っているものがある。犯罪者にとっては高齢者は良いカモである。タンス預金だけではなく、金融機関にお金を溜め込んでいる。それを奪い取るのは簡単である。犯罪者にとって一番罪が軽くてお金になる仕事は振り込め詐欺や非公開株の詐欺である。詐欺に引っかかる人間にはいくつかの共通点がある。一つは、うまい話だ、儲かる、と言うこと。一つは自分の親族を犯罪者にしたくない、と言うこと。しかし、この二つの事で、犯罪者は高齢者のお金を奪ってしまう。
危機管理というのは、何も難しいことではない。国の危機管理は一筋縄ではいかないが、個人の危機管理はいくらでも対策が取れる。世の中、うまい話など絶対にない。それほど簡単に設け話があるのなら、勧誘した人が自分で遣っているはずだ。振り込め詐欺は、何時まで経ってもなくならない。その方法は進化している。これに引っかからないようにいつも目を光らせていればいいのだが、高齢者にはそれができないのである。お金を持っている弱さでもある。
今回の、AIJ投資顧問の件は、運用の素人がうまい話に乗ってしまった、と言うことに尽きる。こんな人を責任者に据えたのが、そもそも間違いなのである。危機管理が全く失われてしまった好い例である。他人事ではなく、いつもこのような話があるのには注意することが肝心である。
国を守ると言うことがどれだけ大変なのか。それが例え民主党に政権が変わったとしても同じである。自分の国も守れないようでは、政権を担う政党ではない。国民が選んでしまったのだから責任を持って国を守らなければならないのだ。選ばれた政治家が素人だからと言って、国を守ることを放棄したら、それは売国奴に近い。
危機管理ということを常に念頭にして行動する。家庭でも個人でも、組織でも全く同じである。組織に於いては、責任者が連帯責任を負う。家庭内の事でも家族全員の責任なのである。
今、日本の周辺諸国が日本の放れ小島を奪い取ろうとうかがっている。隙があれば、一般住民を上陸させて、事実を作り、その後軍隊が上陸するのである。日本周辺には小島が沢山ある。それを守るのは大変かもしれないが、国土の一部である。守れなければ国土を失うのである。国民が危機意識を常に抱いていないと、尖閣列島などはどこかの国に奪い取られてしまう。
個人の財産を、いつも狙っているものがある。犯罪者にとっては高齢者は良いカモである。タンス預金だけではなく、金融機関にお金を溜め込んでいる。それを奪い取るのは簡単である。犯罪者にとって一番罪が軽くてお金になる仕事は振り込め詐欺や非公開株の詐欺である。詐欺に引っかかる人間にはいくつかの共通点がある。一つは、うまい話だ、儲かる、と言うこと。一つは自分の親族を犯罪者にしたくない、と言うこと。しかし、この二つの事で、犯罪者は高齢者のお金を奪ってしまう。
危機管理というのは、何も難しいことではない。国の危機管理は一筋縄ではいかないが、個人の危機管理はいくらでも対策が取れる。世の中、うまい話など絶対にない。それほど簡単に設け話があるのなら、勧誘した人が自分で遣っているはずだ。振り込め詐欺は、何時まで経ってもなくならない。その方法は進化している。これに引っかからないようにいつも目を光らせていればいいのだが、高齢者にはそれができないのである。お金を持っている弱さでもある。
今回の、AIJ投資顧問の件は、運用の素人がうまい話に乗ってしまった、と言うことに尽きる。こんな人を責任者に据えたのが、そもそも間違いなのである。危機管理が全く失われてしまった好い例である。他人事ではなく、いつもこのような話があるのには注意することが肝心である。