先日、行きつけのソウル・バーに行ったとき、清高荘時代に作ったソウル系、ディスコ系の曲を集めたカセットテープを持参しました。タイトルは「FUNKY HOYA NAMAKO!」つまりファンキーな「ほや」(海鞘)と「なまこ」(海鼠)(なんのこっちゃ!)。
マスターは、テープに収められた曲を丹念に探してくれ、何曲かをかけてくれました。ジャック・ダニエルズのオン・ザ・ロックを飲みながら、ああいう店の雰囲気の中で聴くと聴き慣れたはずのメロディがまた新鮮に聞こえてくるのが不思議です。チャカ・カーンの“What Cha Gonna Do For Me”、ブラックバードの“Don't Know What To Say”、シックの“Good Times”、バーノン・バーチの“Steppin' Out”、ウィスパーズの“It's A Love Thing”、マイケル・ジャクソンの“Off The Wall”…。懐かしいサウンドの数々は、時を越えてあのディスコ通いの日々に思いを運んでくれました。
清高荘住民+αの音楽好き志向は、当然のように当時おおはやりだったディスコにも向けられました。一時はほぼ毎週のようにディスコに繰り出していました。田舎者の引け目からかディスコのメッカ(?)六本木や青山にはなかなか足が向けられなかった僕たちがよく行ったのは、新宿、渋谷、吉祥寺のディスコが中心でした。ブラックシープ、スターウッズといった店の名前をかろうじて思い出しましたが、あとは忘れてしまいました。
僕たちはどちらかというとブラック、ソウル系が好みでしたが、当時はテクノが流行っていて、店によっては、曜日によって「テクノ系の日」がありました。間違ってそんな日に足を踏み入れようものなら、高校生たちがおそろいの衣装で同じステップ、同じフリで一心不乱に踊っている姿を茫然とながめていたものです。曲はイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の「ライディーン」とか「テクノポリス」! とはいっても、やっぱりディスコ音楽の王道はブラック系でしょう。気に入った曲があれば、店員に曲名を聞き出して次の日にレコード屋に探しに行ったりもしました。
サイトウ君の持論は、「ディスコは腰の振りが基本である」。ステップや手の振りは二の次だと言うのです。「そうかなあ~」と思いながらも、サイトウ君が実技指導をしてくれるというので、「練習」することになりました。雨戸を閉め切ってミラーボールまがいの電球を点滅させ、大音量で音楽をかけてみんなで「腰振り」のレッスン。もちろん、近所から苦情が来て、隣に住む大家さんが血相変えてやってきたのは言うまでもありません。こってり油をしぼられました。
そんなことにもめげず、5~6人連れだってのディスコ通いは続きました。踊りのじょうずな人もそうでない人も、みんな踊っているときは幸せそうな顔をしていました。恍惚感にひたり、まるでどこか別の世界に飛んでいるような人もいました。踊り終わって店を出ても耳の奥でまだ音楽が鳴り響き、高揚した感覚が持続します。その勢いがあったからこそ、渋谷から下北沢まで歩いて帰ったりもできたのでしょうね。
ところで、ディスコといえば、「チークタイム」。僕たちは、チークの時間になると、やれやれという表情を浮かべて席に戻り、せっかく盛り上がってるのになんでチークなんだよ!なんてことを言い合っていたのですが、それは単に踊る相手がいないことからくるやっかみでしかなかったでしょう。実際、たまたま踊ってくれる女の子がいたりなんかすると、みんなうれしそうにいそいそとフロアに出かけていってましたから。
マスターは、テープに収められた曲を丹念に探してくれ、何曲かをかけてくれました。ジャック・ダニエルズのオン・ザ・ロックを飲みながら、ああいう店の雰囲気の中で聴くと聴き慣れたはずのメロディがまた新鮮に聞こえてくるのが不思議です。チャカ・カーンの“What Cha Gonna Do For Me”、ブラックバードの“Don't Know What To Say”、シックの“Good Times”、バーノン・バーチの“Steppin' Out”、ウィスパーズの“It's A Love Thing”、マイケル・ジャクソンの“Off The Wall”…。懐かしいサウンドの数々は、時を越えてあのディスコ通いの日々に思いを運んでくれました。
清高荘住民+αの音楽好き志向は、当然のように当時おおはやりだったディスコにも向けられました。一時はほぼ毎週のようにディスコに繰り出していました。田舎者の引け目からかディスコのメッカ(?)六本木や青山にはなかなか足が向けられなかった僕たちがよく行ったのは、新宿、渋谷、吉祥寺のディスコが中心でした。ブラックシープ、スターウッズといった店の名前をかろうじて思い出しましたが、あとは忘れてしまいました。
僕たちはどちらかというとブラック、ソウル系が好みでしたが、当時はテクノが流行っていて、店によっては、曜日によって「テクノ系の日」がありました。間違ってそんな日に足を踏み入れようものなら、高校生たちがおそろいの衣装で同じステップ、同じフリで一心不乱に踊っている姿を茫然とながめていたものです。曲はイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の「ライディーン」とか「テクノポリス」! とはいっても、やっぱりディスコ音楽の王道はブラック系でしょう。気に入った曲があれば、店員に曲名を聞き出して次の日にレコード屋に探しに行ったりもしました。
サイトウ君の持論は、「ディスコは腰の振りが基本である」。ステップや手の振りは二の次だと言うのです。「そうかなあ~」と思いながらも、サイトウ君が実技指導をしてくれるというので、「練習」することになりました。雨戸を閉め切ってミラーボールまがいの電球を点滅させ、大音量で音楽をかけてみんなで「腰振り」のレッスン。もちろん、近所から苦情が来て、隣に住む大家さんが血相変えてやってきたのは言うまでもありません。こってり油をしぼられました。
そんなことにもめげず、5~6人連れだってのディスコ通いは続きました。踊りのじょうずな人もそうでない人も、みんな踊っているときは幸せそうな顔をしていました。恍惚感にひたり、まるでどこか別の世界に飛んでいるような人もいました。踊り終わって店を出ても耳の奥でまだ音楽が鳴り響き、高揚した感覚が持続します。その勢いがあったからこそ、渋谷から下北沢まで歩いて帰ったりもできたのでしょうね。
ところで、ディスコといえば、「チークタイム」。僕たちは、チークの時間になると、やれやれという表情を浮かべて席に戻り、せっかく盛り上がってるのになんでチークなんだよ!なんてことを言い合っていたのですが、それは単に踊る相手がいないことからくるやっかみでしかなかったでしょう。実際、たまたま踊ってくれる女の子がいたりなんかすると、みんなうれしそうにいそいそとフロアに出かけていってましたから。
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