「ゆとり教育」の旗振り役として知られる文部科学省のT氏が辞職するというニュースが飛び込んできました。時代の流れをつくづく感じます。
「ゆとり教育」とは、1990年代後半に、T氏が旧文部省内の反対を押し切って打ち出した「教育改革」。「詰め込み教育」への反省から、子どもたちにもっとゆとりをもって学校生活を送ってもらおうというわけで、学校週5日制や「総合的な学習の時間」の導入など、学校制度の大きな転換を図ろうとするものでした。彼は「朝ナマ」などマスコミにも積極的に登場して、ゆとり教育のスポークスマンとして活躍しました。歯に衣着せぬ型破りな発言は、「文部官僚らしくない官僚」としてもてはやされたものです。
私は、彼の考え方に全面的に反対というわけではないし、ゆとり教育の効果も評価しているつもりです。特に「総合的な学習の時間」の導入は、学校にとって画期的なことだったと考えています。最近叫ばれ出してきている「キャリア教育」つまり子どもたちに勤労観や職業観を身に付けさせようとする動きも、元をたどれば、彼の唱えたゆとり教育に行き着きます。
また、T氏は「何も学校だけが教育の場ではない」として、学校以外における教育の場の充実も唱えていました。彼は「生涯学習」という言葉もよく使っていましたが、それは「学校以外の学習」という文脈で使われることが多かったような気がします。彼が「社会教育」に寄せる期待も大きかったような気がします。社会教育がそれに答えられていたかどうかはわかりませんが。
ところが、かつて東京の勤務先で彼を講師に招いたとき、ある「事件」に遭遇したことで、私は彼の「本質」を見たような気がしました。悪口になるので詳しくは書きませんが、そのあまりにも尊大な態度に、なんだか言っていることと全然違うじゃん!と失望させられた想いがしたものです。結局、権力を身にまとった「エラい官僚」の姿でしかありませんでした。ま、相手によっていろんな顔を見せる人なんだな、とも思いましたが(あれ? じゅうぶん悪口になってるか!)。ともかく、あの「事件」以来、彼の言動は一切信用しないようにしています。
多彩な彼のことですから、官僚の立場を離れてもご活躍いただけることでしょう。
いや、そんなことはどうでもいいとして、(旧)「ゆとり教育」の流れは、今後どういう方向に流れていくのでしょうか? ひらがなを書けない高校生、分数がわからない大学生、といったエキセントリックな例を持ち出すまでもなく、国際的な調査でも日本の子どもたちの学力が低下していることが「憂慮」されています。「総合的な学習の時間」なんて時間の無駄だ、なくしてしまえという学校現場の声も聞こえてきます。
折しも今日から始まった安倍内閣の「教育再生会議」。そこで新しい方向性が見い出せるのでしょうか?
「ゆとり教育」とは、1990年代後半に、T氏が旧文部省内の反対を押し切って打ち出した「教育改革」。「詰め込み教育」への反省から、子どもたちにもっとゆとりをもって学校生活を送ってもらおうというわけで、学校週5日制や「総合的な学習の時間」の導入など、学校制度の大きな転換を図ろうとするものでした。彼は「朝ナマ」などマスコミにも積極的に登場して、ゆとり教育のスポークスマンとして活躍しました。歯に衣着せぬ型破りな発言は、「文部官僚らしくない官僚」としてもてはやされたものです。
私は、彼の考え方に全面的に反対というわけではないし、ゆとり教育の効果も評価しているつもりです。特に「総合的な学習の時間」の導入は、学校にとって画期的なことだったと考えています。最近叫ばれ出してきている「キャリア教育」つまり子どもたちに勤労観や職業観を身に付けさせようとする動きも、元をたどれば、彼の唱えたゆとり教育に行き着きます。
また、T氏は「何も学校だけが教育の場ではない」として、学校以外における教育の場の充実も唱えていました。彼は「生涯学習」という言葉もよく使っていましたが、それは「学校以外の学習」という文脈で使われることが多かったような気がします。彼が「社会教育」に寄せる期待も大きかったような気がします。社会教育がそれに答えられていたかどうかはわかりませんが。
ところが、かつて東京の勤務先で彼を講師に招いたとき、ある「事件」に遭遇したことで、私は彼の「本質」を見たような気がしました。悪口になるので詳しくは書きませんが、そのあまりにも尊大な態度に、なんだか言っていることと全然違うじゃん!と失望させられた想いがしたものです。結局、権力を身にまとった「エラい官僚」の姿でしかありませんでした。ま、相手によっていろんな顔を見せる人なんだな、とも思いましたが(あれ? じゅうぶん悪口になってるか!)。ともかく、あの「事件」以来、彼の言動は一切信用しないようにしています。
多彩な彼のことですから、官僚の立場を離れてもご活躍いただけることでしょう。
いや、そんなことはどうでもいいとして、(旧)「ゆとり教育」の流れは、今後どういう方向に流れていくのでしょうか? ひらがなを書けない高校生、分数がわからない大学生、といったエキセントリックな例を持ち出すまでもなく、国際的な調査でも日本の子どもたちの学力が低下していることが「憂慮」されています。「総合的な学習の時間」なんて時間の無駄だ、なくしてしまえという学校現場の声も聞こえてきます。
折しも今日から始まった安倍内閣の「教育再生会議」。そこで新しい方向性が見い出せるのでしょうか?
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