
YouTubeにアップして、
みんな誰でも「14歳」だった。
ってコメント付けておいたら、思いがけないことに、14歳前後の子たちからこんなコメントが寄せられてました。うれしい。
私は今年の10月で14歳です。 この歌聴いて一分一秒大切にしようって思えます!!b頑張るぞ^^
ついこの間まで14歳でした。
私も14歳だった。に仲間入りします。
いいなあ、14歳!
♪灰の歌 才能不在 哀悼弔い
って、なんだか、文字通り弔いの言葉みたいな言葉で始まるこの歌は、しかし、「14歳」というタイトルにふさわしくないような、やるせないよな世界が綴られていきます。
「夢を見て 上京した少年の長い髪」が「都会のビル風に揺れている」のを、カラスの目玉で見ている「笑い飛ばせない 日々の憂鬱」を抱えた彼女。
「毎日同じ繰り返しだけど もう子供じゃないんだから」とか、「去った物は追いかけず 過ぎたことは振り返らず」なんて、冷めたような見方も今ではできる彼女。
「明日もいいことが 起こると信じて疑わない」ベランダの親子を見て、「遠くに雨雲 明日はきっと雨だから」と愚痴ってみる僕。
「青春の残り火みたいな夜露をすすって」ただなんとなく流されている僕。
で、僕等は「14歳」を振り返る。
「人に嫌われたくなかった」ので、必死になって「普通」に振る舞おうとしていた。だけど、自分には「明日を変えられる力」があるとひそかに思っていた。「現実」は「現実」で、でも、いつかは明日を変えていけると信じていた。「理想」はずっと遠くにあるものではなかった。
きっと、「僕」は今でもそう信じているのでしょう。でも、大人になった今は「現実」というどうしようもない壁が目の前にあって、「明日を変えられる」のは、自分ではない別の誰かだと思ってしまっている。そうであってはいけないと思いながら。「14歳」の時のように、理想を明日に向かって掲げ続けていたいのに。
哲学者の故・池田晶子が14歳に向けて書いた『14歳の哲学─考えるための教科書』 にこんな言葉がありました。
悩むっていうのは、どうすればいいのか分からないってことです、と君は言うね。そうだろう、君はわからないから悩んでいるんだ。でも、どうなんだろう、もし本当にそれがわからないことなのだったら、君は、悩むのではなくて、考えるべきじゃないんだろうか。あれこれ思い悩むのではなくて、しっかりと考えるべきなんじゃないだろうか。
考えるというのは、それがどういうことなのかを考えるということであって、それをどうすればいいのかを悩むってことじゃない。それがどういうことなのか考えてわかっていなけりゃ、それをどうすればいいのかわからなくて悩むのは当然じゃないか。
このメッセージ、好きだなあ~!
しっかりと考える。14歳で「しっかり考える」なんて、きっとムズカシイことだと思う。だけど、そういうトレーニングを積んで、少しずつ大人になっていくんだ。ムズカシイからといって、考えることを放棄しちゃいけない。
今の子どもたちって、二言目には「意味わかんない」というけれど、意味が分からないからこそ、考えなくちゃね。で、そのお手伝いをするのが大人の役目。子どもたちが子どもたちなりに考えようとする時に、自分が「14歳」だった時のことを思い浮かべながら、さりげなく手伝ってあげたい。
みんな誰でも「14歳」だった。しかも、みんな今でも「14歳」のまま、なのかもしれません。
今でも自分の一部にそれは存在するけども、「経験」という果肉がその周りについてくれたおかげで、私なりに悩みや現実に対処してこれたかな・・・(未熟ながらも)
私の場合あとは、一歩踏み出す勇気。でしょうかね。。。
誰かが背中を押してくれたら、一歩踏み出せるはずですよ!押してくれるように仕向けてみましょう。
最近、・・・死にたいと思ってました。でも、この曲聴いてこれ読んだら、死にたくてもしねませんよ。
私を救ってくれた。 ありがとう^^
こちらこそありがとう。
救ってくれたこの唄に感謝ですね!
唄の力ってすごいですね。
今日は3月11日。
死にたくないのに死ななければならなかった人がたくさんいます。
「一分一秒を大切にしよう」って、私も肝に銘じます。力強い言葉をありがとう。
このブログで知って以来すっかりファンになってしまったamazarashi。念願のライブに昨日行ってきました。
CDでその才能のすごさを知ってはいたものの、想像以上の素晴らしさでした。
会場は定員700人で、来ていたのは男女半々。高校生以上で20代が8割でしょうか。そんな中で40代の私は引率の父母か先生のような感じでしたが、3曲目の「つじつま合わせに生まれた僕ら」で涙がこぼれてからは、顔の汗や涙もお構いなし、という感じで彼らの演奏と映像と向き合っていました。
twitter上でも絶賛の声が上がっていましたが、「現代の詩人」と言われる秋田ひろむですが、まさに映像の詩人と言われるアンドレイ・タルコフスキー同様に、時代の潜在思念を最適な言葉として表出できる奇跡に近い存在だと感じています。
青森県のむつ市出身ということで、イタコの再来をほうふつとさせる彼らですが、一言で言うとその存在と同時代に存在できたことに感謝。そして、その存在を教えてくれたやっぴさんに感謝の気持ちでいっぱいです。
時間が合えば、ぜひライブツアー2012に行ってみてください。お金と時間を割いても遠方まで出かけても、お釣りが有り余るライブになるになると思います。確実に彼らは今が旬ですから。
うらやましいです!ナマでamazarashiを聴けるなんて。
私も行ってみたいです。
青森凱旋を期待しているのですが…。今が旬の彼らには無理でしょうね…。
ブログが再開してほっとしています。
amazarashiのハレルヤ、やっぴさんがネットにあげてくれましたか?いいかんじでみなさん聴いているようです。
いい歌ですね。