数年前にベストセラーになった『「捨てる!」技術』という本がありました。その著者でフリーのマーケティングプランナー、辰巳渚さんは、今、「家事」に着目し、「家事塾」を主宰しています。
家事、つまり「家のコト」。辰巳さんは、「家のコトは生きるコト」だという。つまり、家のコトは、すべてが生き延びることにつながっているのだという。ごはんをつくって食べる、床を磨く、衣服を洗う、布団を敷いて寝る、風呂を沸かしてはいる…。確かに、みんな、「生きる」ために必要なことですね。
あるいは、「暮らしの環」という言葉も辰巳さんはよく使う。家の中で、モノは必要な時に取り出され(「使う」)、使い終われば元の場所に戻される(「片付ける」)という循環を繰り返している。ただ、モノはもともと家にあったわけではなくて、外からやってきて(「買う」)、いずれは外に出ていく(「捨てる」/「売る」)。この環、「買う」→「使う」→「片付ける」→「捨てる」/「売る」をスムーズに回すことが、「自分はうまくやっている」という自己肯定感にもつながっていくという。
もちろん、仕事でも同じことが言えますね。うまく「回す」というのは、とても大切なことです。
さて、人は家事をする時、単に「生きる」ためではなくて、「よりよく生きる」ために、工夫してみたりもします。よりおいしい料理をつくったり、着るときに気持ち良く着られるような洗濯の仕方をしたり、風呂に好きな入浴剤を入れたりといった、何気ないこだわり。それも、「自分はこれが好き」とか「これが自分なんだ」ってことを確認するためなのかもしれませんね。
「家事塾」では、家事が持つ意味とか価値を確認するための様々な講座を開催していますが、その中に、子ども向けの「お手伝い塾」というのがあります。まあ、家庭教育がしっかりしていればこんな塾なんか必要ないといってしまえばそれまでですが、いつからか、親のやり方が子どもにうまく受け継がれない状況になってしまっているので、第三者が子どもたちに家事のやり方を教えるということも必要なのかな。でもなー、そういう塾に頼ってしまう親こそ何とかしなくちゃいけないんじゃないの~?と思ったりもするわけで。
ま、「お手伝い塾」の必要性は置いておくとして、辰巳さんが、そういう塾を開催するのは、「子どもの自立」を促すためだと言っている点には同意します。
大人の最大の責務は、子どもたちを自立させることです。「親」が「自分の子ども」を自立させるために育てるのは当たり前のことですが、親だけでなく、すべての「大人」が、「子どもたち」を自立させるよう仕向けなければならない。でも、今の世の中、親でさえ、子どもを一人前の大人に育て上げることができずにいたりする。お手伝いの大切ささえ教えることができない親。掃除をすると心もきれいになるってことを体で感じさせようともしない親。
家庭で「家のコト」をきちんと伝えられないまま、学校の先生や地域の大人がいくらキャリア教育だと叫んでみたところで、一人前の大人になるための資質が身に付くとは到底思えません。やっぱり、キャリア教育は、家庭から、親から始まるのです。
「家のコトは生きるコト」。そこからきちんと考えていかなきゃね。
毎日の生活を一つの作品と思えたらいいって。
家事もそう思ったら楽しくできるようになりました。
アーティスティックに洗濯物干してみたり。
絵画のようにおかずを盛り付けてみたり。
毎日創作活動。
でも毎日創作活動してたらスランプに陥るかな。
確かに楽しそうだけれど、アーティスティックじゃない人にとってはちょっと疲れそうでもあるな。
相変わらず博識だね。感心します(-^〇^-)