
「いじめについて、わかっていること、できること。」(国立教育政策研究所編、平成25年)を一読。平成25年3月に行われた公開シンポジウムの様子を収めた本です。
基調講演の内容をかいつまんで紹介すると、
・いじめ問題の歴史:1970年代後半からこれまで4回の「社会問題化」があった。
・いじめ問題に対するマスコミ報道の特徴:学校や教員の対応に問題があった時に大々的に取り上げ、いつの間にか問題をいじめとすり替えることも多い。
・いじめと暴力は全く別物:暴力は法律で禁止されている、行為自体が悪いことであるのに対し、いじめは行為自体はいくらでも言い逃れができる。
・いじめに関しては、加害も被害もどの子でも起こりうるという前提で考えるべき。「いじめっ子」、「いじめられっ子」という固定的なとらえ方自体がおかしい。
・なぜいじめるのか?(いじめの原因と背景)
①人間が持つ本能(自分の力を誇示したい、自分の言動で相手が右往左往するのが楽しい)
②ストレスの単純な発散(他者を猛撃して自分のストレス発散)
③ストレスで傷ついた自我の回復(他者からの評価が低くて傷ついた自我を手っ取り早く回復させるために誰かをおとしめようとする)
きちんとデータを示しての話なので、説得力あります。
後半のテーブルセッションでは、いじめが激減したというある中学校の取組に引きつけられました。それは、「いじめを減らすことを目的に取り組んでいたわけではない」のですが、結果的にいじめが激減したそうなのです。植物にたとえて言えば、成長が芳しくなく虫もつくような状態の時に、薬をかけようとか日陰に移そうではなくて、まずは「土を耕す」ことから始めたということ。つまり、子どもたちが、自分が人の役に立つ存在、社会の役に立つ存在なのだという気持ちを耕そうという取組です。いわゆる「自己有用感」ですね。
そのために、中学校だけでなく、学区にある小学校にも働きかけて、たとえば、登下校時に6年生が1年生の「お世話」をする活動をしてもらった。下級生から「ありがとう」と言ってもらえる。先生や地域のお母さんたちがほめる。「すごいね、6年生は」。それを繰り返すことによって、「誰かの役に立つ喜び」を知っていく。そういう子どもたちが中学校に来ることで、中学校も変わっていったのだそうです。小中連携って言うけど、こういうことがきっと大切なんですよね。
もう1点は、授業改善に徹底的に取り組んだそうです。授業中、放っておかれる生徒が出ないように、丁寧に指導することに取り組んだ。授業における「居場所」をすべての生徒に保証したわけですね。その結果、学力も上がったし生徒も自信を持つようになった。すると、いじめなんてくだらないよね、ストレスがたまったくらいで友だちにあたったりしないよ、となる。
実は、こういう「当たり前のこと」がいじめの未然防止につながっていくということがよく分かりました。成果はすぐには目に見えて出ないことかもしれませんが、「当たり前のこと」を今一度見直して、地道に取り組んでいくことが、最終的には最も効果を上げるのかもしれません。
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