私が知る限りでは、中国の人は、誰もがニコニコして握手を求めてくるし、親切の対価を決して求めない、極めて「友好的」な国民だという印象がある。
しかし、昨日のアジアカップ決勝で中国や中国人に対するイメージが悪くなった人がずいぶんいるのではないかと思う。確かに、テレビで見る限り、あのサポーターたちは異常だ。試合中に物を投げたり、状況をまったく考えないブーイング、相手チーム(というよりここでは日本という国か)に対する品性を欠いたヤジやメッセージ。サポーターという前に、スポーツ観戦者として失格といわれても仕方ないだろう。試合後の負けた腹いせに至っては言語道断である。
報道では一様に、このような暴走の背景にあるのは、小泉首相の靖国参拝や尖閣諸島の帰属問題に対する中国人の反感、さらには社会や政治に対する民衆の不満があると伝えている。後者については、国内の問題に対する不満のはけ口をスポーツの国際試合に求めるなんて、どう考えても異常としか言いようがない。こんな国民性では、2008年の北京五輪は大丈夫なのかと思われて当然である。前者のいわゆる「日中間の不幸な出来事」については、日本がこれまで一度も正式に謝罪をしてこなかったという歴史がまたもや取り沙汰されている。これは何年たっても風化することはないのではないかと思う。今更ではあるが、日本は、きちんと言うべき時に
言葉にしたり行動で示したりするべきだったのだ。それをしないままうやむやにしてきたために、こんな時にも「口実」にされてしまう。
もちろん、今回のような状況を引き起こしたのは、ほんの一部のアジテーターで、大多数のサポーターはそれに便乗しているだけという意見もある。目をむいて日本を非難するサポーターや一般市民はほんの一部にすぎないというわけである。しかし、去年起こった西安の大学生の「出しもの」事件を見ても、本当に「一部の市民」だけの反日感情だろうかという疑問は拭い去れない。仮に「一部の市民説」をとるとしても、見方によっては、その方がもっとこわいかもしれない。一部の熱狂派に踊らされてみんなが同じ方向を向くというのはファシズムそのものだからである。
かつて日本やドイツがそうだったように、一部の異常な集団によって「不幸」な道を突き進むことだけは避けなければいけないと思う。日本も、そして中国も。
しかし、昨日のアジアカップ決勝で中国や中国人に対するイメージが悪くなった人がずいぶんいるのではないかと思う。確かに、テレビで見る限り、あのサポーターたちは異常だ。試合中に物を投げたり、状況をまったく考えないブーイング、相手チーム(というよりここでは日本という国か)に対する品性を欠いたヤジやメッセージ。サポーターという前に、スポーツ観戦者として失格といわれても仕方ないだろう。試合後の負けた腹いせに至っては言語道断である。
報道では一様に、このような暴走の背景にあるのは、小泉首相の靖国参拝や尖閣諸島の帰属問題に対する中国人の反感、さらには社会や政治に対する民衆の不満があると伝えている。後者については、国内の問題に対する不満のはけ口をスポーツの国際試合に求めるなんて、どう考えても異常としか言いようがない。こんな国民性では、2008年の北京五輪は大丈夫なのかと思われて当然である。前者のいわゆる「日中間の不幸な出来事」については、日本がこれまで一度も正式に謝罪をしてこなかったという歴史がまたもや取り沙汰されている。これは何年たっても風化することはないのではないかと思う。今更ではあるが、日本は、きちんと言うべき時に
言葉にしたり行動で示したりするべきだったのだ。それをしないままうやむやにしてきたために、こんな時にも「口実」にされてしまう。
もちろん、今回のような状況を引き起こしたのは、ほんの一部のアジテーターで、大多数のサポーターはそれに便乗しているだけという意見もある。目をむいて日本を非難するサポーターや一般市民はほんの一部にすぎないというわけである。しかし、去年起こった西安の大学生の「出しもの」事件を見ても、本当に「一部の市民」だけの反日感情だろうかという疑問は拭い去れない。仮に「一部の市民説」をとるとしても、見方によっては、その方がもっとこわいかもしれない。一部の熱狂派に踊らされてみんなが同じ方向を向くというのはファシズムそのものだからである。
かつて日本やドイツがそうだったように、一部の異常な集団によって「不幸」な道を突き進むことだけは避けなければいけないと思う。日本も、そして中国も。
多分、そういう事実があることを一般の人はしらないと思います。日本に対する意識なんて『経済力がある。電池が安い』ぐらいの知識しか持ちあわしていないのが中国人。悪いところを僕に言わなかったのかもしれないけれど、それでも日本人はみんなお金持ちだと本気で思っているし、日本に行けば金持ちになれると疑わない。
確かにそれは一面かもしれない。
それでも僕は現地の新聞で日本のことを書いてあることを見たことは悪口以外に見たことがない。
どんなに日本人がいいことをしてもそれを伝える人が中国にはいないのが現状。悪い日本のほうがおもしろいし、対抗意識を燃やせやすいのだとおもいますけどね。
なるほど、中国人一般の認識はそうなのかもしれませんね。
特に若い世代はそんな過去のことどうでもいいのかもしれず、ただ単に日本という国がなんとなく嫌いなのかもしれません。
ただ、そんな感情の裏には、やっぱり過去のいきさつが影を落としているような、そんな気がしてなりません。
たとえば、日本はこんな悪口言われても仕方のないくらい悪いことをしてきたんだ…というような。
過去は過去と切ってすてることはできないと思いますが少なくとも今、日本人が中国人を嫌いになる理由だけは出揃っていると思います。
悪口を言うことと公共の場での行動は違うといいたいのです。私は中国に留学している身ですが、最近の中国人の行動をみて自分が中国で学んで良いものなのか考えます。報道が一部の人だけなのかもしれませんが、日本人はなめられているという感覚は今でもずっとあります。仮に過去の歴史を見て日本人が悪いとします、ですけども、そこで中国人は日本が悪いのだから金を出せ!高く買え!ちょっとぐらい罵声を言ってもそれは日本のせい。とした日本をなめているといった感じを深く受けるのです。日本人だから・・・
僕から言わせてもらえれば、だからなに?といった感じです。なぜなら戦争当時などの時にはもちろん僕は生まれてません。過去の責任を負えるような人間でもありません。だから今の人をしっかりみていくものではないのですか?
過去は切れません。だけど、過去を気にして今をみれないのはいかがなものでしょう?
過去は過去のことで、現代人には関係ないというのは違うんじゃないのかなと私は考えています。
現代を知るためには過去=歴史を知る必要があります。
それが未来を作り出すのだと思います。
決して過去にとらわれるという意味ではなく、また、
過去をいつまでも引きずるという意味でもなく、
歴史を正しく知ることが大切ではないかと思いますがいかがでしょうか。
特にそれが戦争という過去であれば尚更です。
実際に中国で暮らしているフォントさんならではの考えを聞けてとても考えさせられました。
ありがとうございました。
思います。でも過去について知る努力を怠っているのは
中国人も同じではないでしょうか?度合いは日本人のほうがひどいとは思います。捏造でもなんでも受け入れて自国の行為は中国側の意見と同調してるとこなんて世界に類をみないひどさだと思いますね。未来につながる歴史を両国とも国民にぜんぜん学ばせていません。片方は手綱を緩めるとすぐに崩れる人民の結束を固めるため相手を憎ませる教育、片方はただひたすら戦争アレルギー体質に凝り固まり戦争がなぜなくならないのか?などには一切触れずびくびくしながら自分の国を愛することを教えない教育、どちらも本当に戦争から何も学んでませんね。これでは必ずまた戦争がおきますよ。中国ではおおむね日本人は友好的に接してもらえることが多く、反日を感じないときのほうが多いとさえいえます。日本人は無条件で金持ちだと思われてますし、中国人はいまだに日本との生活・文化水準の格差への劣等感を感じてもいるようですから格上の扱いをされてこちらが調子に乗ってしまうこともままあります。
でもやはり日本人はなめられてると思います。多くの中国人は普段は生きるのに忙しく反日に時間を割くひまなどないですが、何か事件が起きれば日本人相手には何をやっても、きっと社会が許してくれると計算してます。これは根強い反日があるからとかどうかではなくて現時点の政府の政策を見たうえでの彼らの計算ではないでしょうか。
もし中国政府が明日から親日といえば明日から日本人への対応が変わる。そんな国と国民なのですから歴史がどうこういってばかりでは中国を見誤るような気がします。
ですから、これでは中国人とトラブルがあった際に日本人に対する公平な扱いが期待できるとは到底考えられません。これを改善してもらうには中国人や中国政府に文句をいっても仕方ないでしょう。日本政府のやり方次第で中国の日本人への待遇は劇的に変わると思います。
>今更ではあるが、日本は、きちんと言うべき時に
言葉にしたり行動で示したりするべきだったのだ。
映画批評のコーナーが面白く、よく訪問させていただいておりましたが、今回は少々絶句しました。
私も世界史教育に携わる一教師ですが、上記の部分を読むと、やっぴさんが戦後日中外交史について、(中国側プロパガンダではない情報を)一通り学習された方とは思えなくなり、あえて失礼を承知で苦言を申しあげます。
第二次世界大戦の戦後処理については、欧米諸国対殖民地各国を始めとして、各国間でどういった補償が行われたか、世界史教師としてご存知ないわけはありますまい。当時の国際的常識から鑑みて、日本が誠意のない戦後処理を行ったという判断は可能ですか?
日中間の戦後処理だけにあえて限っても結構。日中共同宣言を始めとした両国外交史を再確認していただくだけでも「日本が戦後の謝罪を一度もしていない」などといえますか?そもそも1990年代以降に激化した反日教育について、その詳細をご存知ですか?
果ては、日本、ドイツの戦前を「一部の異常な集団によって不幸な道を突き進んだ」とステレオタイプに評価を下されてしまっている。
戦前の日本、ドイツに関する情勢をある程度理解している方なら、こんな短絡的な評価はそもそもできないはず。思考停止・独善的判断にご自身で陥っていませんか?
歴史を知ることが大切、というのは仰るとおり。しかし、知った「つもり」で独善に陥るのが危険であることも、我々歴史教師は肝に銘じておくべきです。
古代史や中世史と違い、近現代史は教師の主観、評価の入る余地が多く、偏りを生じやすいものです。やっぴさんのステキなコンテンツに集まる人々(=私を含めた生徒?たち)のためにも、一層のご研鑽を期待しております。
コメントありがとうございました。
仰せのとおり、勉強し直したいと思います。
これからもよろしくお願いいたします。
日本人が大陸に侵攻して満州国を作った時、古くは秀吉が朝鮮に攻め入った時、日本人は現地の人をどのように扱うつもりだったのでしょう。勉強しておらず知りませんが、私の父は満州国で役人だったそうですが当時のことを、両親から詳しく聞いた事が有りません。引き上げた時の記憶も有りません。
このBLOGで福沢諭吉のことを知り今に思いをめぐらせたりしますが、外国のことを話す時、どうして1人の人格者として捕えるのでしょうか?
中国人、西洋人の知力は尊敬しますが、どこか信用できないものが有ります。肉食人種だから(ステレオタイプの思考?)でしょうか?つまり血を恐れない人たちという意味で。
きっと大戦前のことは朝鮮、韓国、中国、台湾では歴史がある間は消えないことでしょう。話し合いで同じ教科書を使うことはありえないと思います。
ただ記事が小さくおとなしく書かれるようになることを祈るばかりです。
70171
そういう見方は面白いですね。これまで漠然と地球儀などを見ていましたが、それぞれの国の立場になってみると面白い発見があるものですね。
戦争を知らない世代だから考えにくいっていうのはわかります。ただ、それはやっぱり日本人というとても恵まれた環境においてのみ可能な考えではないでしょうか?近年まで戦争や紛争、未だにそれが続く国などではやっぱり対象のの国をそれまでの歴史を含めた一つの人格として見てしまうと思います。かくいう自分も「やっぱり未だに戦争って影響しているのかな」って考える事がたまにあります。僕は在日朝鮮人なんですが、朝鮮半島に行ったこともなく、言葉も全くわかりません。学校も日本の学校に行っていたので、自分は”朝鮮人”という肩書きをもった、普通の日本人としか思えません。当然戦争も体験したことがないですし、両親や祖母たちの苦労も実感できません。実際に直接いじめなどはありませんでした。でも、女の子と付き合うとき、これまで何回か、相手の親に反対されるという事を体験しました。僕自身がほぼ日本人であるために、国際結婚っていう大層なものではないと思います。実際の話、朝鮮人ってことを言わなければ全くわかりようがないんです。ただ、正直に「朝鮮人です」言うと態度が変わってしまうみたいなんです。同年代には薄れてしまっている”敵国”とか”親兄弟が殺された”って感情が、親の代(現在では60前後のかた)には深く刻まれているようです。全員ではありません。一部です。でも確かにそれは残っています。みんな口に出さないだけなんです。
そういうこともあって、これまで避けてきた”帰化”を実行に移そうと思っています。これでいいんやろう?って言いたいです。これで”元朝鮮人”ってことを言わなければ、正真正銘日本人と言い切れます。これまでは、自分は朝鮮人として生まれたのは運命だから自分の子供は日本人にしてやろうと思っていましたが、いざ結婚を考えると、苗字のことや帰化申請の難しさなどがわかってきたので、自分の代で先に帰化してるほうがいいのではと考えています。
自分の話が長くて申し訳ありません。
二年ほど前に、中国への出張があり、中国と香港に一週間程滞在したことがあります。それまでは、取引していても、中国ってコストがものすごく安い(人件費などはほぼ考えないレベル)変わりにどこで手を抜かれるかわからず、又先にお金を動かさないとドンドン仕事への意欲を失うという扱いの難しい国だと感じていました。アメリカ人と取引してるような印象を受けていました。で、いざ行ってみるとやっぱり外国。同じアジアでお隣さんでこんなに違うものかとカルチャーショックを受けました。貧富の差や貪欲さ、でも底から湧いてくるようなエネルギーを感じました。反対に黄河文明を誇った三国志の国がこれかよっていう、ちょっと残念な部分(あくまで物質的に)もありました。
次に行ったのが香港。今度は外国というより日本にかなり近い印象を受けました。物価もそうですが、文化や町の雰囲気が日本っぽくって面白みにかけた印象でした。実際おもちゃ屋やファーストフード店などを見ても内容や値段がさほど変わりませんでした。同じ国でもここまで違うものかと、これまたショックをうけたものです。中国返還後も別国扱いなのが納得できました。
やっぱり国っていう境目は実際には地面に線はないけど、文化や人間そのものにはくっきりあるんだなぁって考えさせられました。百聞は一見にしかずとは、よく言ったものです。数年取引して感じたものが、ほんの一週間滞在しただけでこれまでなかった鮮烈なインパクトを感じるものか。僕のようなほんの小さな取引でも考えのズレなどで手を焼いていたのですから政治なんかではその比ではない難しさなのだと感じます。でも70171さんのいう”話し合いで同じ教科書を使うこと”って実現して欲しいですよね。あくまでベースになる教科書は同じがいいとおもいます。そこにどういう解釈や感情をいれていくかというところに国や先生それぞれの味を出していけば良いと思う。友人とも喧嘩することもあるんだから、まして国単位が完全にわかりあうというのは政治がからむだけに難しいもの。でもあくまでベースは世界中が統一の教科書って感じました。そうすることでみんなが地球って輪の内側に一歩足を踏み出せればすごいことだと思います。
昨晩宇宙の生命に関する本を読んでいたのでどうも話が大きくなってしまいましたw。
不勉強で、さらに内容のない文章で出しゃばって申し訳ありませんでした。
難しい問題ですね。
あけのぼさんが自ら体験されたギャップというのは、たぶんそれぞれの国や地域の「文化」(つまり歴史がつくり出してきたもの)の違いによるものだと思いますが、お互いの文化の違いを尊重しなさいと言いつつ、現実のビジネスや政治の世界では文化の違いによって様々な軋轢が生まれるのですね。
それを解決するためには、「どちらかが歩み寄る」のではなくて、どちらも一歩ずつ前に出て行かなければならないと思いますが、言うは易く…ってとこですかね。
硫黄島2部作見て思いましたが、たとえどんなレベルであっても、それこそ、70171さんがコメントくださった「ファシリテーション」が通用する世の中じゃないとだめなんだなと。