アルバムタイトルどおり、1975年1月、ケルンで行われたコンサートのライブ録音盤です。
KEITH JARRETT THE KÖLN CONCERT
1 Köln,January 24,1975 Part I 26:15
2 Köln,January 24,1975 Part II a 15:00
3 Köln,January 24,1975 Part II b 19:19
4 Köln,January 24,1975 Part II c 6:59
ご覧のとおり、「曲目」と呼べるようなタイトルではなく、ただ、演奏された場所と日付にPART○と記されているだけです。これは、すべての曲が即興演奏によるものだからです。
キース・ジャレットのピアニストとしての技術は言うまでもなく超絶ですが、きっとそこに創造の神が目をつけたに違いありません。彼の演奏は、彼自身ライナーノーツに記しているとおり、「私という媒体を通じて、創造の神から届けられたものである」(「ソロ・コンサート」1973)。
キースのアルバムの中でも白眉とされるこの「ザ・ケルン・コンサート」を聴くと、確かに神がかりとしか言いようがない。この上ない美しい旋律、計算され尽くしたかのような構成、時折演奏家から吐き出される声ともつかないかけ声…。これが完全に「即興」であるなら、まさに神の仕業としか思えません。
何より驚くのは、たとえば「Part I」における26分15秒の演奏が、しっかり「起承転結」で構成されていることです。
起:目覚めを思わせる美しいメロディ。静かなタッチで始まった曲は、7分過ぎからゆっくり盛り上がり、最初の絶頂を迎えます。「ウワォ」とか「フォー」といった吠え声が自然に出ています。10分頃にはメロディをかすかに口ずさみながらの演奏という離れ業も聴かせてくれます。
承:いったんやや静かなタッチに戻ったあと、12分前後から再びノッてきます。
転:14分頃から再び沈静化。15~16分頃には、思わずこれで演奏終了かと思わせるような収束感が漂います。キースは単調な旋律を繰り返しながら、神が示す次の主題を模索しているかのようです。
結:クライマックスは、水の流れをイメージさせるようなメロディ(21分頃)をきっかけとしてやってきます。キースは、「起」で弾いたメロディラインを左手で引き戻しながら、右手は自由自在に神の言葉を紡いでいくのです。
まさに完璧な構成です。即興といっても、ただ思いつくフレーズを闇雲に弾き散らかしていくのではないということがわかりますね。
考えてみれば、映画「アマデウス」でも、モーツァルトは国王や貴族の前で即興でピアノを奏でていたし、ベートーヴェンもそうだったに違いありません。彼らの作品として今残っている曲は、もしかしたら即興演奏のうち、特に優れたものを譜面に起こしたものなのかもしれません。稀有の「天才」は、きっと神が見逃さないのでしょう。神は、天才の持つ感性やテクニックを借りて、私たちにすばらしい音楽の宝物を届けてくれているのです。
キースは、コンサートのステージに立つと、ピアノの前に座って何分も沈黙していることがあるそうです。じっと神の啓示が降りてくるのを待っているかのように…。
「ザ・ケルン・コンサート」>>Amazon.co.jp
KEITH JARRETT THE KÖLN CONCERT
1 Köln,January 24,1975 Part I 26:15
2 Köln,January 24,1975 Part II a 15:00
3 Köln,January 24,1975 Part II b 19:19
4 Köln,January 24,1975 Part II c 6:59
ご覧のとおり、「曲目」と呼べるようなタイトルではなく、ただ、演奏された場所と日付にPART○と記されているだけです。これは、すべての曲が即興演奏によるものだからです。
キース・ジャレットのピアニストとしての技術は言うまでもなく超絶ですが、きっとそこに創造の神が目をつけたに違いありません。彼の演奏は、彼自身ライナーノーツに記しているとおり、「私という媒体を通じて、創造の神から届けられたものである」(「ソロ・コンサート」1973)。
キースのアルバムの中でも白眉とされるこの「ザ・ケルン・コンサート」を聴くと、確かに神がかりとしか言いようがない。この上ない美しい旋律、計算され尽くしたかのような構成、時折演奏家から吐き出される声ともつかないかけ声…。これが完全に「即興」であるなら、まさに神の仕業としか思えません。
何より驚くのは、たとえば「Part I」における26分15秒の演奏が、しっかり「起承転結」で構成されていることです。
起:目覚めを思わせる美しいメロディ。静かなタッチで始まった曲は、7分過ぎからゆっくり盛り上がり、最初の絶頂を迎えます。「ウワォ」とか「フォー」といった吠え声が自然に出ています。10分頃にはメロディをかすかに口ずさみながらの演奏という離れ業も聴かせてくれます。
承:いったんやや静かなタッチに戻ったあと、12分前後から再びノッてきます。
転:14分頃から再び沈静化。15~16分頃には、思わずこれで演奏終了かと思わせるような収束感が漂います。キースは単調な旋律を繰り返しながら、神が示す次の主題を模索しているかのようです。
結:クライマックスは、水の流れをイメージさせるようなメロディ(21分頃)をきっかけとしてやってきます。キースは、「起」で弾いたメロディラインを左手で引き戻しながら、右手は自由自在に神の言葉を紡いでいくのです。
まさに完璧な構成です。即興といっても、ただ思いつくフレーズを闇雲に弾き散らかしていくのではないということがわかりますね。
考えてみれば、映画「アマデウス」でも、モーツァルトは国王や貴族の前で即興でピアノを奏でていたし、ベートーヴェンもそうだったに違いありません。彼らの作品として今残っている曲は、もしかしたら即興演奏のうち、特に優れたものを譜面に起こしたものなのかもしれません。稀有の「天才」は、きっと神が見逃さないのでしょう。神は、天才の持つ感性やテクニックを借りて、私たちにすばらしい音楽の宝物を届けてくれているのです。
キースは、コンサートのステージに立つと、ピアノの前に座って何分も沈黙していることがあるそうです。じっと神の啓示が降りてくるのを待っているかのように…。
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ジャズは理屈じゃない。よく言われることですが、それはジャズに限らずすべての音楽に言えることで、その人の感じ方、受け止め方がいろいろあるのは当然のことです。
私は、「枠に押し込む」という意味ではなく、この曲に「起承転結」を「感じた」までです。