県内のほとんどの高校では、今週、卒業式が行われています。学校の卒業式って、どこも「厳粛」のうちに執り行われるのが常のようです。
し~んと静まりかえった体育館。卒業生も在校生も、「正しく」制服を着用することが義務付けられ(「正しく」着るから「制服」だと思うのですが、現実には「着崩す」生徒が必ずいるものです)、背筋をきちんと伸ばして着席。手は膝の上。時間ぴったりに開式。国歌斉唱。卒業証書授与。厳かなBGMが静かに流れる中、卒業生一人一人の名前が読み上げられたあと、代表者が登壇して校長先生から卒業証書を受け取る。もちろん学校によっては、流れ作業のように全員が次々と登壇して受け取る学校もある。続いて式辞。読み上げる校長はもちろん正装。卒業生が会ったこともない来賓の長々とした祝辞。そして在校生、卒業生それぞれの代表による送辞と答辞。感極まった答辞にあちこちからすすり泣きが…。盛り上がったところで式歌。卒業生による「仰げば尊し」。在校生による「蛍の光」。全員立ち上がって校歌斉唱。そして式のクライマックスは卒業生退場。ここだけ雰囲気がガラリと変わって、BGMもいくぶん明るい感じの曲になり、泣き笑いの中、卒業生が退場していく。くす玉も割れたりする…。
卒業式本番に至るまでは、何度も「リハーサル」が繰り返されます。「卒業式予行」ってのさえあります。リハーサルをやるということは、卒業式は「人に見せる儀式」なのだということです。観客は保護者と来賓。こんなに立派になって卒業していきますよ、という姿を見せるための儀式なのです。おごそかさが要求されるのは、見ている「大人」に失礼のないように、ということなのでしょう。生徒が「だらしない」格好をしていたり、一部の目立ちたがり屋が騒動を起こしたりすることは、「社会」(大人社会)に対する反発の表れだとして、その学校自体の評判を落とすことになったりもします。
なんだか「成人式」を思い出します。かつて卒業式と同じように厳粛さを求めていた成人式は、ここ数年、急速に変わりつつあります。各地で成人式のあり方についていろいろな工夫が見られますが、結局、「主役」である成人の自主性を重んじようとする傾向があるようです。
卒業式の「主役」はもちろん卒業生です。上に書いたような厳粛な卒業式を彼らが望んでいるなら、それはそれでかまわないでしょうが、もしかしたら、もっと別な形の卒業式を望んでいるのかもしれません。もっと別な形で自分たちの成長した姿を見てほしい、お仕着せの形式ではなく、ありのままの自分たちの気持ちを表現したい、そう思っている生徒もいるのではないでしょうか。もちろん、そういう機会は卒業式でなくても、と言われるかもしれませんが、リハーサルまで行う一大イベント、ほとんどの保護者が学校に見に来る機会なんてほかにありません。卒業式こそ、本当の意味で生徒が主役のイベントであるべきですね。
かたい、きつい、苦しい、権威的な、こわい、「かきくけこ」の卒業式だけでなく、明るい、一緒に、うれしい、笑顔で、面白い、「あいうえお」の卒業式もあってもいいかも。
し~んと静まりかえった体育館。卒業生も在校生も、「正しく」制服を着用することが義務付けられ(「正しく」着るから「制服」だと思うのですが、現実には「着崩す」生徒が必ずいるものです)、背筋をきちんと伸ばして着席。手は膝の上。時間ぴったりに開式。国歌斉唱。卒業証書授与。厳かなBGMが静かに流れる中、卒業生一人一人の名前が読み上げられたあと、代表者が登壇して校長先生から卒業証書を受け取る。もちろん学校によっては、流れ作業のように全員が次々と登壇して受け取る学校もある。続いて式辞。読み上げる校長はもちろん正装。卒業生が会ったこともない来賓の長々とした祝辞。そして在校生、卒業生それぞれの代表による送辞と答辞。感極まった答辞にあちこちからすすり泣きが…。盛り上がったところで式歌。卒業生による「仰げば尊し」。在校生による「蛍の光」。全員立ち上がって校歌斉唱。そして式のクライマックスは卒業生退場。ここだけ雰囲気がガラリと変わって、BGMもいくぶん明るい感じの曲になり、泣き笑いの中、卒業生が退場していく。くす玉も割れたりする…。
卒業式本番に至るまでは、何度も「リハーサル」が繰り返されます。「卒業式予行」ってのさえあります。リハーサルをやるということは、卒業式は「人に見せる儀式」なのだということです。観客は保護者と来賓。こんなに立派になって卒業していきますよ、という姿を見せるための儀式なのです。おごそかさが要求されるのは、見ている「大人」に失礼のないように、ということなのでしょう。生徒が「だらしない」格好をしていたり、一部の目立ちたがり屋が騒動を起こしたりすることは、「社会」(大人社会)に対する反発の表れだとして、その学校自体の評判を落とすことになったりもします。
なんだか「成人式」を思い出します。かつて卒業式と同じように厳粛さを求めていた成人式は、ここ数年、急速に変わりつつあります。各地で成人式のあり方についていろいろな工夫が見られますが、結局、「主役」である成人の自主性を重んじようとする傾向があるようです。
卒業式の「主役」はもちろん卒業生です。上に書いたような厳粛な卒業式を彼らが望んでいるなら、それはそれでかまわないでしょうが、もしかしたら、もっと別な形の卒業式を望んでいるのかもしれません。もっと別な形で自分たちの成長した姿を見てほしい、お仕着せの形式ではなく、ありのままの自分たちの気持ちを表現したい、そう思っている生徒もいるのではないでしょうか。もちろん、そういう機会は卒業式でなくても、と言われるかもしれませんが、リハーサルまで行う一大イベント、ほとんどの保護者が学校に見に来る機会なんてほかにありません。卒業式こそ、本当の意味で生徒が主役のイベントであるべきですね。
かたい、きつい、苦しい、権威的な、こわい、「かきくけこ」の卒業式だけでなく、明るい、一緒に、うれしい、笑顔で、面白い、「あいうえお」の卒業式もあってもいいかも。
卒業式に寄せて、しばし母校の卒業式の思い出話を…。
当方が入った高校は卒業式のリハーサルが一度もなく、卒業式当日は国立大学の受験日だったので、出席者は三分の二ほどだったと思います。
当時、先生方から
「こんな『のほほん』が揃った年は珍しい。○○な子ほど可愛い」と妙なかわいがられ方をしていた自分達。卒業式くらいは涙で飾ろうと、意気込んで臨みました。
卒業生の呼名にも余すところなく応えようと入場前の廊下では当日の欠席者の分の返答まで分担して、ぶっつけ本番に臨みました。ところが、先頭のクラスが座席を間違えて入場したため、後に続くクラスの列がばらばらになりました。「3年○組起立」の声に,卒業生席のあちこちでパラパラと起立することに!
しかも女子が少ない学校でしたので、女子の名前が呼名されたのに野太い返事が続き、会場はあちこちで笑い声がもれ始めました。わが担任は、間にへんな返事を入れさせまいとばかりに、四十余名の名前を読経の如く一気に読み上げ、却って爆笑を誘うはめに!
来賓の方は…というと、笑い過ぎて自分の番になった時、せっかく奉書にしたためてきた原稿をどのポケットに入れたか失念なされたから、さあ大変!壇上で背広を脱ぎ、全部のポケット(ズボンも)を探ったり叩いたり…。あげくの果てに来賓席に戻って白布をめくってみる始末で場内はもう爆笑の渦!
そこに追い打ちをかけたのが、生徒会副会長の答辞でした。
「本日はお日柄もよく、今日の天気はまるで僕達の未来を暗示しているようです。」もう、会場内の職員も来賓も保護者も腹を抱えて笑い出し、しばらくは止まりませんでした。その日は猛烈な吹雪で、会場の体育館にも雪が吹き込んでいたからです。
親達が「あんなに涙が出た卒業式は後にも先にもない。」と、口々に言って帰っていきました。先生方にも「実にお前達らしい卒業式だった。」と、お誉めにあずかった?卒業式でした。
温かい目で見守られた自分たちの卒業式がいかに稀であったのかということを知ったのは、かなり後になってのことでした。「あいうえお」な卒業式は、今でも大切な思い出です。
コメントありがとうございます。
情景が目に浮かぶようないい卒業式ですね。そんな卒業式なら、きっといつまでも心に残るものになるでしょうね。
その場だけかっこつけてもはじまらないわけで、登場人物それぞれに「自分らしさ」が出ているからいいんだな、と思いました。
この「厳かに」というのも勉強と言うことで・・・。
今日、小学校の卒業式があり、長男は出席しました。でも、卒業生としてではなく、送り出すほうの5年生として。最初に歌を歌って、延々卒業証書授与式を見て(160人分!)、最後に贈る言葉を言っただけ。その式に出席するために、普段は規制されていない制服を新たに購入して・・・。これも勉強とはいえ、さすがにかわいそうかも。
高校はまだマシなのかもしれませんね。小・中学校ならただコマのように動かされるだけ?これも教育か。いったい何を目指した教育活動なのでしょうね。確かにきちんとした「儀式」を体験させることも必要でしょうが…