青森県立美術館の「吉村作治の新発見!エジプト展 ~国立カイロ博物館所蔵品と~」、最終日の今日、ギリギリセーフで行ってきました。
それほど駆け足で見たわけではないのに、入口から出口まで、40分弱で見終わってしまいました。なんだかなあ…という感じでした。
「エジプト展」というだけで、見ておかなくちゃと思ったものの、よくよくタイトル見れば、「吉村作治の」とあるわけで、これはもう、吉村作治氏の「業績」の宣伝のための展覧会に過ぎない。
エジプトでの吉村氏の「業績」というのは、発掘をするための資金集めやエジプト政府との交渉が主という話もあります。「学者」としての吉村氏の「業績」については、彼の論文を読んだこともないことだし、触れないでおきます。
今回の「目玉」は、2007年、ダハシュール(「屈折ピラミッドで知られる遺跡」)での新たなミイラの発掘です。つまり、吉村氏率いる早稲田大学の発掘隊が、ダハシュール北遺跡で、「エジプト考古学史上初」となる「夫婦ミイラ」の木棺と人型棺、さらに「親子ミイラ」を発見したというもの。
「夫婦ミイラ」は、木棺の文字から、夫「セベクハト」、妻「セネトイトエス」という名前だったこと、夫は神官だったことが判明しているとのこと。また、「親子ミイラ」(「親子」が同時に発見されたのも「史上初」なのだそうで)の方は、親は「チャイ」という職人だったそうです。子どものミイラが収められていた木棺(今回はレプリカ)は、リンゴ箱くらいの大きさ。レプリカとはいえ、しみじみ見入ってしまいました。
展示室では、「チャイ」さんの発掘の様子が延々と会場のモニターで紹介されていました。砂を取り除いていくと、人型棺の鼻が、目が見えてくる様子は、臨場感にあふれていました。吉村さんが感激のあまり目頭を押さえる姿も…。やれやれ。
そういう「映像」も、何かとってつけたような感じがしてならない。映像といえば、今回の展示では、あちこちで「映像」が使われています。関係者が見守る中、木棺のフタが開けられる「決定的瞬間」とか。確かに「臨場感」はある。でも、そういう映像がなければ成り立たない展示なのでしょうか? それってなんだか、あまりにも「テレビ的」。せっかく、「ホンモノ」が目の前にあるのに…と思ったのは私だけでしょうか。
吉村氏(というより、本来は「早稲田大学」という名前がアタマにつくべきなのでは?)の「業績」以外に、サブタイトルにあるように(まるで添え物のようですが)、今回は「国立カイロ博物館の所蔵品」も70点ほど展示されていました。
山犬の姿をしたアヌビス神、冥界を司るオシリス神、イシス女神など、おなじみの神々の像は、小さいながらも歴史の重みを十分に感じさせてくれました。それから、ミイラづくりに欠かせない医療器具や、死者から取り出した内臓を収めるカノポス容器などを見て、改めて古代エジプト人の技術の高さを感じました。
「発掘」というのは、確かにロマンをかきたててくれます。「大発見」と言いたくなるのもよくわかる。でも、本当に大事なのは、発掘されたものからどんなメッセージを読み取るかということだろうと思います。古代エジプトの人たちがいったいどんなことを考え、どんな暮らしをしていたのか。あるいはどんな死生観を持っていたのか。
古代エジプトの死生観については、今回の展示でも「文字情報」では詳しい説明がありましたが、「死者の書」も見当たらなかったし、彼らがなぜミイラを作ったのかという肝心のところが、物足りなかったような気がします。夏に東京で見た「トリノ・エジプト展」などに比べても。
中国では、遺跡があって、そこを掘れば必ず「大発見」があることがわかっていても、あえて発掘しない、という話を聞いたことがあります。出てくれば出てきたで埋め戻すわけにもいかず、「修復」とか「保存」という作業も必要になりますから。エジプトもたぶん同じで、砂の下にはたぶんスゴイものがさくざく眠っているのだと思います。何しろ、古代エジプトには3,000年の歴史があるのですから。だけど、中国と同じで、きっとあえて掘らないという考えもあるのではないかと思っています。発掘には莫大なお金と人手がかかりますからね(吉村さんのように外国人がお金を持ってきて掘ってくれるならありがたいけど…?)。
まるで消化不良のまま展示を見終わって、グッズ販売コーナーをのぞいてみると、スペースの半分近くを、吉村さんがエジプトをイメージして描いた絵?や伊万里焼の焼き物の販売で占めていました。それを見て、ますます消化不良が加速…。
兎にも角にも、今回の展覧会の観覧料が「1,500円(前売り1,300円)」というのは、たとえば、「チベット展」の「1,400円(前売り1,200円)」などと比べても、その内容と金額との差、ありすぎです。
それほど駆け足で見たわけではないのに、入口から出口まで、40分弱で見終わってしまいました。なんだかなあ…という感じでした。
「エジプト展」というだけで、見ておかなくちゃと思ったものの、よくよくタイトル見れば、「吉村作治の」とあるわけで、これはもう、吉村作治氏の「業績」の宣伝のための展覧会に過ぎない。
エジプトでの吉村氏の「業績」というのは、発掘をするための資金集めやエジプト政府との交渉が主という話もあります。「学者」としての吉村氏の「業績」については、彼の論文を読んだこともないことだし、触れないでおきます。
今回の「目玉」は、2007年、ダハシュール(「屈折ピラミッドで知られる遺跡」)での新たなミイラの発掘です。つまり、吉村氏率いる早稲田大学の発掘隊が、ダハシュール北遺跡で、「エジプト考古学史上初」となる「夫婦ミイラ」の木棺と人型棺、さらに「親子ミイラ」を発見したというもの。
「夫婦ミイラ」は、木棺の文字から、夫「セベクハト」、妻「セネトイトエス」という名前だったこと、夫は神官だったことが判明しているとのこと。また、「親子ミイラ」(「親子」が同時に発見されたのも「史上初」なのだそうで)の方は、親は「チャイ」という職人だったそうです。子どものミイラが収められていた木棺(今回はレプリカ)は、リンゴ箱くらいの大きさ。レプリカとはいえ、しみじみ見入ってしまいました。
展示室では、「チャイ」さんの発掘の様子が延々と会場のモニターで紹介されていました。砂を取り除いていくと、人型棺の鼻が、目が見えてくる様子は、臨場感にあふれていました。吉村さんが感激のあまり目頭を押さえる姿も…。やれやれ。
そういう「映像」も、何かとってつけたような感じがしてならない。映像といえば、今回の展示では、あちこちで「映像」が使われています。関係者が見守る中、木棺のフタが開けられる「決定的瞬間」とか。確かに「臨場感」はある。でも、そういう映像がなければ成り立たない展示なのでしょうか? それってなんだか、あまりにも「テレビ的」。せっかく、「ホンモノ」が目の前にあるのに…と思ったのは私だけでしょうか。
吉村氏(というより、本来は「早稲田大学」という名前がアタマにつくべきなのでは?)の「業績」以外に、サブタイトルにあるように(まるで添え物のようですが)、今回は「国立カイロ博物館の所蔵品」も70点ほど展示されていました。
山犬の姿をしたアヌビス神、冥界を司るオシリス神、イシス女神など、おなじみの神々の像は、小さいながらも歴史の重みを十分に感じさせてくれました。それから、ミイラづくりに欠かせない医療器具や、死者から取り出した内臓を収めるカノポス容器などを見て、改めて古代エジプト人の技術の高さを感じました。
「発掘」というのは、確かにロマンをかきたててくれます。「大発見」と言いたくなるのもよくわかる。でも、本当に大事なのは、発掘されたものからどんなメッセージを読み取るかということだろうと思います。古代エジプトの人たちがいったいどんなことを考え、どんな暮らしをしていたのか。あるいはどんな死生観を持っていたのか。
古代エジプトの死生観については、今回の展示でも「文字情報」では詳しい説明がありましたが、「死者の書」も見当たらなかったし、彼らがなぜミイラを作ったのかという肝心のところが、物足りなかったような気がします。夏に東京で見た「トリノ・エジプト展」などに比べても。
中国では、遺跡があって、そこを掘れば必ず「大発見」があることがわかっていても、あえて発掘しない、という話を聞いたことがあります。出てくれば出てきたで埋め戻すわけにもいかず、「修復」とか「保存」という作業も必要になりますから。エジプトもたぶん同じで、砂の下にはたぶんスゴイものがさくざく眠っているのだと思います。何しろ、古代エジプトには3,000年の歴史があるのですから。だけど、中国と同じで、きっとあえて掘らないという考えもあるのではないかと思っています。発掘には莫大なお金と人手がかかりますからね(吉村さんのように外国人がお金を持ってきて掘ってくれるならありがたいけど…?)。
まるで消化不良のまま展示を見終わって、グッズ販売コーナーをのぞいてみると、スペースの半分近くを、吉村さんがエジプトをイメージして描いた絵?や伊万里焼の焼き物の販売で占めていました。それを見て、ますます消化不良が加速…。
兎にも角にも、今回の展覧会の観覧料が「1,500円(前売り1,300円)」というのは、たとえば、「チベット展」の「1,400円(前売り1,200円)」などと比べても、その内容と金額との差、ありすぎです。
ごく平凡な日々を過ごしているものです。
あることより インダス文明に関心を持ち,過ごしています。
インダス文明に考察されます,神仏等を実際に御拝謁賜り日々過ごしています。
若し 近くであれば 御拝謁をお進め致しますが・・・・。
御拝謁賜れますところは,神社の鳥居に明確な
お姿で,彫刻されたように,色々なお姿が御拝謁たまわれますが,全てのひとに御拝謁等はいけません。例えば 子供さんに御拝謁賜れましても,お母さんには 全く見えないということがあります。
また 我が家では,神仏等の世界が御拝謁たまわれます。
そこで御拝謁賜れます世界は,全ての神仏等はバリァーフリーでございます。
インダス文明の衰退は色々な説があるようですが,今日世界的な環境問題等なにか関係があり
福井県の片田舎に神仏等が現代時代で想像もつかないことを "ひとの世" に与えてくれたのかと感謝しています。
現代社会は,何故か 心 から離れたことを求めすぎるようにおもわれます。
>「県美に7万人」もの人を集めるその秘訣を聴いてみたい
>興味をもたせ,足を運んでもらい,そこから次の段階へ行けるように
そういう観点、すばらしいですね。
現に、私の隣の席の人は、エジプト展に行って、古代エジプトにたいそう興味を持ったようです。けっこう感動したと言っていました。
良くない点はどうしても目についてしまいますが、ナイルの風さんのコメントを読んで、どんなことでも、前向きに見ていくことの大切さに改めて気づきました。
ありがとうございます!