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田中忠三郎さんの「物には心がある」

2016-04-18 | ■美術/博物

3年前に79歳で亡くなられた田中忠三郎さんの『物には心がある。─消えゆく生活道具と作り手の思いに魅せられた人生』(アミューズエデュテインメント)を読んで、改めて田中忠三郎という人のすごさを知りました。

ちょうど、忠三郎さんが青森市稽古館の館長を務められていた頃でしょうか、当時私が勤務していた青森県総合社会教育センター主催の「あすなろ尚学院」という高齢者向けの講座で、忠三郎さんに民俗学の講師をお願いしていました。直接の担当ではなかったのでお話しする機会はあまりありませんでしたが、いつもいろいろなモノを持ち込んでは楽しい講義をしていただき、受講者にも非常に好評だと聞いていました。今思えば、その頃もっと忠三郎さんに「食いついて」いれば、もしかしたらまた別の世界が開けたかもと。後悔先に立たず…。

それはともかく、この本は、忠三郎さんの幼少期から最晩年まで、驚くようなエピソードがてんこ盛り。高橋竹山、棟方志功はもとより、寺山修二や黒沢明とも知己だったとは! 扉には「田中忠三郎の収集人生は、物に向かっていたようで、実は、人であった。心であった。」と記されています。まっすぐな人は、人を引き付ける力を持っているのですね。

さて、彼の真骨頂とも言える、生活に根差した「衣服」について語る時、忠三郎さんは「(かつては)衣服は生命そのものだった」と言い、現代の衣服を粗末に扱う風潮を嘆きます。「衣服は生命そのもの」というのは、彼自身が若く貧しかった頃に体験した青森の冬の壮絶な寒さにも裏打ちされています。「食」より「住」より、何より寒さを防いでくれる「衣」が大事。我々の祖先は、そういう過酷な自然と戦ってきたからこそ、布や衣類を決して粗末にしなかったという。忠三郎さんのおばあさんも、「布を切るのは肉を切るのと同じこと」と厳しく言っていたといいます。

彼のそんな思いが、自ら県内各地を歩き回って収集した古着の膨大な数に表れています。津軽のこぎん刺し、南部の菱刺しなどの「さしこ」が施された野良着や、お産の時に使われる「ボド」と呼ばれる布など、何世代にもわたって針を刺され、当て布を施されてきた「衣」は、まさに第一級の文化財だろうと思います。最近では、「BORO」と呼ばれて、海外でもその美しさ、崇高さが注目されているのも当然かもしれません。

で、2012年に青森県立郷土館で開催された「重用有形民俗文化財 田中忠三郎着物コレクション─津軽・南部のさしこ着物」のカタログを開いてみると、いやはやなんとも、その彩りの鮮やかさに、改めて感嘆します。どんなに食がおぼつかない状況の中でも、「防寒、保温、補強の用便だけでなく、女としても美しくありたいという願い」がさしこを生み出した、と忠三郎さんは書いています。

……人間っていいもんですねえ!


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