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国立科学博物館で開催中の企画展「石の世界と宮沢賢治」、興味深く見てきました。
宮沢賢治は、童話作家・詩人である前に、まず「地質学者」であったことを改めて確認できました。彼が地質学を学んだ盛岡高等農林学校は、今で言うところの理学部地質学教室に近い性格を持っていたようです。幼い頃からいろいろな石を集めるのが好きだった「石っこ賢さん」は、ここで本格的に地質学に目覚め、盛岡や花巻周辺での詳細な地質図を作成しています。卒業後、あの「イギリス海岸」の調査をしたのは、彼が農学校の教員となってからのことでした。
この企画展の焦眉は、なんといっても「文学作品の中の地質学」というコーナーでしょう。賢治の作品には、ごく当たり前のように、鉱物、岩石、化石といった専門用語が頻繁に出てきます。それらの抜粋の紹介とともに、本物の「石」が展示されてありました。
たとえば、「銀河鉄道の夜」で、カムパネルラが「円い板のようになった地図」を「ぐるぐるまわして」見る場面がありますね。
ジョバンニはなんだかその地図をどこかで見たようにおもいました。
「この地図はどこで買ったの。黒曜石でできてるねえ。」
ジョバンニが言いました。
「銀河ステーションで、もらったんだ。君もらわなかったの。」
「ああ、ぼく銀河ステーション通ったろうか。いまぼくたちのいるとこ、ここだろう。」
ジョバンニは、白鳥と書いてある停車場のしるしの、すぐ北をさしました。
黒光りする「黒曜石」は、真っ黒な銀河の地図を描くにふさわしい。それは、迷えるカンパネルラとジョバンニの道標となってくれるのです。
妹トシの死を悼んで書いた「青森挽歌」という詩の一節も紹介されていました。
海が藍じょう(「青」の旧字体に「定」)に光ってゐる いまごろ真っ赤な苹果はありません
「藍じょう」というのは、「インディゴライト」という鉱石のことらしい。ブラジル産だというその石が展示してありました。賢治がこの石を実際に見て詩に引用したかどうかは分かりませんが、確かに海上で光っていてもおかしくなさそうな美しい石でした。その光に、賢治はトシを感じていたのかもしれませんね。
「十力の金剛石」という作品は、まさに賢治の石へのフェチズムがぎっしり詰まった作品と言えます。15種類もの鉱物が出てくるこの作品、「十力の金剛石」とは、実は宝石ではなく、空や太陽、風などの自然そのものだったというオチが賢治らしい。
ファンタジーの世界と現実の「石」の世界。その両者を結びつけて、違和感なく融合させた宮沢賢治。自然をこよなく愛し、また畏れていた賢治だからこそ、そんな世界を描くことができるのですね。小規模だけど、いい企画展でした。
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