
数年前にNHKスペシャルで放映された「4年1組命の授業 金森学級の35人」の金森先生、今は大学の先生をされているのですね。
先日、中央教育審議会の道徳教育専門部会が、「道徳」の教科化に向けた方向性を示したことを受けての金森先生の寄稿が先日の新聞に掲載されていました(2014年8月19日付け東奥日報)。佐世保の事件も引き合いにしながら、金森先生は、小学校の先生として自ら実践してきた「命の教育」が大切だと主張しています。 もちろん「命の教育」は今でも学校で行われていますが、いったい何が足りないのか。金森先生は、『「命の大切さ」を大人の側から子どもたちに「授け、伝える」傾向が強く、「子ども主体の学び」になっていない』と言う。「命の教育」は決して、「道徳の時間」で教科書を使って行われる「説く教育」であってはならないということです。全くそのとおりだよなと思います。「道徳」とか「モラル」は、経験を通してしか身に付けることなんてできない。「授け、伝える」だけで身に付くものじゃない。
「4年1組命の授業」の本で印象的だったのは、「教室では、先生がキャッチャーで、子どもがピッチャーやねんて」という、金森学級の男の子の言葉です。子どもはピッチャー、教師はキャッチャーを目指す。今回の寄稿にもそう書かれてありました。子どもが投げてくるどんな球でも受け止めるのが先生。そのためには、教室を、子どもが思いをぶつけられるような場にする必要があります。金森先生は、「手紙ノート」という形でそれを実践してきました。「子ども自らが問い掛け、自分の言葉で表現したものを教材にしたい」というのが、金森先生のすごいところだと思っています。
今回の中教審では、「道徳」の「検定教科書」を使うことになっているようですが、それって本当に必要なのでしょうか……?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます