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『レ・ミゼラブル』覚え書き(その3)

2005-03-20 | └『レ・ミゼラブル』
世は3連休だというのに今日も仕事。早くこの仕事を片づけてラクになりたい!という思いだけで仕事をしているような気がしています。終わらせなければならない仕事を抱えていると、それが気になってどうにもこうにも落ち着かないですね。『レ・ミゼラブル』の世界に浸る楽しさでしばし仕事のことは忘れることにします。

ということで覚え書き、続けます。

第一部 ファンティーヌ
第二編 墜落(岩波文庫第1巻p.116~p.209)

ジャン・ヴァルジャンの登場は、こんな書き出しから始まります。

一八一五年十月の初め、日没前およそ1時間ばかりの頃、徒歩で旅している一人の男が、ディーニュの小さな町にはいってきた。ちょうど人家の窓や戸口にあまり人のいない時間ではあったが、なおいくらかの人々はそこにいて、一種の不安の念を覚えながら旅人をながめた。おそらくこれ以上みすぼらしい風をした旅人はめったに見られなかった。それは中背の幅広い頑丈な元気盛りの男であった。四十六か七、八くらいであろう。…

そのあと、彼の身なりがどんなに「みすぼらしい」かがこと細かに描写されます。その見た目のみすぼらしさのゆえに、彼の素性が明らかとなり、結局は宿も食事も断られてしまうはめになるのです。まず憲兵が彼を見とがめて役所に通報、その男がジャン・ヴァルジャンという元徒刑囚であることがわかる。その情報は小さな町にあっという間に広がり、2軒の宿から追い出され、子どもからは石を投げつけられ、監獄の門番にも見下される。挙げ句の果てに、潜り込んだ犬小屋からも犬に追い出される。「俺は犬にも及ばないのか!」思わず口走るジャン・ヴァルジャン。

そんな彼を唯一受け入れてくれたのがミリエル司教の家でした。途方に暮れてとある印刷屋の前の石の腰掛けに身を横たえた彼に、一人の婦人が声をかける。何をしているのですか?という彼女の問いに、「私は19年の間木の寝床に寝起きしたのです。…今日は石の寝床の上に寝るんです。」ふてくされて答えるジャン・ヴァルジャン。「親切なお上さん」は「あの家を尋ねましたか」とミリエル司教の小さな家を指さす…。

この「親切なお上さん」に会わなければ、ジャンはミリエル司教の家のドアをたたくことはありませんでした。「R某侯爵夫人」とだけ記され、登場シーンはたった3ページ(岩波文庫版)で、もちろん以降の物語には一切登場しないのですが、彼女の存在をジャン・ヴァルジャンはきっと深く心に刻んでいたに違いない…と勝手に考えています。

さて、ミリエル司教の家でも、「悪い顔つきの風来漢」の噂が耳に入っていました。もっとも、心配して戸締まりに熱心だったのは召使のマグロアールで、ミリエル司教自身はさほど気にもとめている様子でもなかったのですが。

そんなところへジャンがいきなりやってきたのでした。身震いするマグロアールを横に、ジャンは司教の顔をじっと見つめながら、唐突に自分の素性を語り、一晩泊めてくれるように頼みます。自分がジャン・ヴァルジャンという名前であること、懲役人であること、ツーロンの徒刑場で19年間過ごしたこと、4日前に放免されて、ポンタルリエに行こうとしていること、今日は12里歩いたこと、この町で宿を断られたこと、徒刑場での賃金109フラン15スーを持っていること…。それはほとんど泊めてもらうことをあきらめた物言いでした。

ところが司教はそれを聞くと、マグロアールに向かって「も一人分だけ食器の用意をなさい」と一言告げます。驚いたのはジャンです。ポケットから黄色い通行券を取り出して「いいですか、通行券にこう書いてあります。ジャン・ヴァルジャン、徒刑場に19年間いたる者なり。家宅破壊窃盗のため5カ年。4回脱獄を企てたるため14カ年。至って危険な人物なり。このとおりです! だれでも私を追っ払うんです。それをあなたは泊めようというんですか。」──司教の返事。「マグロアールや、寝所の寝台に白い敷布を敷きなさい。」

さすがのジャンも、ようやく自分が本当に泊めてもらえるのだということ、食事をさせてもらえること、ふとんと敷布の上で寝られるということがわかり、感謝の言葉を口にします。そしてつつましい食事。それでもジャンにとっては19年間想像もできなかったぜいたくな食事だったにちがいありませんが。司教は食卓に「銀の燭台」を置いて火を灯し、「無邪気な見栄」から、6組の「銀の食器」を運ばせます。

食事中、ミリエルは決してその男の身分を思い起こさせるようなことは言いませんでした。「普通の待遇をしてやって、たとい一時でも他の人と同じような人間であると信ぜさせるが最上の策」と考えたからです。

食事が終わり、寝室に案内した司教に対して、一度だけジャンがすごむ場面があります。司教のすぐそばに自分の寝所を用意してくれたことを疑ったのです。「ああなるほど! こんなふうにあなたのすぐそばに私を泊めるのですな!」 19年間の監獄生活はジャンを極度の人間不信に陥らせていたようです。

ジャンの半生がこのあと語られます。貧しい農家の生まれで、両親に死に別れ、彼は7人の子どもを抱えて寡婦となっていた姉と暮らしていました。仕事は枝切り職人でしたが、彼らを養うにはあまりにも収入が少なかったのです。「そのうちあるきびしい冬がやってきた。ジャンは仕事がなかった。一家にはパンがなかった。一片のパンもなかったのである。文字どおりに。それに7人の子供。」 みじめ。あまりにもレ・ミゼラブル。

ジャンはある夜、パン屋のガラスを割り一片のパンを盗みます。そのまま取り押さえられ、5カ年の懲役を課せられます。子どもたちに食べさせるための一片のパンを盗んで懲役5年! これは想像ですが、仮に犯人がジャンのような貧しい階層の者でなかったなら、5年という懲役はなかったのかもしれません。刑法も整備されていない時代ですから、古代のハンムラビ法典が身分によって刑罰が異なっていたのと同じように、当時のフランスにもそんな差別的な裁きが残っていたのでないでしょうか。1789年の「フランス人権宣言」第1条にうたわれた「人は、自由かつ権利に置いて平等なものとして出生し、かつ生存する」は、単に名目上のことでしかなかったわけです。

ジャンはこうしてツーロンの監獄に収監されます。姉と子どもたちがどうなったのかを知るすべもなく。彼の懲役が19年間に伸びたのは、4回もの脱獄を企てているからです。失敗するたびに懲役は延長されました。「ジャン・ヴァルジャンはすすり泣きし戦慄しながら徒刑場にはいった。そしてまったく没感情的になってそこから出てきた。彼はそこに絶望をもってはいり、そこから沈黙をもって出てきた。」

ジャンは監獄の中で考えます。「刑罰は重くして酷に過ぎはしなかったであろうか。犯人の方に過ちの弊があったとするも、法律の方に刑罰の一層の弊がありはしなかったであろうか。…脱獄企図のために、相次いで加重されたその処罰は、ついには弱者に対する強者の暴行ともなりはしなかったであろうか…」

そしてその結果、自分の受けた刑罰は不公平であり、社会に罪ありという結論に達するのです。「彼は社会を罰するに自分の憎悪の念をもってした。」…身勝手と言えばあまりに身勝手。しかしジャンがそんな歪んだ考えを持つに至った理由もわかるような気がします。実に社会自体が歪んでいたのかもしれないのですから!

あれほど暖かく自分を遇してくれたミリエル司教を裏切り、ジャンが「銀の食器」を盗んだのは、「社会を罰する」ためだったにちがいありません。しかし、罰したはずの社会に彼自身が再び「罰せられる」ことになります。それは徒刑場での罰とはまったく異なる方法によるものでした。司教は、つかまって連行された自分を許しただけでなく、「銀の燭台」まで持たせてくれた。そして低い声で彼に告げるのです。

「忘れてはいけません、決して忘れてはいけませんぞ、この銀の器は正直な人間になるために使うものだとあなたが私に約束したことは。」

もちろんジャンはそんな約束なんかしていない。これは一種の「あなたメッセージ」ですね。あなたが約束したと言うことでメッセージに強いインパクトを与える効果。こんな時ならウソをついてもよいのです。

ジャンは茫然として野を歩き回ります。揺れ動く心に決定打を与えたのは、一人のサヴォイの少年でした。彼が落とした40スー銀貨がジャンの足の下に入ってしまったのですが、考え込んでいたジャンはそれに気がつかず、少年を追い払ってしまいます。靴の下に40スー銀貨を見つけた時、彼はそれを「返さなければならない」という思いに突き動かされるのです。「プティー・ジェルヴェー! プティー・ジェルヴェー!」彼はあらん限りの声で少年の名を呼び続けました。今朝は司教の家から銀の食器を盗んだジャンが、今はたった40スーを持ち主に返そうとするのです。ユゴーは彼の「改心」を見事に表しています。

結局、少年は見つからないまま、しかし、のちのちまで「プティー・ジェルヴェー」の名前はジャンの心に強く刻まれることになります。彼が最後に犯した「罪」の名前として。

ジャンは泣き、そして立ち上がります。

「彼は自分の魂をながめた、そしてそれは彼の目に恐怖すべきもののように映じた。けれども穏やかな明るみがその生涯とその魂との上に射していた。天国の光明によって悪魔を見たように彼には思えた。」

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