goo blog サービス終了のお知らせ 

カクレマショウ

やっぴBLOG

『レ・ミゼラブル』覚え書き(その2)

2005-03-19 | └『レ・ミゼラブル』
ユゴーは、「序」にこう記しています。

「法律と風習とによって、ある永劫の社会的処罰が存在し、かくして人為的に地獄を文明のさなかにこしらえ、聖なる運命を世間的因果によって紛糾せしむる間は、すなわち、下層階級による男の失墜、飢餓による女の堕落、暗黒による子供の萎縮、それら時代の三つの問題が解決せられない間は、すなわち、ある方面において、社会的窒息が可能である場合は、すなわち、言葉を換えて言えば、そしてなおいっそう広い見地よりすれば、地上に無知と悲惨とがある間は、本書のごとき書物も、おそらく無益ではないであろう。(訳:豊島与志雄、岩波文庫版による)

「おそらく無益ではないだろう」と、フランスを代表する詩人・作家にしてはかなり控えめな表現をしていますが、「すなわち」で並列されている事柄は、「レ・ミゼラブル」=「みじめな人々」が置かれている社会の状態を指しています。「下層階級による男の失墜」は主人公ジャン・ヴァルジャンを、「飢餓による女の堕落」はファンティーヌを、そして「暗黒による子供の萎縮」とはコゼットを指すことは明らかです。そして、「地上に無知と悲惨とがある間は…」。つまり現代においても『レ・ミゼラブル』は決して「無益」ではないということですね。

第一部 ファンティーヌ
第一編 正しき人(岩波文庫第1巻p.25~p.115)
ディーニュの司教ビヤンヴニュ・ミリエル氏の生活と人となりが克明に描かれます。1815年に75歳。妹バティスティーヌ嬢、彼女と同年配の召使マグロアールとともにきわめて質素な生活を送り、余分な収入はすべて貧しい人々に分け与える。神に仕える司教として、盗賊が跋扈する山道もいとわずに小さな村に出かけ、時には町の紛争を解決する裁判官としての任務を果たしもする。そんな司教を、二人の老嬢は「司教の最期はまた自分たちの最期」と考えるほど尊敬し、付き従っていました。

ミリエル司教が、ディーニュの近くの田舎に住む「もとの民約議会の一員」であるG(ゼー)某という老人を訪ねる場面があります。「民約議会」とは「国民公会」(1792~95年に設けられていた議会)のことだと思いますが、それは、国王ルイ16世の処刑(1793年1月21日)に象徴されるように、革命が最高潮に達した時期でした。国王処刑には賛成しなかったとはいうものの、かつて革命の最急進派に属していたGを村人は「一種の恐怖をもって」語り、誰一人訪れる人はいませんでした。

司教が訪ねたとき、86歳のGは「3時間もしたら死ぬでしょう」と言い、自分の死期を悟っている状態でした。二人は庭で向き合い、革命について語り始めます。

民約議会員は言います。
「ルイ16世については、私は否と言ったのです。私は一人の人を殺す権利を自分に信じない。しかし私は悪を絶滅するの義務を自分に感ずる。私は暴君の終滅に賛成したのです。言い換えれば、婦人に対しては醜業の終滅、男子に対しては奴隷の終滅、小児に対しては暗夜の終滅に。私は共和政治に賛成することによって、以上のことに賛成したのです。」

ユゴーは、彼の口を借りて、共和政治による自由と平等こそが、“レ・ミゼラブル”たちを救ってくれると言いたかったのでしょうか。しかし現実には決してそうではなかったのです。

Gはひとしきり語り終わると、司教が祈祷を捧げる前で静かに息を引き取ります。ミリエルの訪問があたかも臨終に迎えられたかのように。

ジャン・ヴァルジャンの人生を変えた人間、「正しい人」ビヤンヴニュ・ミリエル氏。このエピソードもまたミリエルの信仰の深さと誠実さを表しているかのようです。そのジャン・ヴァルジャンは次の編でいよいよ登場します。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。