カクレマショウ

やっぴBLOG

『レ・ミゼラブル』覚え書き(その8)

2005-04-05 | └『レ・ミゼラブル』
深い色の青空の下に陸奥湾が輝いて見えました。積み上げられた雪はまだ溶け切るのに時間はかかかりそうですが、確実に春は近づいています。南の方ではもう桜が咲いているらしいですが、青森でもあと3週間ほどすれば咲き始めます。待ちわびて待ちわびてようやく咲いてくれる桜が好きです。

第一部 ファンティーヌ
第七編 シャンマティユー事件(岩波文庫第1巻p.370~p.481)

ジャヴェルが帰ったあと、マドレーヌはいつものようにファンティーヌのもとを訪れます。「コゼットは?」と尋ねるファンティーヌに、マドレーヌは「じきに来ます」とやさしくほほえみかけます。しかし、もしかしたら自分が連れてくることはできないかもしれないという思いが彼の顔を陰鬱にします。それでも、いつもより少しだけ長くいてくれたことをファンティーヌは素直に喜ぶのです。

マドレーヌはファンティーヌのもとを辞すると、貸し馬車屋を訪れ、馬車を予約します。この時点では、彼はシャンマティユーの裁判が行われるアラスまで行くことを決心していたかのように見えます。ところが、彼の心の中では、すさまじい「脳裏の暴風雨」が吹き荒れていたのです。

マドレーヌは、「自分の室に上ってゆき、そして中に閉じこもった」。そこからの20数ぺ-ジは、『レ・ミゼラブル』全編の中でも、私がもっとも衝撃を受けた箇所です。マドレーヌ、いやジャン・ヴァルジャンの心の中の葛藤、良心と弱い心のせめぎ合い。人がたった一つの結論を出すに至るまでに、これほど深く悩み、動揺し、右往左往し、傷つく姿を描写したものを見たことがありません。

われわれは前にこの人の内心の奥底をのぞいたことがあるが、更になおのぞくべき時がきた。がそれをなすには、われわれは深い感動と戦慄とを自ら禁じ得ない。この種の考察ほど恐ろしいものはない。人の心眼は人間のうちにおいて最も多く光輝と暗黒とを見いだす。またこれ以上恐るべき、複雑な、神秘な、無限なものは、何も見ることができない。海洋よりも壮大なる光景、それは天空である。天空よりも壮大なる光景、それは実に人の魂の内奥である。

ユゴーはまずその日ジャヴェルがやってきた時のジャンの心持ちから解き明かしていきます。

ジャヴェルの言葉を聞きながら彼には、そこにかけつけ、自ら名乗っていで、シャンマティユーを牢から出して自らそこにはいろうという考えが、第一に浮かんだ。

しかし、次に彼の心に芽生えたのは「自己保存の本能」でした。彼は再び牢獄生活を送ることへの恐怖心から、最初の「殊勝な考え」を押さえつけたのです。馬車を予約したのも、自ら名乗り出るためというよりは、「裁判に列席しても何ら不都合はない」と考えたからに過ぎなかったのです。

ジャンは部屋に閂(かんぬき)をかけ、ろうそくを吹き消すと、もう誰も入ってこられないし、誰も自分を見ることはないと思いました。しかしそれが自らを欺いていることにすぐに彼は気がつきます。

悲しいかな、彼が室に入れまいとしたところのものは、既にはいってきていた。彼がその目を避けようとしたところのものは、既に彼を見つめていた。彼の本心が。/彼の本心、すなわち神が。

彼の苦悩が始まります。

「今自分は一人の代人を持っている。そのシャンマティユーとかいう男は運が悪かったのだ。…もはや何も恐るべきことはない。ただシャンマティユーの頭の上に、墓石のごとく一度落つれば再び永久に上げられることのないその汚辱の石がはめらるるままにしておけばよいのだ。」

およそジャン・ヴァルジャン「らしく」ないセリフ。しかし、「らしく」とはいったい何でしょう。ジャンが高潔で非のうちどころのない人間マドレーヌに生まれ変わった、というのは私たちが勝手に抱くイメージでしかありません。もちろんジャンは小説の中の人物ですが、まわりの人々にあてはめてみても同じですね。この人はこんな人だというイメージ。私たちはレッテルを貼るのが大好きなのです。だから、こんなセリフを聞くと、ジャン、どうしたの!?と思ってしまうのでしょう。

そのあとも、ジャンの「らしくない」本心をこれでもかというくらいユゴーは暴いていきます。

「長く私の心を乱していたジャヴェル、私の素性をかぎ出したらしい、いや実際かぎ出していたあの恐ろしい猟犬、彼ももはや道に迷いほかに行ってしまって、まったく私の足跡を見失ったのだ。…彼は彼のジャン・ヴァルジャンを捕らえているのだ! だれにわかるものか。…そしてそれもみなひとりでにそうなったことで、私にはそれに何の関りもないのだ。…すべては天意によってなされたのだ。明らかに天はそれを欲したからだ。天の定めることを乱す権利が私にあろうか。…」

こんな告白を聞くと、一方ではほっとしたりもします。ジャン・ヴァルジャンも結局、私たちと同じ弱い人間ではないか。自分に都合の悪いことは人のせいにし、挙げ句の果てに神が導いたなどと勝手なことを言う。しょせん、人間なんてそんなもんさ…。

しかし、ジャンはやはりそんな人間ではなかったらしい…。(次回に続く)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿