1か月ほど前、OECDが実施した「国際学習到達度調査」の結果が公表され、日本のレベルダウンが大きく報道されたことを受けて、いよいよ「ゆとり教育」の見直しが叫ばれています。文部科学大臣でさえ、「我が国の学力が低下傾向にあることに危機感を持つべき」とコメントしています。
ゆとり教育とは、「〔生きる力〕の育成を基本とし、知識を一方的に教え込むことになりがちであった教育から、子供たちが、自ら学び、自ら考える教育への転換を目指す」(平成8年、中央教育審議会答申より)ことを骨子とし、教育課程の改訂によって、指導内容を減らしたり、学校週5日制を実施して、子どもたちにも教師にも「ゆとり」を持たせようとするものです。
「学力」っていったい何でしょうか。「進学校」と言われる高校では、「国公立大学」にどれだけの生徒を合格させたかが問われます。センター試験で高い点数を取ることが「学力」が高い、ということです。学力試験イコール学力。先のOECDの調査では、「読解力」、「数学的活用力」、「科学的活用力」、「問題解決能力」など、単に知識量を試すテストではなく、知識や技能を実生活でどれだけ応用できるかということが問われていたようです。では、それが「学力」なのでしょうか。
どうも違うような気がします。「知識」や「技能」は大切です。しかし、知識の量もしくはその応用だけが「学力」とされていいのでしょうか。そこには、そもそも人は何のために学ぶのか、ということが置き去りにされているような気がします。
学校での「学び」は、1本の線として「学校後」の人生に連なっていなければならないと思います。もちろん、学校で学んだことが、「仕事」の選択やその他人生の様々な局面で生かされるということです。ここで、「生涯学習」の意味をもう一度考えてみたいと思うのです。「生涯」にわたる「学習」には、学校教育における学習も含まれるのだということを。生涯にわたって学習し続ける、あるいは必要に応じて学習していくために、「学び方」を学ぶことも、学校教育に課せられる役割ではないでしょうか。
そのための「ゆとり」なら大いにけっこうだと私は思います。
ゆとり教育とは、「〔生きる力〕の育成を基本とし、知識を一方的に教え込むことになりがちであった教育から、子供たちが、自ら学び、自ら考える教育への転換を目指す」(平成8年、中央教育審議会答申より)ことを骨子とし、教育課程の改訂によって、指導内容を減らしたり、学校週5日制を実施して、子どもたちにも教師にも「ゆとり」を持たせようとするものです。
「学力」っていったい何でしょうか。「進学校」と言われる高校では、「国公立大学」にどれだけの生徒を合格させたかが問われます。センター試験で高い点数を取ることが「学力」が高い、ということです。学力試験イコール学力。先のOECDの調査では、「読解力」、「数学的活用力」、「科学的活用力」、「問題解決能力」など、単に知識量を試すテストではなく、知識や技能を実生活でどれだけ応用できるかということが問われていたようです。では、それが「学力」なのでしょうか。
どうも違うような気がします。「知識」や「技能」は大切です。しかし、知識の量もしくはその応用だけが「学力」とされていいのでしょうか。そこには、そもそも人は何のために学ぶのか、ということが置き去りにされているような気がします。
学校での「学び」は、1本の線として「学校後」の人生に連なっていなければならないと思います。もちろん、学校で学んだことが、「仕事」の選択やその他人生の様々な局面で生かされるということです。ここで、「生涯学習」の意味をもう一度考えてみたいと思うのです。「生涯」にわたる「学習」には、学校教育における学習も含まれるのだということを。生涯にわたって学習し続ける、あるいは必要に応じて学習していくために、「学び方」を学ぶことも、学校教育に課せられる役割ではないでしょうか。
そのための「ゆとり」なら大いにけっこうだと私は思います。
遅れてすみません。今年もよろしくお願いいたします。
学ぼうとする力とか、意欲も大事ですよね。
「生涯学習」の本当に意味するところが、このまま誤解されたままでいってしまうのか。私はとても心配です。