第二部 コゼット
第三編 死者への約束の履行(岩波文庫第2巻p.35~p.126)#1
かなり間があいてしまいましたが、久しぶりに戻ってまいりました、レ・ミゼラブル。今日のBGMはコールドプレイの“X&Y”。叙情的なUKロックを聴きながら19世紀のフランスの森へ分け入る…。
舞台は再びモンフェルメイュ。この地が高台にあるので、かなり遠くまで水をくみにいかなければならない、という話から始まります。
1823年のクリスマス。テナルディエ飲食店では、数人の客が集まって酒を酌み交わしていました。
コゼットはいつものとおり、料理場のテーブルの横木に、暖炉に近い所に腰掛けていた。彼女はぼろの着物を着て、素足のまま木靴をはき、そして炉の火の光でテナルディエの娘らのために、毛糸の靴足袋を編んでいた。一匹の小さな子猫が椅子の上で戯れていた。二人の子供のあざやかな笑い興ずる声が隣の室から聞こえていた。それはエポニーヌとアゼルマであった。
ユゴーは、今やコゼットの「育ての親」(育てるという言葉がふさわしいとは思えませんが)となっているテナルディエ夫婦について語ります。「コゼットをこき使っているところを見ると鬼婆とも思われる」女房。そして、俗物のかたまりのようなテナルディエ。この店が「ワーテルローの軍曹の旅籠屋(はたごや)」と呼ばれているのは、彼がワーテルローで重傷を負った一将軍の命を救ったことを「すこぶる大げさに吹聴」していたからでした。女房は金儲けのことしか頭にない亭主に何も考えずにただ従う。8歳のコゼットはそんな二人のもとで「二重の圧迫を受け、臼に挽かれると同時に釘抜きではさまれてる者のようなありさま」であり、「あたかも蜘蛛に仕えてる蠅のようなありさま」だったのです。
さて、夜も更けてから、テナルディエの店に4人の新しい客が到着します。コゼットはある一つのことを恐れていました。くみ置きの水がほとんどなくなっていたために、新しい客のために水をくんでこいと言いつけられることでした。外はもう真っ暗です。こんな闇の中を森の中の泉まで歩いて水をくみに行くなんて…。
案の定、客の一人が自分の馬に水をやるよう求め、テナルディエの上さんはコゼットに水をくみに行くよう命令を下します。まるで何でもないことのように。そして、帰りにパン屋で大きいパンを一つ買ってくるようにと、15スー銀貨をコゼットに渡すのです。
自分の体がすっぽり入ってしまうほど大きな水桶を手に、コゼットは外に出ました。「空には一点の星影も見えなかった」。露店が建ち並ぶ通りでコゼットはふと立ち止まる。おもちゃ屋の棚にいつもの大きな人形が飾ってありました。コゼットは、そのきらびやかな姿と我が身を比べ、そのあまりにも大きな隔たりに、「あの人形はどんなにか仕合わせだろう!」と考えるのです。コゼットにとってそれは単なる人形ではなく、追い求めても決して届かない幸福の「幻影」だったのでしょう。
そんな幻影も上さんの怒鳴り声で打ち破られ、コゼットは、闇の中を泉に向かって歩き始めます。人家があるところを過ぎ、いよいよ森にさしかかると、彼女はどうしても前に進めなくなってしまいます。森の中の獣や化け物の姿が暗黒の中に見えたのです。しかし、戻ろうとするコゼットの足を止めたのは、皮肉にも、それらよりもっと恐ろしいテナルディエの上さんの怒り狂う姿が目に浮かんだからでした。ようやく泉に着き、無我夢中で桶で水をくむコゼットには、その時ポケットに入れていた15スーが転がり落ちるのにもまったく気がつく余裕はありませんでした。
暗黒。闇。森。大人でも精神に異常をきたすかもしれない状況の中、コゼットは目を閉じます。そしてまた開く…。
かく心の中まで暗黒に浸されることは、ことに子供にとっては名状すべからざる陰惨の気を与うるものである。…
何を感じているのかコゼットは自分でもよくわからなかったが、ただ自然の広大な暗黒からつかまれてるような気がした。彼女をとらえているものはもはや単に恐怖のみではなかった。恐怖よりもなお恐ろしい何かであった。彼女は震え上がった。彼女を心の底まで凍らしたその戦慄はいかに異常なものであったか、それを言い現わすには言葉も到底および難い。彼女の目は凶暴になっていた。彼女は翌日もきっと、また同じ頃にそこに戻ってこないではおれないだろうというような気がしていた。
まるで良質のサイコホラー映画を見ているかのような描写です。この部分にインスパイアされて作られた映画が本当にあるんじゃないかとさえ思います。
コゼットは、その「恐ろしい不思議な状態」から逃れるために、大きな声で一、二、三…と数を数え始ます。十まで数えるとまた一に戻り…。それで正気に返るのですが、今度は「自然の恐怖の念」がまた襲ってきます。とにかく早くろうそくの灯りが見えるところにたどり着きたい…。ところが帰り道は重い重い水桶を運ばなければなりません。数歩歩いては立ち止まり、また数歩歩いて…。彼女の頭にはテナルディエの上さんの叱責と怒号が渦巻いていたことでしょう。
その時、彼女はにわかに桶が少しも重くないのを感じた。非常に大きいように思われた一つの手が、桶の柄をつかんで勢いよくそれを持ち上げたのだった。
それは、もちろんジャン・ヴァルジャンの手でした。軍艦オリオンから脱走したジャンが、いよいよコゼットを救い出しに来てくれたのです。
第三編 死者への約束の履行(岩波文庫第2巻p.35~p.126)#1
かなり間があいてしまいましたが、久しぶりに戻ってまいりました、レ・ミゼラブル。今日のBGMはコールドプレイの“X&Y”。叙情的なUKロックを聴きながら19世紀のフランスの森へ分け入る…。
舞台は再びモンフェルメイュ。この地が高台にあるので、かなり遠くまで水をくみにいかなければならない、という話から始まります。
1823年のクリスマス。テナルディエ飲食店では、数人の客が集まって酒を酌み交わしていました。
コゼットはいつものとおり、料理場のテーブルの横木に、暖炉に近い所に腰掛けていた。彼女はぼろの着物を着て、素足のまま木靴をはき、そして炉の火の光でテナルディエの娘らのために、毛糸の靴足袋を編んでいた。一匹の小さな子猫が椅子の上で戯れていた。二人の子供のあざやかな笑い興ずる声が隣の室から聞こえていた。それはエポニーヌとアゼルマであった。
ユゴーは、今やコゼットの「育ての親」(育てるという言葉がふさわしいとは思えませんが)となっているテナルディエ夫婦について語ります。「コゼットをこき使っているところを見ると鬼婆とも思われる」女房。そして、俗物のかたまりのようなテナルディエ。この店が「ワーテルローの軍曹の旅籠屋(はたごや)」と呼ばれているのは、彼がワーテルローで重傷を負った一将軍の命を救ったことを「すこぶる大げさに吹聴」していたからでした。女房は金儲けのことしか頭にない亭主に何も考えずにただ従う。8歳のコゼットはそんな二人のもとで「二重の圧迫を受け、臼に挽かれると同時に釘抜きではさまれてる者のようなありさま」であり、「あたかも蜘蛛に仕えてる蠅のようなありさま」だったのです。
さて、夜も更けてから、テナルディエの店に4人の新しい客が到着します。コゼットはある一つのことを恐れていました。くみ置きの水がほとんどなくなっていたために、新しい客のために水をくんでこいと言いつけられることでした。外はもう真っ暗です。こんな闇の中を森の中の泉まで歩いて水をくみに行くなんて…。
案の定、客の一人が自分の馬に水をやるよう求め、テナルディエの上さんはコゼットに水をくみに行くよう命令を下します。まるで何でもないことのように。そして、帰りにパン屋で大きいパンを一つ買ってくるようにと、15スー銀貨をコゼットに渡すのです。
自分の体がすっぽり入ってしまうほど大きな水桶を手に、コゼットは外に出ました。「空には一点の星影も見えなかった」。露店が建ち並ぶ通りでコゼットはふと立ち止まる。おもちゃ屋の棚にいつもの大きな人形が飾ってありました。コゼットは、そのきらびやかな姿と我が身を比べ、そのあまりにも大きな隔たりに、「あの人形はどんなにか仕合わせだろう!」と考えるのです。コゼットにとってそれは単なる人形ではなく、追い求めても決して届かない幸福の「幻影」だったのでしょう。
そんな幻影も上さんの怒鳴り声で打ち破られ、コゼットは、闇の中を泉に向かって歩き始めます。人家があるところを過ぎ、いよいよ森にさしかかると、彼女はどうしても前に進めなくなってしまいます。森の中の獣や化け物の姿が暗黒の中に見えたのです。しかし、戻ろうとするコゼットの足を止めたのは、皮肉にも、それらよりもっと恐ろしいテナルディエの上さんの怒り狂う姿が目に浮かんだからでした。ようやく泉に着き、無我夢中で桶で水をくむコゼットには、その時ポケットに入れていた15スーが転がり落ちるのにもまったく気がつく余裕はありませんでした。
暗黒。闇。森。大人でも精神に異常をきたすかもしれない状況の中、コゼットは目を閉じます。そしてまた開く…。
かく心の中まで暗黒に浸されることは、ことに子供にとっては名状すべからざる陰惨の気を与うるものである。…
何を感じているのかコゼットは自分でもよくわからなかったが、ただ自然の広大な暗黒からつかまれてるような気がした。彼女をとらえているものはもはや単に恐怖のみではなかった。恐怖よりもなお恐ろしい何かであった。彼女は震え上がった。彼女を心の底まで凍らしたその戦慄はいかに異常なものであったか、それを言い現わすには言葉も到底および難い。彼女の目は凶暴になっていた。彼女は翌日もきっと、また同じ頃にそこに戻ってこないではおれないだろうというような気がしていた。
まるで良質のサイコホラー映画を見ているかのような描写です。この部分にインスパイアされて作られた映画が本当にあるんじゃないかとさえ思います。
コゼットは、その「恐ろしい不思議な状態」から逃れるために、大きな声で一、二、三…と数を数え始ます。十まで数えるとまた一に戻り…。それで正気に返るのですが、今度は「自然の恐怖の念」がまた襲ってきます。とにかく早くろうそくの灯りが見えるところにたどり着きたい…。ところが帰り道は重い重い水桶を運ばなければなりません。数歩歩いては立ち止まり、また数歩歩いて…。彼女の頭にはテナルディエの上さんの叱責と怒号が渦巻いていたことでしょう。
その時、彼女はにわかに桶が少しも重くないのを感じた。非常に大きいように思われた一つの手が、桶の柄をつかんで勢いよくそれを持ち上げたのだった。
それは、もちろんジャン・ヴァルジャンの手でした。軍艦オリオンから脱走したジャンが、いよいよコゼットを救い出しに来てくれたのです。
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