カクレマショウ

やっぴBLOG

教職大学院を出ても。

2006-10-20 | ■教育
平成18年4月、日本初の教育養成の専門職大学院として日本教育大学院大学が開校しました。設立者は、首都圏を中心に学習塾「栄光ゼミナール」を展開する株式会社栄光。

文部科学省は、平成20年度から教員を養成する専門職大学院をスタートさせる予定です。全国の教員養成系大学に「教職大学院」が設立され、教員になるためには大学院修士課程を修了することが求められる時代になっていきます。日本教育大学院大学は、それを先取りした形です。

この大学に入れるのは、大学で教員一種免許を取得している社会人。つまり、教員免許は持っているのだけど、教員にならずに(なれずに)、他の職業を選んだ人たちです。前にも書きましたが、私も、教員は学校以外の社会経験を持った人こそなるべきだと思っています。学校しか知らない教員がいくら勤労観や職業観を語っても、当然そこには限界がありますから。それを補うのが地域や保護者であるのは確かですが、日常的に子どもたちと接する教員が「学校」以外の社会の現実をリアルに伝えるのはむしろ当たり前のことなのではないでしょうか。

日本教育大学院大学のホームページには、「これからの教師に求められるもう1つの資質」として「プロフェッショナル性」を挙げています。「プロフェッショナル教師」とは、「倫理観を堅持し、教育に対する使命感と情熱を持ち、教科指導と生徒指導の両面で卓越した資質と能力を有する人材」としています。「教科指導」と「生徒指導」。「教科指導」はともかく、「生徒指導」については、やはり現場体験を積まないことには、いくら大学院で机上の理論を錬っていても意味があるとは思えません。生徒指導に限らず、教員が相手にするのは、一人一人違う子どもたちであり、しかも、彼らは日々成長過程にあるのですから。

「教科指導」に「生徒指導」。教員の役割としてはもう一つ「進路指導」というのもありますが、こちらはキャリア教育という視点から、「社会経験のある教員」の資質の方にくっついているのかもしれません。

それにしても、「倫理観」にしても、「教育に対する使命感と情熱」にしても、あくまでも内面的な素養であり、大学院でなければ身につけることができないものでもありません。「倫理観」は人間性の問題だし、「教育に対する使命感と情熱」も、「教育」を別の言葉に置き換えれば、ほかの職業にだって必要なことです。どんな職業につくにしろ、求められる勤労観・職業観と言ってもいい。

で、それらはたぶん子どもの頃からのしつこいくらいの働きかけによって培われていくものだと思います。それが(も)「キャリア教育」です。

教職大学院の設置によって、「修士先生」が増えることが、果たして教員の質を高めること、ひいては学校教育の質を高めることににわかにつながるのかどうか。「社会経験のある教員」が増えてキャリア教育が充実することは大賛成ですが、「教科指導」のテクニックだけに秀でた教員が増えても困りますね。

少なくとも、「教育のプロ」である教員が、子どもたちに対して「言ってはならない暴言」を吐くことだけはあってはならないと、今回の「いじめ」の事件の報道を見ていてつくづく思います。
 
 

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