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やっぴBLOG

『生きている 生きてゆく―ビッグパレットふくしま避難所記』

2011-11-24 | ■社会/政治

「ビッグパレットふくしま」は、福島県郡山市にあるコンベンション施設です。郡山市も東日本大震災では震度6弱を観測し、この施設も大きな被害を受けています。にもかかわらず、この施設は、福島第一原発の事故後に避難してきた富岡町や川内村などの住民の避難所となり、最大2,500人もの人が、8月31日の閉鎖まで数ヶ月間を過ごしました。

そこに、ビッグパレットふくしま避難所県庁運営支援チームとして、県から派遣されてきたのが、文化スポーツ局生涯学習課の社会教育主事、天野和彦さん。この本は、彼が仕掛け人となって刊行されました。売上収益はすべて富岡町と川内村の復興に当てられるそうです。

天野さんとは一度会議でお会いしたことがあって、名刺交換をさせていただきました。向こうはこちらを覚えていないと思いますが、私は、福島にはずいぶんバイタリティのある社教主事がいるんだなあと強く印象に残る方でした。そのバイタリティで、こんな本まで出すなんて、やっぱりすごい人でした。

震災からちょうど1カ月目の4月11日に赴任した天野さんは、避難所の光景に驚く。

入所者のみなさんは、どなたも表情が暗く、目をじっと閉じたまま仰向けに寝ていたり、若い人は携帯電話やゲームをただいじっていたり、食事の配給のころになると身を起こし、食べて、また横たわるという無気力な感じでした。これが、3月11日まで、社会に一定の責任をもって暮らしてきた方々なのかと…。
(巻末インタビュー「おだがいさまセンター」が生まれた理由(わけ)より)

原発事故によりふるさとを追われてきた皆さんです。無気力になるのも分かるとはいえ、支援する側の天野さんにとっては、やるせない思いでいっぱいだったことでしょう。

天野さんは、避難所の問題を一つ一つ解決していきました。避難経路図や名簿、フロアマップの作成、感染症対策。そして、次のステップとして手がけたのは、自治活動でした。

まず、足湯から始めました。避難所での足湯の歴史は、阪神・淡路大震災の時にさかのぼるといいます。その後、新潟中越地震など、大きな災害時の避難所にはいつも足湯コーナーが設けられてきたそうです。ビッグパレットにも中越で災害を経験していた人が来ていて、足湯をやろうということになったらしい。



入浴もままならない避難所の人たちにとって、足湯は確かに気持ちがいいものですが、実は足湯の目的はそれだけではなく、足湯につかりながら手や肩をマッサージしてもらい、ほんわかした気分になってくるうちに、自然と口も緩むようになる。そういう話を、マッサージしている人がちゃんと聞いてあげる。つまり、「傾聴ボランティア」なのですね。この本を読んで、初めて知りました。なるほどね。この本の最初のほうには、足湯コーナーの写真がたくさん出てきます。皆さん、いい顔しています。そして、彼らの「つぶやき」がそのまま、この本には掲載されています。お礼の言葉、ふるさとへの思い、原発への怒り、自分の半生…。千差万別、様々なつぶやきの中には、胸が痛くなるようなつぶやきもあります。

足湯の次にできたのがサロン(カフェ)。これもこれまでの災害ボランティアの体験から生まれたものです。誰でもやっていてコーヒーやお茶を飲みながらおしゃべりできる場所。段ボールで区切られた居住スペースは、決して自分の居場所ではない。もちろん、避難所の中のサロンだって本来の居場所ではないのですが、それでも、人と話ができて笑いあえる場所があるだけで、雰囲気がなごむということなのでしょうね。



天野さんが語っています。

カフェという場所を作っていくことで、だんだん気持ちがかつての日々に復帰していくようでした。自治というと、住民の方を細かくわけて管理していくものと思いがちですが、ああこうやって自治って生まれていくんだな。自分で気づき、参画していく。この過程こそ自治なんだと我々も気づき、学んでいくんですよね。

足湯、サロンときて、次に天野さんが仕掛けたのは、新しく生まれた自治活動を組織的に仕掛けていくための「装置」。それが「おだがいさまセンター」です。いわばボランティアセンターみたいなものですが、入所者を外部のボランティアが支援するだけでなく、入所者どうしの助け合いとか交流の場をコーディネートすることが主な機能です。ここから、草むしりやプランターの花の苗植え、喫茶店の運営、FM放送のパーソナリティ、そして夏祭りなど様々な活動が誕生していきました。みんながやりたいと思ったことが実現する、って実はなかなか難しいものですが、ここではそれが次々とかなっていく。もちろん、外部からの支援があってこそのことでしょう。

 

この本で学んだことの一つに、「被災地責任」という考え方があります。ビッグパレットふくしま避難所には、阪神・淡路大震災や中越地震の被災者や、災害支援を体験した人たちがたくさん支援に来てくれたのだそうです。天野さんも、彼らには深く感謝しています。彼らは「被災地責任ですから」とおっしゃる。「こういう災害を経験した者として、責任があるんです」と。

いい言葉ですね。「責任」があるから、とはなかなか言えない。被災体験をした人が、今度は支援する側に回る。災害支援を体験した人が、その体験を生かして支援してくれる。まさに「お互い様」なのですね。決して起こってほしくないけれど、いつかは起こるだろう次の災害時には、「おだがいさまセンター」がきっと開設されることでしょう。

ビッグパレットふくしま避難所の閉鎖後、入所者の皆さんは、今、仮設住宅に住んでいる人もいれば、県外に移り住んだ人もいる。しかし、いまだにふるさとには戻れないままです。彼らが足湯でつぶやいた言葉の一つ一つを、もう一度かみしめなければなりません。

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