いつどんな時にやってくるか分からないのが災害。人間の営みと全く関係なくそれはやってきて、人間をあざ笑うかのように我々の生活を破壊していく…。
2011年3月11日、14時46分。東北地方を襲った大地震も、突如としてやってきました。青森市内の職場でもけっこう横揺れが長く続き、ちょっと騒然としました。震度4。しかし、揺れている最中から蛍光灯が消え、停電になってしまいました。職場のテレビが見られないので、携帯のワンセグで情報収集してみると、岩手や宮城では震度6とか7とか言っている。ずいぶん大きい地震だったんだなと思っていたら、やがて、大津波の恐ろしい映像が…。余震が続く中、食い入るように小さな画面に釘付けになってしまいました。
地震が起こってから、わずか30分ほどのことです。震源地が近かったこともあり、津波はあっという間に三陸の海岸線に襲いかかってきました。場所によっては7メートル以上の津波も観測されたという。八戸の映像も出てきました。高さ2m70cmという津波が見慣れた舘鼻の港を襲っている映像です。漁船も車もコンビニの看板もまるでミニチュアのように流されていく。あるいは、宮城県名取市上空からの映像。黒い水のかたまりが、溶岩流のように田畑や家々を次々と呑み込んでいく。その動きは、まるで、獲物を食い尽くす怪物のようでした。
そんなあり得ない光景を目にしながら、「人」も津波に呑み込まれている、ということには思いが至らなかったのはなぜだったのか。夜になって、死者や行方不明者の数がテレビで伝えられるようになりましたが、それはまだ「津波以外」の犠牲者でした。犠牲者の数は、このぶんだと100人は超えてしまうのかな…と暗い気持ちで、停電が続く中、床に就きました。
ところが、今朝起きてニュースを見ると、死亡・行方不明の数が急に跳ね上がっていました。そこで初めて、津波による犠牲者がとんでもない数になることに気づきました。その後、各地の状況が明らかになるにつれて、その数は、1000人以上、1200人以上、1400人以上と増えていく。一夜明けた被災地の町の様子を見ると、岩手県陸前高田市や宮城県石巻市、南三陸町など、町のほとんどが水に覆われ、瓦礫の町と化していました。一面の水がなければ、まるで爆撃を受けたかのようです。「壊滅」という言葉をニュースで聞いたとき、そんなオーバーな…と思ってしまいましたが、実際に映像を見ると、まさに「壊滅」でした。昨日まで、そこに町があったとは思えないような変容ぶりに、改めて津波の破壊力におののく。あの瓦礫の下に、水の下に、多くの人が眠っているのかと思うと、目を背けたくもなる。仙台市の荒浜海岸では、200から300の遺体を確認したと警察が発表したという。しかも、まだ津波の恐れがあるために、遺体の収容どころか近くまでも行けない状態だという。やむを得ないとはいえ、それじゃあんまりではないか、と思ってしまう。海岸に打ち捨てられた数百の遺体なんて、想像するだけで身震いしてしまう。何とか一刻でも早く収容してあげてほしい。
夜になって、学校や空港や大きなビルに孤立化して取り残されている人たちがたくさんいることも分かってきました。少しずつ救出されているとのことですが、消防や自衛隊による救出作業はなかなか進まないでいるようです。今夜もまた寒く長い夜を過ごすのかと思うと心が痛みます。昨日の停電なんかで不満を言っている場合じゃなかった。
そして、もう一つ、福島の原子力発電所の事故も気になります。周辺の住民の避難が進んでいるようですが、放射能漏れ、という最悪の事態にならないことを祈るしかありません。それにしても、やっぱり原発は、地震に対してはやはり万全ではないことが明らかになりました。原発に限らないことですが、「絶対安全」というのはあり得ないのですね。
被害の全容はまだまだ明らかになりそうもない未曾有の大災害ですが、これ以上犠牲者が増えないことを祈るばかりです。そして、復興に向けて、自分にできることなら、できるだけのことをしたいと思う。犠牲者の皆様のご冥福を心から祈ります。
2011年3月11日、14時46分。東北地方を襲った大地震も、突如としてやってきました。青森市内の職場でもけっこう横揺れが長く続き、ちょっと騒然としました。震度4。しかし、揺れている最中から蛍光灯が消え、停電になってしまいました。職場のテレビが見られないので、携帯のワンセグで情報収集してみると、岩手や宮城では震度6とか7とか言っている。ずいぶん大きい地震だったんだなと思っていたら、やがて、大津波の恐ろしい映像が…。余震が続く中、食い入るように小さな画面に釘付けになってしまいました。
地震が起こってから、わずか30分ほどのことです。震源地が近かったこともあり、津波はあっという間に三陸の海岸線に襲いかかってきました。場所によっては7メートル以上の津波も観測されたという。八戸の映像も出てきました。高さ2m70cmという津波が見慣れた舘鼻の港を襲っている映像です。漁船も車もコンビニの看板もまるでミニチュアのように流されていく。あるいは、宮城県名取市上空からの映像。黒い水のかたまりが、溶岩流のように田畑や家々を次々と呑み込んでいく。その動きは、まるで、獲物を食い尽くす怪物のようでした。
そんなあり得ない光景を目にしながら、「人」も津波に呑み込まれている、ということには思いが至らなかったのはなぜだったのか。夜になって、死者や行方不明者の数がテレビで伝えられるようになりましたが、それはまだ「津波以外」の犠牲者でした。犠牲者の数は、このぶんだと100人は超えてしまうのかな…と暗い気持ちで、停電が続く中、床に就きました。
ところが、今朝起きてニュースを見ると、死亡・行方不明の数が急に跳ね上がっていました。そこで初めて、津波による犠牲者がとんでもない数になることに気づきました。その後、各地の状況が明らかになるにつれて、その数は、1000人以上、1200人以上、1400人以上と増えていく。一夜明けた被災地の町の様子を見ると、岩手県陸前高田市や宮城県石巻市、南三陸町など、町のほとんどが水に覆われ、瓦礫の町と化していました。一面の水がなければ、まるで爆撃を受けたかのようです。「壊滅」という言葉をニュースで聞いたとき、そんなオーバーな…と思ってしまいましたが、実際に映像を見ると、まさに「壊滅」でした。昨日まで、そこに町があったとは思えないような変容ぶりに、改めて津波の破壊力におののく。あの瓦礫の下に、水の下に、多くの人が眠っているのかと思うと、目を背けたくもなる。仙台市の荒浜海岸では、200から300の遺体を確認したと警察が発表したという。しかも、まだ津波の恐れがあるために、遺体の収容どころか近くまでも行けない状態だという。やむを得ないとはいえ、それじゃあんまりではないか、と思ってしまう。海岸に打ち捨てられた数百の遺体なんて、想像するだけで身震いしてしまう。何とか一刻でも早く収容してあげてほしい。
夜になって、学校や空港や大きなビルに孤立化して取り残されている人たちがたくさんいることも分かってきました。少しずつ救出されているとのことですが、消防や自衛隊による救出作業はなかなか進まないでいるようです。今夜もまた寒く長い夜を過ごすのかと思うと心が痛みます。昨日の停電なんかで不満を言っている場合じゃなかった。
そして、もう一つ、福島の原子力発電所の事故も気になります。周辺の住民の避難が進んでいるようですが、放射能漏れ、という最悪の事態にならないことを祈るしかありません。それにしても、やっぱり原発は、地震に対してはやはり万全ではないことが明らかになりました。原発に限らないことですが、「絶対安全」というのはあり得ないのですね。
被害の全容はまだまだ明らかになりそうもない未曾有の大災害ですが、これ以上犠牲者が増えないことを祈るばかりです。そして、復興に向けて、自分にできることなら、できるだけのことをしたいと思う。犠牲者の皆様のご冥福を心から祈ります。
無理をなさらぬよう、お祈り申し上げます。
私は丁度出張から帰ってきて、オフィスの25階で揺れを感じました。
座っている椅子が移動するくらいの大きなゆれでした。
天井が一部崩落し、遠くで煙が見え、遠くで石油コンビナートの爆発が見えました。
何事?!と思いました。
ある程度時間がたって下を見ると、ありんこのように人たちがゾロゾロと歩いていました。
晴天だった空が、曇り空に変わって、雨が降ってきました。
エレベーターが終日止まっていたので、階段で食べ物を買いに下りると下は騒然としていました。
コンビニの袋をシートにして座り込んで一夜を明かそうとする人たちで・・・。
JRが止まったので私は会社で一晩過ごしました。
東京が直接被害を受けたわけではないけど、東京って脆いな・・・と思いました。
家に帰るとテレビが倒れて割れて映像が映らなくなっていました。
食器も壊れていました・・・。
明日明後日は自宅待機命令が出ました。
福島の原発が心配です。作業員の過労と心労などの二次災害がなければいいなと思います。
津波の二次災害も心配です。
一人でも多くの命が助かること祈っています。
先生も無理しないで下さい。
ありがとうございます。
そうですね、今の時点で自分に「できること」はいったい何なのか、考えなくてはいけませんね。とりあえず、一つやってみました。
子どもたち、こわかったでしょうね…。
宮城、岩手では子どもたちの犠牲者も出ているようです。本当に心が痛みます。未来のある子どもたちがこんなことで命を落とすなんて。
東京はこちらより激しく揺れたようですね。
無事で何よりです。
東京直下型、考えただけで恐ろしいことになりそうです。備えあれば憂いなし、と言うけれど、備え万全でもどうしようもないこともあるということが、今回の震災で分かりました。それでも備えは可能な限り万全にしたいものです。