さぶりんブログ

音楽が大好きなさぶりんが、自作イラストや怪しい楽器、本や映画の感想、花と電車の追っかけ記録などをランダムに載せています。

スレイマンとはソロモンのことだった!

2012-07-23 23:45:16 | 読書録

(【読書録】週刊古代文明2)

小さい頃読んでた聖書物語では、ダビデについてはかなりのページ数を割いてくれていたのに、ソロモンのついては、

 ダビデのあとはソロモンが王になりました。
 ソロモンは立派な神殿を建てました。
 ソロモンの時に古代イスラエルは最も栄えました。ちゃんちゃん。

ぐらいしか記述がなく、赤い立派な衣装をつけたソロモン王が、きらびやかな神殿の中で両手をウォーっと上げて神を礼拝している絵が1ページ添えられていただけで終わっていた記憶がある。なので、ソロモンは立派な王だったという印象はあるが、ダビデ王に対してのような人間的な魅力を感じることなく今に至っていた。

週刊古代文明でソロモンの特集を見た時は、ソロモンの知らなかった素顔に迫れるかなぁと期待して読んだ。

まずソロモンはダビデとバト・シェバの間の息子である。旧約聖書ではダビデとバト・シェバの不義の話は有名で、第1子は神の怒りに触れて死んだが、第2子であるソロモンは、異母兄アドニアとの王位継承争いに勝利した。このとき、バト・シェバはダビデにソロモンを次王とすることを宣言させるのに成功した・・と書かれており、彼女が意外に上手く立ち回ったことを知り、びっくりした。

ソロモンはアドニア派を大粛清し、血なまぐさい殺戮劇を行うことで、王権はゆるぎないものになったという。その後、王国を12の行政区に分け、課税システムを整備し、従来ユダヤの社会では蔑視されていた商人を手厚く保護したという。農耕と牧畜を主体とする農業国から商工業を主体とする貿易国へ変貌させようと力を入れ、軍事力の増強や治安・交通の安全を図った。

またエジプト王の娘を王妃として迎え、他国とも婚姻関係を次々と結びそれによって脅威の軽減に成功したという。

こうした施策で、国を富ませ、手中にした絶大な権力と財力を持って、神殿や宮殿を大建設にいそしむわけである。父ダビデ王は英雄的な王だったが、国を富ませるというよりも、戦争に勝利して周辺民族を支配下に置いた・・・という色彩が強いように思う。そんなダビデの時代には考えられなかった大神殿の建設がソロモン王の時代に実現したのは、ソロモンの知恵の政治がいかに財力を集めたか、ということに他ならない。聖書物語にあった「ソロモンは立派な神殿を建てました」の一文の背景を自分の中で埋めることが出来て満足した。

☆ ☆ ☆

で、私がブログを書くときは、読書録の対象となっている本だけでなく、色々サイトを検索して周辺情報を集めるので、これは週刊古代文明に書いてあったネタではないのだが、オスマン・トルコの王名によく使われるスレイマンという名前は、ソロモンのイスラムでの呼び方スライマーンをトルコ風に読んだものと知り、驚愕した。

ソロモンはイスラム教では預言者の一人なのだ。預言者スライマーンは、知恵に満ちていたと同時に、アラブの民間伝承である精霊(ジン)を自由自在に操ったという。明らかにキリスト教においてより扱いが上だな。

昔読んだアラビアン・ナイトに、ソロモンの封印で壷に閉じ込められた悪魔の話が出てきたが、なんで敢えてそこにソロモンが出てくるのかと不思議に思ったが、背景はそれかぁ。

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