ケッ! クリスマスなんて!
お正月なんて来なければいいのに!
と、ここまで真剣に思った年はないほど煮詰まっている。
私って、なんて嫌な奴なの?
まるでクリスマス・キャロルのスクルージみたいだな。
・・・と、世界の名作文学のキャラが出たところで、今日YOMIURI ONLINEで「へ?」と言うような記事を見たことを思い出した。
それは <「フランダースの犬」日本人だけ共感…ベルギーで検証映画>という記事。原作は英国人作家ウィーダが1870年代に書いたものだが、欧州では「負け犬の死」としか映らず、評価されることはなかったという話だ。
悲しい結末の原作が、なぜ日本でのみ共感を集めたのかは、長く謎とされてきたが、資料発掘や、世界6か国での計100人を超えるインタビューで、浮かび上がったのは、日本人の心に潜む「滅びの美学」だった・・・とか。
・・・どうかねぇ? 6か国っていうのが曲者で、いったいどこの国と比べたんだろう?(韓国人とかどうなんだろうか?) ま、日本人には昔から「判官びいき」とか「わびさび」を尊ぶ気質があるから、そういう考え方もありだとは思うが、あまり決め付けて欲しくないなぁ。日本人だって別に悲劇ばかりが好きなわけじゃないでしょ? 悲劇と喜劇はバランスよく見たいものだよね。
私が思うに・・・単にアニメの出来が良くて、あのアニメで育った人が多いだけの話じゃないのかなぁ。それから誰でも知ってるあの一見明るいアニメソングが、まるで隠し味のように、悲しい話に深みを与えているような気がするのだが。
実は私は大人になるまでアニメ版フランダースの犬を見たことが無かったので、正直「フランダースの犬」みたいな救いのない話のどこがいいんだろうと思っていたのだ(むしろキライだった)。ところが6~7年前に、人気アニメの泣けるシーンだったか感動シーンだったかの特集番組で、このフランダースの犬の最後の方の、ネロ少年が天使達に運ばれて昇天していく場面を初めて見た時、不覚にも「5秒」で泣いてしまった。何故泣いたかって、バックに「主よみもとに近づかん」のメロディが流れていたからなのだが、正直日本人よりも欧米人の方があの讃美歌の意味を直感できると思うのだが。(ディカプリオ主演のタイタニックでも楽団が最後まで弾いてたのがこの讃美歌だったが。)
ちなみにイタリア旅行の帰りの飛行機で、映画版のアニメ「フランダースの犬」を見て、途中までいい感じで泣いていたのに、昇天のシーンがカットされてたんで、いまだに超~不服。
・・・で、米国では過去に5回映画化されているが、いずれもハッピーエンドに書き換えられたんだとか・・・さもありなん。人魚姫だってハッピーエンドにしちゃう国だからね。アメリカ人は悲劇はキライ・・・ていう話なら、無条件にうなずいちゃうんだけどね。
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