先日録画したNHK BSプレミアムでやっていたこの映画を見た。
この映画、私が子供の頃に相当に話題になり、塾の先生方から「沈没なんかしないから安心して」と言われて、その後「嘘の話を見て騒いでどうする」と思って、SF全般に対する不信感から、ずっと遠ざかってきた。だが近年NHKの番組「100分de名著」をみるようになって、SFについては、そういうことが起こりうるのが確かかどうかということではなく、そういう自体に直面した時に人間はどう考えどう行動するかがちゃんと描かれているかがポイントであると気づくようになった。
だがそれでも気になるものは気になる。日本列島は沈むのではなく、南からオーストラリアに、東からアメリカ大陸にぶつかられて、高地の山の中になるのである。それも今から2億年以上後に。そう言われているのが定説の中、どういう理屈を持って日本が沈没するという設定を持ってきたかに興味を持った。
見始めると、日本海溝の底に潜水艇でもぐるシーンから始まる。1万メートル潜れるのか潜れないのか?と怒鳴る田所博士。だが、有人潜水の日本記録は去年の8月に小笠原海溝で記録された9801メートルで、まだ1万メートルに達してないし、去年の記録も60年ぶりの更新(256メートル更新)なんだそうで、超深海の調査は実際には簡単ではないことを感じる。
映画では、実際の海溝の底にまるでナイアガラの滝のような流れができ、落ち込んでいる部分を発見して、これはただ事ではないと驚いていた。
また日本が沈没に至る経緯としては、地球の核が徐々に大きくなってきていることに対応してマントルの流れが突如変わることがある・・・ということが大前提の話として出てくる。マントルの流れが今のままであれば、日本は逆に浮き上がる方向にあり、それこそオーストラリアとアメリカにぶつかられて山の中になる方向であろうが、マントルの流れが変わってしまえばその前提は崩れるかもしれない。じゃぁ、地球の核は本当に大きくなっていているのかというと、外核にある溶けた鉄の一部が冷えてかたまり、結晶化することで内核の半径が毎年1ミリずつ大きくなっている・・んだそうだが、それがどれくらいのインパクトなのか? 地球の核についてはあまりわかっておらず、最近も逆回転してるんじゃないかという説が出されてりしてるけど・・・・。
今では誰でも知っているプレートテクトニクス。およびその背景となる大陸移動説の再評価。当時の日本ではまだ一般的ではなかったんだな。プレートテクトニクス理論は1973年から高校の地学の教科書に取り入れられ、この映画の原作の小松左京氏による「日本沈没」もこの映画も1973年。そういう意味では日本社会には小説と映画のヒットのおかげですぐにこの考え方は普及したが、東側諸国はこの考え方を西側の帝国主義的思想と受け止めたため、なかなか浸透しなかったという。日本の地質学界も当時はマルクス主義的思想が強かったらしく、学界に受け入れられるまでさらに10年くらいかかったんだそうな。
映画の冒頭に、パンゲアが分裂し、ゴンドワナができ、さらに南アフリカと南アメリカが分裂しインドが北上する場面から、いきなり日本列島の成り立ちの画像に写る。最近色々読んでいる地理や地学の本で読んでいるイメージと細かな点で少し違うが、確かに私が子供の頃はこう習ったかもしれないなどと思いながら見た。
本作は当時は新しかったプレートテクトニクスにさらに、マントルの動きが変わったという設定を創作として加えていることになる。
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まぁ、どういう理屈で日本が沈没することにしたのか・・という設定のおおもとはここまでにして、では田所博士が、大地震をはじめさらには日本沈没の可能性を感じ始めた後、人々はどう動いたのか。
意外に、ちゃんとしてるじゃないか・・・というのが私の印象。
もっとちゃんと調査し、各所に測定機器を設置するための予算、研究チームの発足を、首相(丹波哲郎)や渡老人という資産家が手助け。現場では藤岡弘や二谷英明が頑張っている。
その測定機器から得られる情報をもとにシミュレーションしたところ、沈没まであと10ヶ月強という数字が出される。ここから日本国民を脱出させるプロジェクトがスタート。各国に国民の受け入れを打診。だが1億1000万という人間をいくら分散しても相当の数になり、自分たちの国の中に別の国ができてしまうと難色を示す国が多かった。
もう一つの悩みは、いつ国民にそれを発表するかだ。天城の噴火や伊豆の地震、関東の大地震により多大な被害がでたが、それでエネルギーを放出したため、これで落ち着くだろうと唱える学者も多かった。しかし結果から得られる情報は、近い将来の日本沈没を裏付けるものばかり。他国に水面下に接触を開始した以上、他国のメディアに先にぶち抜かれてパニックを起こすのをどう防ぐか・・まず田所博士が日本沈没の可能性をメディアに激白。・・しかしその段階では、国民はあまり動かなかったようだ。内閣は経済界にも根回しをしつつ、正式発表の日を2週間後と決める。その前にやはり外国メディアにすっぱ抜かれ、正式発表は2日早まった。
国連にも正式に国民の受け入れ願いが出されたが各国は難色を示し・・・だが実際に富士をはじめ、数々の火山が爆発、太平洋側から沈み始めると、各国から救護の手が・・・。アメリカ、中国、ソビエト・・・。丹後半島や舞鶴あたりは影響が少なく、ソ連船が救護にくる。(なんか、第二次対戦後、ソ連兵の攻撃を避けて大陸から舞鶴に逃げてきた人にとっては複雑な心境だろうなと思いつつ)・・ただ韓国と北朝鮮は受け入れ先になっておらず、しかも津波がくるということで勝手に船を出さないようにいくら呼びかけても人々は聞かず、何隻も津波に飲まれた。
沈没までの日程は当初より早まり、最後は皇室をスイスに避難させ、調査隊は船で南方に避難しつつ、測定を続けた。しかしその測定にも終わりの日が来た・・・。渡老人と田所博士は日本列島と心中したが、他の主だった方は助かった模様。
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映画を見た後の感想としては、丹波哲郎が演じる総理はよく頑張ったよ。もうダメだとわかった時、内閣を海外にウケの良い人たちに全取っ替えしたのは、やるねぇ。調査隊も藤岡弘も頑張った。たくさんの人が犠牲になったが、たくさんの人が助かった。寂しさと悲惨さはあるが、最後はやり遂げた感が残る内容だった。
しかし、日本沈没に匹敵する災難が日本に襲いかかり、全国民が難民になるような事態・・将来起こらぬとも限らないが、ここまで整然とできるだろうか・・というのは相当に不安である。この映画では、逃げ惑う国民は色々描かれていたが、国の中枢はきちんと機能し、かつこの話がまだ海のものとも山のものともつかない時期から調査予算が出され、渡老人による働きかけもあって、ある程度の準備ができた。だが、東日本大震災および原発事故、コロナ禍で発熱外来が全然繋がらず、具合の悪い中で色々電話しても有益な情報が得られない・・などという経験をした身にとっては、情報はもっと錯綜して混乱するものであり、政府がどう動こうとしてもそれを妨害する動きは必ず入るものであり、相当のデマも流れるものである・・と思う。
そういう意味では、難色を示す諸外国や、津波が来ると言っても信じずに逃げる人たちの図はあったが、妨害やデマ、情報の錯綜はあまりなかったように感じる。
実際にこの映画に匹敵する事態となったら、この映画のようには済まないであろう・・というのが全体としての私の感想である。