桃井 治郎/中公新書
古代ローマ〜オスマン帝国あたりまでの海賊の話は、塩野七生さんの「ローマ人の物語」や「ローマ亡き後の地中海世界」「十字軍物語」「ロードス島攻防記」「レパントの海戦」などとかぶる点が多く、自分にとっては新しみがないなぁと思っていた。ただヴァンダリズムと呼ばれる破壊行為が、ゲルマン民族の一派ヴァンダル族による455年のローマ掠奪行為が語源になっているとは、目からウロコだった。
大航海時代以降、俄然面白くなった。そういえば昔聞いたかな・・みたいな話のパーツと知らなかったことのパーツが組み合わさって、海賊を軸にまとめられていく。
たとえばコロンブス。私は子供の頃、コロンブスの子供向け伝記を読んだはずなのであるが、野口英世などに比べて全体的にトーンが暗く、面白くなかった記憶がある。その理由がわかった。この人の後半生は暗いのである。子供向けの伝記というものは、あまり悪いことは書かず、人生の終わりもシャンシャンで終わらせる(色々あったけど、穏やかな最期を迎えましたみたいな・・)のが常であるが、この人の場合、そう終わらせようとしても難しいところがある。子供ながらにそれを感じ取ったのではないだろうか。
期待していた金は見つからないわ、植民地経営はうまくいかないわで信頼を失い、理解者でもあったイザベル女王も亡くなり、新王への謁見も許されぬまま亡くなった。
だがコロンブスの航海が切っ掛けでスペインは新大陸で莫大な富を得るわけであるが、そういうお宝満載のスペイン船を狙ったのがカリブの海賊(バッカニア)なわけだな。イギリスやフランス、オランダはスペインの国力を弱めるために、そういう海賊を支援。スペイン船なら襲っていいぞ・・みたいなお墨付きをもらって働く海賊行為を「私掠(しりゃく)」というらしく・・なんか漢字の使い方が逆で、なんで公掠じゃなくて私掠なのかと思うけど・・そういう国家公認の海賊行為のおかげでカリブの海賊は隆盛を極めたのであった。
ということで、スペインは「カリブの海賊」というアトラクションを喜ばないであろうな・・と思って調べてみたら、現状、スペインにディズニーランドはないようだ。
この「私掠」という行為は、ヨーロッパ各国の平和条約や、各国が海軍を整えだすと逆に邪魔になり、消えていくわけであるが、その波に上手く乗ったのがヘンリー・モーガンであり、翻弄されたのがキャプテン・キッドということになるのだな。
ヘンリー・モーガンはスペイン人の入植地パナマを襲い、廃墟にしてしまうなどの蛮行を働いたが、イングランドからはドレイクなどと同様、ナイトに叙せられ、ジャマイカ副総督の地位まで与えられる。しかし私掠の時代の終わりを象徴するかのように、彼は逆にスペインとの条約に基づき、海賊を取り締まる側に立たされるのである。モーガンはそれをしっかりやった。
逆にキャプテン・キッド(ウィリアム・キッド)の方は、私掠だけでは部下を維持できなくなり、海賊行為に手を染めざるを得なくなった。というか本国の方針や、ヨーロッパの戦争状態に関する情報が伝わってこないことも不幸の原因である。たとえばフランスと戦争状態にあるという認識で、フランス国旗をはためかせて商船に近づき、フランスの私掠船と勘違いした商船の船長がフランスの通行証を出したとたんに、イングランド船であるという正体を明かし、商船を拿捕するということもやっているが、実はイングランドとフランスの戦争状態は1年半前に終結していることを彼は知らなかったのである。また、フランスの通行証は持っていたが船はアルメニア商船で船長はイギリス人であるケースも間違えて拿捕してしまったり・・結局キッドはイギリスで絞首刑になり、死体にタールを塗られ、みせしめのために数年間さらされたという。
キッドは死ぬ前に自分の隠した財宝のありかを白状しており、実際にその場所で発見されているのだが、彼が掠奪したと思われる財宝の量に比べて少なかったことから、他に隠し場所があるんだろうと思われ、それがキャプテン・キッドの財宝伝説となり、スティーヴンソンの「宝島」やエドガー・アラン・ポーの「黄金虫」のモチーフになっていく。キャプテン・キッドって誰だか分からないのに、なぜ名前を知っているんだろうと訝しく思いながらこの本を読んでいたが、そういうことか・・と謎が解けた。
カリブの海賊が沈静化した後、地中海の北アフリカ寄りの地域・・トリポリ・チュニス・アルジェあたりのバルバリア海賊に焦点が当たる。ヨーロッパ諸国は条約を結んだり、貢納金を払ったりしているので、表面上は沈静化していたが、新興国アメリカは条約も貢納金もなかったのでやり玉に上がった。アメリカの中でも消極派と積極派に分かれ、・・そうかそうか、アダムス&ジェファーソン論争・・昔習ったなぁ。2代目大統領のジョン・アダムス派消極派で3代目大統領のトマス・ジェファーソンが積極派・・つまり断固闘うべしだったのだ。アダムスの時代、アメリカには国力がなかったから、戦いたくても現実的には貢納金で逃げるしかなかったが、国力がついてくれば、ジェファーソンのような考えが主流になってくるのは、その後の歴史が示しているだろう。アメリカの断固とした態度に動かされ、ヨーロッパも断固とした態度を取り、バルバリア海賊も沈静化していくのだ。
ウィーン会議って踊ってばかりという印象があるけれど、国際問題を解決するために世界各国の首脳が集まって会議を開くという意味では、重要な歴史上の転換点だったのだな。海賊問題はウィーン会議でまず問題提起され、ロシアが主戦派で各国が賛成に傾いたが、フランスが反対したせいでなかなか決まらなかった。議題はその後の会議まで持ち越されたが、最初は玉虫色の合意なれど、アメリカの態度にも影響され、最後には各国で連帯して海賊取締に当たることになったのだな。
ナポレオン戦争直後、先日まで戦っていたイギリスとフランスが合同で北アフリカ諸領に対し、バルバリア海賊を廃絶せよと通告しに行く場面は痛快だった。
本書にはこのほか、実在した女海賊の話なども載っている。海賊行為は悪いことなのに、なぜ人は「海賊」という言葉に惹かれ、「海賊」をテーマにした創作物語が人気を博すのであろうか。本書によれば、秩序に対する叛逆とか、国家に対する個人とか、管理に対する自由という側面から、海賊の暴力的側面以外の側面がクローズアップされるのではないか。。という見方を示している。
が、私はそれ意外にも、海賊行為が「私掠」という側面で、国家が応援した時代があり、その時代彼らは民衆にとって英雄であり、そういう風潮に影響された文学作品が残っていること、また絶対王政の時代にあっても、海賊の船長は選挙で選ばれ、海賊という共同体の中ではきちんとしたルールがあったこと・・という独自性なども魅力の一つかなぁと思う。
そういう意味では、日本でいう新撰組などもそれに当てはまるかなぁ・・・。