住友林業の最高顧問でいらっしゃる矢野龍さんの「私の履歴書」(日経新聞)の連載が終わったので、感想を書いてみようと思う。
最近、戦中戦後の大変な時期をこんなふうに生き延びましたみたいな話に興味を持つようになり、そういう話ってだんだん聞けなくなるのかなぁ・・と思っているのだが、矢野さんの話も壮絶だった。
水車小屋に移り住み、父なき一家4人が水車の横のおんぼろな板の間で1枚のせんべい布団にくるまって寝る。赤とんぼやイナゴを捕えて七輪で焼いて食べ、畦道の酸っぱい草も食べ、裕福な農家の手伝いをして家族のためにおむすびを4つ作ってもらって帰り、農家のみんなが入ったあとの風呂を借り、地元の相撲大会で買って賞金をもらう・・・。たくましいなぁ。その後、さらに引っ越した直後にその水車小屋は台風で流されたというから運も強い。川でコイを捕まえた時は、一週間くらい綺麗な水につけておかないと、臭くて食べられないとか・・。
英語の勉強といえば、当時はシェイクスピアだったらしいが、学生たちが講義して実用英語のカリキュラムが増えてきたんだとか。小倉港や門司港は外国船が入ってくるので、そういうところでもアルバイトしながら英語を学んだらしい。私は学生時代矢野さんより遥かに恵まれた環境にいながら、そこまで体当たりの勉強をしてこなかったことが悔やまれる。
住友林業に入り、シアトルに赴任。1回目は良かったが、2回目はセントへレンズの大噴火や、木材価格の下落に伴う訴訟に巻き込まれたりで大変な思いをしたそうだ。82年といえば、私がシアトル近くの高校に留学していた頃じゃないか。私は子供だったとはいえ、そんなことは何も知らなかった。
私は林業のことは今まで何も知らずにきた。でも増えゆくCO2を吸収する手段としてだけでなく、木の良さがいろいろなところで見直されている中、我々は恩恵を受けるだけでなく、守り育てて行くために、これまで以上に意識を高く持つべきなんだろうな。