さぶりんブログ

音楽が大好きなさぶりんが、自作イラストや怪しい楽器、本や映画の感想、花と電車の追っかけ記録などをランダムに載せています。

ランプレドットとトリッパの食べ比べ

2017-08-31 23:02:59 | 食いしん坊レビュー
7月始めに、イタリアの驚きの伝統料理に関するセミナーを聞きに行って、そこでランプレドットというフィレンツェの伝統料理で、牛の第4胃をメインに煮込んだものの存在を知った。そのことを当ブログに書いたら、中高時代からの友人が「期間限定だけど、日本でもランプレドットが食べれる店がオープンするよ」と教えてくれた。

▼イタリアの驚きの伝統料理に驚く。
http://blog.goo.ne.jp/y-saburin99/e/0b17a788e7067f74932dd40b32ed9ec5


とりあえずは本年9月までの期間限定店舗だそうなので急いで行ってきた。京浜急行線の梅屋敷駅近くにあるBELLA LUCEというお店である。


シェフは、フィレンツェのBELLA CIAOという有名店を経営されていた方。ちょうど日本に来られていて、日本滞在期間だけお店をやってくださるのだ。


まずはトリッパ(Trippa)が出て来る。トリッパはハチノス(牛の2番めの胃)をトマトソースで煮込んだ料理。

これは普通に美味しい。いやぁ~、正直日本のモツ煮なんかより全然美味しくて、やさしい味。

臭みはほとんどなく、胃によくトマトソースの味がしみこんで、とってもやさしく、癒し系の味になっている。正直同じソースでパスタを食べるより美味しいんじゃないかと思う。


トリッパを食べ進んでいるうちに、ランプレドット(Lampredotto)が出てきた(写真左)。ランプレドットは「牛の第4胃(ギアラ)」を野菜で煮込んだもの。トリッパはローマにもあることはあるが、ランプレドットは純粋にフィレンツェにしかないそうだ。

まぁ、同じ牛の胃なのに、何て風味が違うんだろう。トリッパの方が万人向きのような気がする、胃の味というよりもトマトの味です。しかしランプレドットの方は胃そのものに風味があり、個性を主張しているような気がする。あっさりしているが食べごたえもあり、通好みであるような気がする。

トリッパとランプレドットを交互にパンに乗っけて、味わいの違いを楽しみながら食べた。

両方ともとても柔らかくて食べやすいが、実はここまで柔らかくするために8時間も煮込んでいるそうな。牛の胃というものは実は硬いもので、最初に炭酸水で圧力鍋で煮て柔らかくするという工程が入っているようだ。

両方ともそんなに大きな入れ物に入っているわけではないのに、それぞれ1皿ずつ食べたら結構おなか一杯になった。それでもせっかく来たのだからもう1品食べたい。


ママさんのお勧めでニンジンのオレンジマリネをいただく。いや~ぁ、さわやかでとっても美味しく、あっという間に完食。

トリッパやランプレドットと合う味なので、一緒に食べたらもっとよかったかも。

9月までに、またここに足を運ぼうと思う。

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オクラと小ネギを間引く

2017-08-30 23:39:39 | やさしい園芸
水曜日はお水替えの日。

3本あったオクラの芽を思い切って間引いて一本に。小ネギの方は3本間引いて、残り4本に。


オクラの方は根を沢山張っているから、一週間で水がこんなに減っている。

ただここまで根を張られると、お水替えも大変なのよね。根を完全に外に出してしまうと入れるのが大変なので、水替えが出来る程度に蓋を開けて古い水を捨て、別のペットボトルで作った肥料入りの水を注ぎ込むことにしてみた。それでも結構大変。


ネギの方はまだ根をほとんど張っていないが、本葉が出そろったので、肥料入りの水にしてみた。

とりあえずは備忘録的に記録しておこう。

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余った鶏の皮でおつまみ

2017-08-30 23:18:02 | 下手くそ料理帖
今日はベランダ菜園の青じそを多めに収穫して、塩とオリーブ油、鶏胸肉と合わせて作り置きに。

もう一品、鶏胸肉と塩麹とシイタケスライスを合わせた作り置きも作った。

それぞれ冷凍して、数日後に解凍して焼いてみる予定。

ただ、両レシピとも、胸肉の皮は取り除けというレシピ。

私、胸肉についてる皮、好きなんだけどな。

ということで、皮を捨てたくないので、胸肉2枚分の皮を使って出来るレシピを探した。

▼鶏皮おつまみ♡さっぱり甘酢焼き
https://cookpad.com/recipe/499624

【材料】
鶏皮    2枚
片栗粉   適量
◎醤油   小さじ2
◎穀物酢  小さじ2
◎みりん  小さじ2
◎砂糖  小さじ1/2


鶏肉は食べやすい大きさに切り、片栗粉を混ぜる。


◎の調味料を合わせておく。


鶏皮を入れて、カリカリになるまで焼く。


◎の調味料を加えて煮からめる。


あさつき等を散らす。ま、私はベランダ菜園の万能ねぎで。

ちょっと味濃い目だけど悪くない。これでこれからは皮を捨てなくていいわ。

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【100分de名著】大岡昇平/野火

2017-08-29 23:23:56 | 読書録
なかなかテレビを見る習慣がない私。大河ドラマだけは一生懸命見続けているが、題名のない音楽会は最近見なくなっちゃったし・・・。

そんな中で最近「100分de名著」という番組がEテレにあることを知った。毎週25分×4回シリーズで毎月100分で名著を紹介していくコーナーである。

8月は大岡昇平の野火。ちょっといいなと思って見始め、4回全部見ることが出来た。

私はあまり小説を読まない人間なので、大岡昇平さんの作品は「レイテ戦記」など題名やどんな作品かはうすうす知っていて、若い頃から読もうとは思っていたのであるが、読み通す自信がなく、今まで来てしまった。それを解説付きでダイジェストをやってくれるなら、まずはそれを見てみようと思ったのだ。

大岡さん自身がフィリピンのミンドロ島サンホセに暗号手として軍務についていたが、マラリアにかかり、舞台から病兵として放置され、山中で気を失っているうちに米兵に見つかって捕虜とされ、レイテ島の病院、および収容所にいるなかで終戦を迎え、日本への帰国がかなったという経歴の持ち主。ご自身の経験だけでなく、レイテ島で戦った数少ない友軍兵士の生き残りの証言を拾い、「野火」や「レイテ戦記」「俘虜紀」などを書いたのである。

96%以上の日本兵が無くなったレイテ島。生き残った者として、そこで何が起こったかを伝えようと筆をとった大岡さん。「野火」では人間は極限状態でどうなってしまうのかを、田村というインテリな一等兵の口から語られるのだ。

悪だくみをして生き残ろうとするもの、人肉食など、人間の醜い姿が描かれ、一方で宗教的な幻想・・一種のハイ状態で見えるものも語られる。たぶん解説付きじゃなかったら、自分は読み通せないんじゃないかと思う。

現代国語が一番の苦手科目だった私。一週間に一回、もう一度国語の授業を受ける気分で、この番組を見ながらテキストを熟読し、私の乏しい読解力の向上と、名著に関わる見識のなさの払拭を図っていけたらなぁと思う。
コメント (1)
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無事帰還しました! 植物も無事!

2017-08-28 20:06:36 | やさしい園芸
さて、今回も猛烈に大変なスケジュールをこなして、無事帰還しました。

ドアを開けてみるのが怖かった、留守中のベランダ菜園も無事でした!


「水やり楽だぞう」はよく働いてくれてました。ペットボトルの水はほぼ空になり、盥の水も底にちょこっと残っている程度。


バジルの鉢の底から根が突き出てきてしまったのはちょっと困りましたが。


万能ねぎの方は、無事でしたが・・なんと、ペットボトルが1本倒れてました。2本やっといてよかったですね。

留守中すくすくと育ってくれていたみたいなんで、思い切って、(根元を残して)収穫して、納豆に混ぜて食べちゃいました。


ペットボトルのオクラ・・めちゃくちゃ育ってます。そろそろ間引いてやらないと・・・。


小ネギの方も、だいぶネギらしくなってきました。こっちもそろそろ間引きだな。

ということで、3日半家を開けましたが、何とか大丈夫でした。

11月中旬に中国へ行く時も、もしかしたらシソやバジルはもう季節ではないかもしれないけど、この方法で守ってみましょう。

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初めての特急はるか、初めての関空、初めてのLCC、初めてのジェットスター・・・

2017-08-28 19:30:51 | 鉄への道?
枚岡から近鉄奈良線で鶴橋まで行き、鶴橋から天王寺まで大阪環状線に乗り、天王寺から特急はるか(JR西日本281系)で関西国際空港へ。


281系は、今まで見送ることはあっても、乗るのは初めてだね。

関空といえば、いずれラピートにも乗りたいし、今回も南海か・・ちゃう・・何回か目にしたのだけど、ルートの関係でこっちになった。いずれまた・・。


ということで、初めての関西国際空港・・・わくわく・・と思いきや、入ってみれば、羽田や成田とあまり雰囲気は変わらないので、空港内の写真はこれだけ。


でもでも、ジェットスターは初めて。そもそもLCCも初めて。

今回、どうやって紀伊田辺に行くか・・ということで、相当みんないろんな行き方をしていたけど、やっぱりジェットスターか夜行バスが格安なので、それぞれ使ってみた次第。

だけど、今日みたいな動きをする中でジェットスターが本当に良かったかどうかは疑問・・というかきっと関西の人には笑われそうだけど、とにかく関空を使ってみたくて、LCCにも乗ってみたかったんで、まぁいいんじゃない?

その、LCCだが、乗ってみればとっても普通。注文したマフィンを食べながら、窓から雲海を楽しみ、成田空港の第三ターミナル着。この第三ターミナルというのも実は初めてで、へぇぇ~第二ターミナルまでずっと歩くんだ・・・・500メートル以上・・・。

ということで、LCCであるがゆえなのか、発着場所はそんなに便利ではないのであった。ま、千葉県在住なので、ほどよい時間に帰ってくることができた。

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大阪環状線(JR西日本323系)に乗った!

2017-08-28 15:30:27 | 鉄への道?
枚岡神社から関空に行く際、まず近鉄奈良線で鶴橋に出て、鶴橋から大阪環状線に乗って、天王寺に行き、天王寺から特急はるかで関西空港に行ったのであるが、その際に乗った大阪環状線は初めて見る車両だった。

JR西日本323系だ。なんだかカッコイイ。

どういうカッコよさかというと、ちょい悪な感じのカッコよさだ。JR西日本の車両って、何となく同じようなトーンの車両が多くてつまんないなと思ってたんだけど、これはイイ!


シートもデブにやさしそうな仕様である。


でも、このオレンジ色を見ると想起されるものがある。

↓これは2009年9月に大阪に行った時に撮った写真なのだが、


103系があったり、


201系があったりした。

当時、関東ではほとんど見れなくなった電車が大阪に行けば見れるということで、狂喜して写真を撮った覚えがある。

でも今回は103系はちらっと見たが201系は見れなかった。

調べてみると、103系は2016年からは323系に順次置き換えられており、2017年10月3日をもって、大阪環状線での運行は終了されてしまうんだって。
201系の方も、323系への置き換えが進んでいて、ほとんど残っていないようだ。

大阪へ行けば懐かしい車両に会える時代は終わろうとしているのね。



そういえば、かつて関西に行けばいたるところで目にしてたこの221系もあまり見なくなったねぇ。ムンクの叫びの手みたいな「先頭車間転落防止幌」も装着されてるし・・・。(221系についている「先頭車間転落防止幌」は細くて、ワイパーみたいに見えなくもないけど。)

ということで、まさに「いつまでも あると思うな この車両」ということで、写真は撮れる時に撮っておいた方がよいなと、あらためて感じた。

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枚岡神社(河内国一の宮)

2017-08-28 15:23:32 | 諸国一の宮巡り
今回の関西行き、最後の目的地、枚岡神社に、計画通りの時刻に到着。


近鉄奈良線の枚岡駅からすぐにまっすぐな参道が開けている。


この手水にはちょっと癒される。いろんな寺社仏閣に行ったけど、鹿のよだれみたいなのは初めてかも。
さすが、ここが元春日と言われるだけある。

ここにはもともと中臣氏の祖神である天児屋根大神(あめのこやねのおおかみ)と、比売御神(ひめおみかみ)を祀っていた。この二柱の神は枚岡から春日大社に分祀されたため、元春日と呼ばれるのだ。逆に春日大社からは奈良時代末期に武甕槌命(たけみかづちのみこと)と経津主命(ふつぬしのみこと)が配祀された。いずれも中臣氏とつながりの深い神である。


手水のところから程よい感じの階段を登って、


拝殿前に出る。


まずは拝殿前で拝む。


そして、拝殿のうしろをちょっと覗いてみると、本殿が並んでいるのがちらっと見える。社殿が4つ並んでいて、それぞれ先ほど言及した4柱の神様が祀られている。
第1殿 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
第2殿 比売御神(ひめみかみ)
第3殿 経津主命(ふつぬしのみこと)
第4殿 武甕槌命(たけみかづちのみこと)


なかなかよく見えないので、右側に回ってみる。


少し奥に入ってみると、やっと赤い本殿が見えた。

これは私が持ってきた解説本を見ると、木部に彩色を施していることが特徴の枚岡造りと称されているのだが、ウェブサイトなどで調べてみると春日造だということになっている。

屋根が曲線を描いて反り、正面に片流れの庇(向拝)をつけているのが春日造の特徴だという。

そうすると今日一日で、大社造りからの流れ、大鳥造、住吉造、春日造と続けて見れたことになる。


そろそろ帰途に付こうとしたとき、ふと脳裏に浮かんだことがある。

お寺にはない神社の魅力って何だろうということ。

拝殿から奥まったところに美しい本殿が並んでいる。今日訪れた神社は田辺の闘鶏神社も含め、全部その形式である。

奥にずらっと並んだ本殿の姿が心の琴線に触れたような気がした。まさに奥ゆかしいというか、奥の方に大事なものがあることが神社の魅力なんじゃないかと思ったのだ。

無論それはお寺もそうなのかもしれないけど、綺麗な社殿を奥の方に沢山立てて、それぞれに神様が祀られていることに、さらなる丁重さを感じるのだ。

社殿の中にあるものは直接見ることはできないが、おそらく仏像のように具体的な形があるものではない。なにかシンプルだが、私たちの魂を揺さぶるものが入っている。昔の人が山や滝を見て、そこに神様を見た、その源流がこのお社の中に引き継がれていると思うと、とてつもない郷愁を感じるのである。


御朱印をいただいて関空に向かう。






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南海と近鉄奈良線の乗り継ぎ

2017-08-28 13:11:55 | 鉄への道?
住吉大社から枚岡神社に向かうために、南海と近鉄奈良線を乗り継ぐ。これがなかなかどうして・・・・楽しかったのだ。


まずはホームで関西限定FIREを飲む。クリームが濃厚で甘みも強い。でもちばらぎのMAXコーヒーよりは節度のある甘さ。


実はさっきも関西限定のBOSSを飲んだばかり。私は限定ものに弱い。


さて、美味しくコーヒーを飲んでいると、ラピートがひょ~っと通り過ぎて行った。


バイバイ~いつか乗るからね。


で、結局乗ったのはこれ。南海電鉄7000系。こっちも清潔感がある色彩が好きよ。小田急みたいではあるけれど、白は化粧をしたみたいに白く、オレンジのラインが一本入っているだけで、とってもおしゃれに見えるわ。

難波で近鉄奈良線に乗り換え。


これは近鉄1230系。まぁ、なじみのあるデザインだわね。


この仮面ライダーV3みたいの何だろう~と思って探しても近鉄の車両の中では出てこない。これって阪神1000系なんだって。かっこいいね。V3みたいで。


しかし、本日私のハートをくぎ付けにしたのはコレ。近鉄5800系(シリーズ21)。

う~ん何かに似ている・・何かに似ている・・・


これだぁ~!


というのはいいとして、中は快適。通勤系なのに、贅沢なシートの使い方。

何よりも素晴らしいのはシートの一番端。ドア脇に立つ人のお尻や荷物から、座っている人の肘を守るやさしい設計になっており、ドア脇に立つ人も安心して寄りかかれる仕様になっている。

クロスシート的な要素を持ったロングシートとでも言うんかな。この発想はなかった!・・とか思ってたら、これは閑散時はクロス・混雑時はロングシートに転換できる車両なんだってね。愛称はL/Cカー。そうか~立ってる人の尻から腕を守るのが主眼じゃなかったんだな。まぁいいや・・・。この形ではなく普通のロングシートにすれば多分もう1人座れるだろうと思うけど、まぁそこは仕方がないね。


運転席戸袋付近のこのステッカーは何かというと、阪神~近鉄の相互直通運転開始にともない、阪神線乗り入れ対応車に貼ったステッカーのようだ。
それで、逆に阪神の車両も近鉄奈良線に入ってきていたわけか~!

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住吉大社(摂津国一の宮)

2017-08-28 12:26:26 | 諸国一の宮巡り
「住吉」と聞いて思い出すのは、剣道部の先輩・・も、そうなのだが、大江山の酒呑童子の話かな。

確か、源頼光一行を酒呑童子の元に道案内し、秘策や重要アイテムを授けた3人の翁の内の一人が住吉の神様だったよ。

でも、住吉さまのお社にお参りしたことがなかったのよね。半蔵門線の住吉駅は住吉さまとは関係ないという話だし、東急線の元住吉にも住吉神社という神社があるが祀っているのは住吉さまではないみたいだし・・・というのは今調べた話。なぁ~んだ関係なかったんだ。ずっと気になっていたのに。

ということで、生まれて初めて住吉さまにお参りができるのだ。具体的には底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)という三柱の神様の総称が、住吉大神なのだそうだ。

大鳥神社をあとにし、三国ヶ丘で仁徳天皇陵を横からチラ見、南海高野線準急で天下茶屋まで行き、引き返して住吉大社へ。


駅前を路面電車が走っている。これは阪堺線らしい。


で、阪堺線の線路を超えて、向こうに住吉大社が見えるんだが、なんか異様にデカい太鼓橋が見えるんだけど・・・。


いやぁ~デカいよコレ。登れるかしらん。小さい頃、たしか二つ太鼓橋がある神社に行き、小さい方は渡れたけど、大きい方は渡れなかった挫折の記憶がよみがえってきた。


でも、近くに寄ってみると一応階段がついてることがわかり、この角度でも登れた。実際には太鼓橋とは呼ばずに反橋(そりはし)と呼ぶらしく、鎌倉末期にはその名がみえるものであるが、現在の石の橋脚・梁部分は慶長年間(1596-1615年)の淀殿奉納当時のものが残されているそうだ。


特大反橋を上り下りした興奮冷めやらず、鳥居と楼門をくぐると、さらに興奮が待っていた。


わ~、素晴らしい。


この眺めはきっと外国の方に喜んでいただけると思うよ。


第一~四の四つの本宮があり、それぞれこのように並んでいる。第一本宮には底筒男命、第二本宮には中筒男命、第三本宮には表筒男命、第四本宮は神功皇后が祀られている。

何故神功皇后かというと、ここに住吉大社があるのは神功皇后に由来するといわれているからである。伝えられているところによれば、神功皇后が仲哀天皇の遺骸をとりおさめて回路より都に向かわれた時、忍熊王の反乱にあって立ち往生。占ったところ住吉大神が出てきて、「我が魂をまさにこの住吉の地に居らしめなさい・・そうすれば船の安全を見守ってやろう」と言われたので、ここに住吉大神を鎮座させ、無事都に帰ることが出来たという話である。


大社造を一歩進めた大鳥造を、さらに一歩進めたものがこの住吉造だという。前にあるのが幣殿で、後ろにあるのが本殿。


これは第二本宮の本殿を後ろから見たところ。今日、いままでに見た神社は本殿が奥まったところにあり、あまりよく見えなかったが、住吉大社ではしっかり後ろまで見れるところがありがたいね。


これが第一本宮。


振り返ればなんと華やかで明るい気分になることか。


古びたわびさびもいいけれど、こういう朱色もいいねぇ。


ああ、満足度、全開!

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大鳥神社(和泉国一の宮)

2017-08-28 11:00:40 | 諸国一の宮巡り
今日は、田辺の闘鶏神社を始め、大鳥神社、住吉大社、枚岡神社・・と回って、関空から帰途についたのであるが、いずれも拝殿から本殿を拝む形式である。

こんだけいちどきに神社を見ると、自分に建築の知識がないことについて忸怩たる思いを覚える。

ただ今回面白かったのは、そんな私にちょっと知識がついたかな・・ということろ。

日本の神社建築は古代の住居が元になって発展したものである。(私が竪穴式住居を復元したものを見ると萌えるのはそのせいでもある。)

出雲大社の大社造を最古のものとして、大鳥造、住吉造、春日造と発展するものと、伊勢神宮の神明造から流造へいくものの二つの大きな流れがあるとか。

今回は大社造の発展形である大鳥造と住吉造について、それぞれその建築様式を代表する神社を回れたというのは自分にとって価値あるものかもしれない。


冒頭の写真が拝殿で、脇に回って本殿方向を観ようとするが、なかなかよく見えない。


よく見えないので、境内にあった配置図を載せておこう。

この大鳥神社は、大鳥大社とも呼ばれるが、大鳥連祖神(おおとりむらじのみおやがみ)と日本武尊を祀っている。
大鳥氏は中臣氏と同祖とされるので、祖先神とは天児屋根命(あめのこやねのみこと)ではないかと言われている。


日本武尊は死後に白鳥となって飛び去り、最後に当地に来て留まったことから社を建立して祀ったとも伝えられる。


御朱印をいただいて、鳳駅へ戻る。

大鳥神社は堺市にあり、近くにあこがれの仁徳天皇陵がある。近くにあるけどと1ても行っている時間がないなぁ・・と思っていたが、予定よりちょっと早く鳳駅に戻ってきたので、あらためて路線検索をし直すと、予定していたルートと異なる、南海を使うルートが現れた。ということは、仁徳天皇陵の最寄りの三国ヶ丘駅を通るわけだ。


車窓から見えないかなぁ・・と眺めていたら、木々が整然とずらっと並んでいるところが出てきて、あそこかなぁ・・と思っているうちに通り過ぎてしまい、写真が撮れなかった。

というか真横から見ても全然わかんないね。

この写真は南海の三国ヶ丘駅ホームから撮ったもの。向こうに見える緑は、仁徳天皇陵かもしれないけど、よくわかんないね。

職場の人に「堺市役所から見ると、古墳の形がきれいに見えるよ」と教わったから、いずれ行ってみたいものである。

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紀州路快速(JR西日本225系電車)に乗った!

2017-08-28 10:48:05 | 鉄への道?
紀伊田辺から福助みたいなパンダトレインの特急くろしおに載って、大鳥神社に向かう。途中、日根野で紀州路快速に乗り換えて、鳳(おおとり)まで乗る。

JR西日本225系電車だが、電車の顔の脇についてる、ムンクの叫びで言えば両手に当たる部分・・・これは何なのであろう。まさか、顔を守るためとか・・・。


を、向こうからもう一台来たぞ。連結するのかなぁ。ワクワク。


見合って見合って・・・こっから先は動画にて。


どうやら、連結部分の安全にかかわるパーツであることは推察できた。

だが、先頭車両同士が貫通して、人が行き来できるわけでもないのに、何故だろう。

調べてみると、この部分は「先頭車間転落防止幌」と呼ばれることが分かった。

2010年12月に舞子駅で発生した乗客転落死亡事故(先頭車両の連結部分でホームから人が転落)をきっかけに取り付けられるようになったものだそうだ。


なるほど通常の車両間には、幌が取り付けられているため、この部分のホームと車両の間隔は狭い。

しかし連結部分にもし幌が無かったら、そこの部分は車両とホームの間隔があいてしまい、運悪くホーム上でそこの近くに立っている人が落ちそうになった場合、守るものがない。

なるほど、この部分は、電車の顔を守るためでも、電車の中の人を守るためでもなく、ホーム上の人を守るためのものだったのか。
コメント (2)
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パンダくろしお『Smileアドベンチャートレイン』に乗る!

2017-08-28 08:56:10 | 鉄への道?
楽しかった紀伊田辺ともいよいよお別れです。

激しい朝散歩のあと、ホテルで朝食を済ませ、大荷物も宅急便に出し、チェックアウト。


来る時、撮りそびれた紀伊田辺駅。こんなに可愛い。


駅のホームにこういう展示があるのはよいですね。

さて、大鳥神社に向かうために特急くろしおを待ってたら、パンダの顔が迫ってきた! ギャー!

でも、よく考えるとこのラッピングは正解ですよ。だってラッピングのないJR西日本287系って、当ブログでも既出だけど、こんなですもの↓。


ちょっと顔が冷たすぎるでしょう?

パンダの顔になってて、ちょうどいいかも。・・・っていうか、パンダに似てるかもしれないけど、福助に似てるよねぇ。頭青いし。


ちょうど田辺に一緒に来たオペラ仲間の一部が、今日アドベンチャーワールドに行って、パンダ見るって言ってたよ。


動物好きの私にとっては、こういうのは嫌いじゃないけどね。


車内もパンダだらけ・・・でも黒耳がどうしても眉毛に見えるの・・・。

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鬪雞神社(とうけいじんじゃ)と弁慶

2017-08-28 08:17:27 | ただの日記
田辺城水門跡から紀伊田辺駅の方に戻って来て、鬪雞神社(略して闘鶏神社と書かれていることもある)に行ってきた。


この神社は2016年10月に世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に追加登録されている。

私は熊野が好きで、熊野那智大社には2回行ったし、新宮にも若い頃行ったのだが、本宮にだけ行けてないのだ。そうか~、本宮って田辺市だったんだ・・ということを知ったのは、カルメン公演で田辺入りしてからだ。今回は本宮まで行っている時間はないのだけれど、いずれまた絶対来よう・・・また田辺公演があるといいな。

そんな本宮に行きたくても行けない私のような人のために・・・と言ってはなんだが、紀伊田辺の駅からほど近くに熊野の雰囲気を味わえる鬪雞神社がある。

しかもこの鬪雞神社は、熊野本宮大社が川の増水で流失する以前の社殿の形を再現しているんだとか。


本殿に祀られているのは伊邪那美命。


しかし、ここには本殿以外にもびっくりするほどたくさんのお社がある。

社殿は6棟あって、向かって左から西御殿、本殿、上御殿、中御殿、下御殿、八百萬殿となっていて、本殿の前に拝殿がある。

それぞれのご祭神は以下の通り。

西御殿:速玉之男命・事解之男神
本殿:伊邪那美命
上御殿:伊邪那岐命・天照皇大神・宇賀御魂命
中御殿:瓊々杵尊命・鵜草葺不合命・火々出見尊・天之忍穂耳命
下御殿:火産霊命・弥都波能売命・稚産霊命・埴山比売命
八百萬殿:手力男命・八百万神

・・・すごい・・・・。

で、この神社がなぜ鬪雞神社(闘鶏神社)と言われるか・・・なのであるが、・・・ちょっと話は長くなるのだが・・・


今年は田辺が生んだ著名人、南方熊楠生誕150年であり、各所にのぼりが立っている。
でも、田辺が生んだ著名人の中にはもっと有名な人がいる。もっと、誰もが知っている人。


それが弁慶である。いやぁ~弁慶自体は有名人だけど、田辺ゆかりの人だとは知らなかった。(何故に武蔵坊なのかっ?)


昨日、オペラ仲間と一緒に行った温泉の名前も「弁慶のさと湯」だ。

・・・・・

ただ弁慶が田辺出身だったというのは一つの有力な説にすぎないのだという。その根拠は「義経記」の記述によるというのだが、「義経記」って室町時代に成立した物語である。義経や弁慶が亡くなってから200年以上経っているからなぁ~。というのは置いといて・・・


鬪雞神社のすぐ近くに、弁慶生誕の碑というのがある。


そもそも鬪雞神社の中にもこんな像がある。


つまり義経は、熊野ゆかりの弁慶を使って、熊野水軍を味方につけたということなのだそうなのだ。弁慶の父が、熊野水軍の統率者である熊野別当湛山という人物であったというのだ。弁慶は湛山を説得。湛山は白い鶏7羽と紅い鶏7羽を闘わせて神意を確かめた結果、白である源氏に味方することを決めたのだそうだ。この故事から古くは新熊野鶏合権現(いまくまのとりあわせごんげん)とか新熊野闘鶏権現社(いまくまのとうけいごんげんしゃ)と呼ばれていたが、明治の神仏分離令以降は、鬪雞神社と呼ばれるようになったのだそうだ。

弁慶というと単なる暴れん坊の力持ちというイメージを持っていたが、ちょっと印象が変わったかも・・・ま、それが史実ならば・・・だが。

とはいえ、私は弁慶が昔から大好き。弁慶の眉毛の真似は若い頃からの持ちネタで・・・(以下自粛)


尚、境内には藤厳神社という別の神社があるが、そこに紀州で梅が名産となった経緯が書かれていた。田辺領内は耕作不能な土地や痩せた土地が多かったため、安藤直次(安藤帯刀)公が、やせた土地でも作れる梅の栽培を奨励したことに始まるそうだ。

私はあまり梅干しを食べないので、紀州の梅と聞いてもあまり興味がなかったのであるが、そういう歴史的経緯を聞くと、もっと食べてもよいのかな・・と思ったりする。


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田辺城址

2017-08-28 06:30:01 | ただの日記
昨日のレセプションで、田辺の方に「田辺城なんて、なんもあらへん」ときっぱり言われてしまい、会話に詰まった私なのであるが、だからこそ絶対行ってやる! と今朝は早起き。

昨日は、カルメン本番、およびレセプションの後、オペラ仲間と「弁慶のさと湯」という温泉に行き、その後ブログも書かずに寝てしまったので、鋭気が養われた感じ。

朝、6時にはホテルを出て、きのうもらった地図とスマホを頼りにてくてく。順調にいけば20分弱で着く道のりだそうだが、なにせ知らない道だからねぇ。


途中、東京でよく見る赤い銀行に出くわす。う~ん、これを見てると田辺にいることを忘れそうなんで、さっさと通り過ぎよう。

途中細かくて細い道を通りながら近道をする。


わ、見えてきた。城址の一部が神社&公園になってるんだ。


関ケ原の戦いの後、紀伊国に入国した浅野幸長の執政・浅野左衛門佐氏重(あさのさえもんのすけうじしげ)によって築城されている。和歌山城が浅野氏の城から、紀州徳川家の城となると、田辺城には家老の安藤氏が入った。初代が安藤帯刀直次。老中まで務めた人間である。田辺城は和歌山城から見れば家老の城かもしれないけど、それは紀伊徳川家がトップだからで、老中まで出した城であれば、普通の藩だったら藩主級の城なんだろうな、と思う。ただ徳川幕府は一国一城制を取っていたから、表向きには館と称していたようである。


これは先日和歌山城近くで見た「わかやま歴史館」の展示だが、広大な紀州藩は和歌山城だけではなくて、各地に城郭があったが、特に田辺城と新宮城の役割は重要であったのだ。


さて、神社の脇の古めかしき、石段を下りて行くと、まさにここが田辺城の遺構の埋門型水門なのであった。


この部分、絵画的にもとても素敵で、見ごたえがある。


水門とそれに続く石垣は、打込接で作られていて、人工美と自然美のバランスが取れた、大変美しい出来になっている。

あまり和歌山城のことを引き合いに出すと、田辺の方は喜ばないかもしれないが、実は和歌山城に行った時、立ち入り禁止になっていた部分があった。
それがコレ↓

埋門(うずみもん)だ。

さっき、田辺城の水門の階段を下りながら、まさに和歌山城で立ち入り禁止だった場所を下っているような不思議な感覚に陥った。つまり和歌山で見れなかったものを田辺で見れた・・・ということで、気持ち的には大満足になったのである。

水門の先には何があるか。


まずはこの会津川の河口。


そして海!


田辺に来てまだ海が見れてないことが心残りだった私、これでとっても気分的にリフレッシュされたのであった。

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