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昭和の野菜感

2015年05月10日 | うんちく・小ネタ



帝塚山大学の稲熊博士は、日本人には野菜に関するこだわりが3つあると論文誌上で語っています。それは、「色で分類する」「葉、果、茎、根それぞれの部位を利用する」「季節で食す」の3つだとか。

●色で分類
緑黄色野菜、淡色野菜という分類は日本独自であり、色で栄養素の摂取を想起させる食育は理にかなっている。米国でも、食事バランスガイドで色分類を取り入れ始めた。
 

●葉、果、茎、根
大地の恵みに感謝し、すべての部位を一番おいしい状態で利用するのは日本人の得意技。

●季節で食す
春の山菜、夏のトマト、秋ナスに冬大根。こんなぜいたくは日本にいればこそ。



ここにもうひとつ加えてほしいのが「昭和の食卓」です。
茹でたジャガイモだけを家族で囲んだ夕食、出回り始めたマヨネーズに馴染めずいつも通り醤油をかけて食べた千切りキャベツ、焼きナスの皮をあちちと剥く母の後ろ姿。
そして、祖父と食べたトマト。



それは今から大昔の小学校時代の夏休み、親戚の田舎に遊びに行ったとある昼下がり。

祖父は私を流し台に誘いました。「トマトを食べないか」二つ返事で冷蔵庫を目指した私の腕を掴み、祖父は「トマトはここにある」と茶箪笥の引き戸を開けたのです。
闇の中に真っ赤に熟したトマトが座っていました。生ぬるいトマトは暗いジントギ流し台の色とともに記憶に焼きつきました。

「どうして冷蔵庫に入れないの?」

「冷蔵庫に入れるとお嫁さんに使われちゃうんだ。じいちゃんのトマトって書くわけにはいかないだろ」

祖父は少し顔を曇らせてこう言いました。



聞くんじゃなかったと後悔。そのくらい10歳程度の小僧にだってわかります。
男二人のデザートタイム。思い出すに哀しい味。茶箪笥で追熟されたあの日のトマトはイタリア産のように旨く、チリ産のように甘く、タイ産のように酸っぱかったのです。

祖父の全人生を詰め込んだ味…と言えたかも知れません。
飽食ニッポンでこんなセンチメンタルジャーニーは笑われるかもしれませんが、それが私達の時代であり私達の野菜感なのです。

切ない食卓は、時に健康成分より胸にしみるのです。