風塵社的業務日誌

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無謬性の神話

2009年06月05日 | 出版
7:00前、ボケーと起き出し、ニュースを見ていると、どこもかしこも菅家利和さんが釈放された話題で持ちきりだ。そのこと自体は非常にめでたいとは思うが、菅家さんを犯人扱いした報道を行った(にちがいない)メディアは、自己責任をどう取るつもりなのだろうか。
「当時の刑事、検察官に謝ってほしい」と菅家さんは語っているが、マスコミも、「警察発表にもとづく一方的な報道をしてしまい、菅家さんに、大変ご迷惑をおかけしました」と素直に謝罪すべきだろう。マスコミは手の平を返したかのように警察捜査を批判しているが、お前らも同じ穴の狢じゃないかと、見ていて感じてしまう。マスコミと書いて「恥知らず」とルビを振るにちがいない。
昨年10月に処刑された久間三千年(くま・みちとし)さんの「事件」も、DNA鑑定がその証拠とされ、本人は冤罪を主張していた。彼の主張の内容は『命の灯を消さないで―死刑囚からあなたへ 105人の死刑確定者へのアンケートに応えた魂の叫び』(インパクト出版会)に詳しいらしいが(小生未読)、古い方式でのDNA鑑定が菅家さんの件で見直されるようになれば、久間さんも無実が証明された可能性が高い。
しかも久間さんの場合は、当時から、第三者によるDNA鑑定で一致する確率は低いとされていたうえ、突如、証拠物件が現れるなど福岡県警の強引な操作が疑問視されていた。誤審を明らかにされたくなくて、無実を訴える彼を処刑して、口封じしてしまったのだろうか。小生にはその余裕がないので無理であるけれど、どなたか久間さんの無念を晴らし、名誉回復してもらいたい。
菅家さんも、警察に髪の毛を引っ張られたり、蹴飛ばされる拷問を加えられたと発言しているが、久間さんもきっとひどい目にあったのだろう。富山冤罪事件の柳原さんも、「自殺を図るまでに追い詰められ」「狭い取調室で一時気を失うほど消耗」(「救援」482号から)するほどの、ひどい取り調べを受け、意識朦朧となったところで逮捕状の執行となっている。「取り調べの可視化法案」が問題となっているが、現状では、身柄を確保されてしまえば、結局何をされても表沙汰にしにくいのではないだろうか。
鬼畜米国では、2000年代に入り、死刑判決も執行も減少しているらしい。その結果、全米で14個の州が死刑を廃止し、残りの36州中8州で死刑を廃止・制限する法律が提出されている状況なんだとか。その大きな原因として、DNA鑑定などが進歩したことにより、冤罪だったことが明らかとなるケースが続出したからだと言われている。過去の誤りに対して潔いことは、いくら鬼畜といえども、ほめてつかわそう。
「科学的」と言われるもの、「科学的」な意匠をこらしているものほど、インチキ臭いものはないし、多くの人をだましてしまうから罪深いともいえる。現行のDNA鑑定を含めて、そのメカニズムの理化学的な説明が、裁判官なんかにわかるわけがないし、もちろん小生も知らない。そういうブラックボックスを本来は「科学」とは呼ばないのであるが、しかし「科学的」な説明を押し付けられると、わかりませんと言えないから、許諾の判子を押してしまい、その結果が冤罪事件となっている。
これは浅野健一氏が主張していたことだと思うが、裁判官は少なくとも重大事件に関しては、判決後に記者会見を行うべきである。オープンな議論が存在しないとなれば、言論の自由という言葉が空洞化するだけだ。裁判官も人間である以上、過誤が付きまとう。その過誤が発生したときに、それをチェックする機能が必要である。三審制だけではチェックできないというのは、すでにこれまでの冤罪事件が物語っている。判決について、裁判所の機構内だけではなく第三者にオープンにすることによって、そのチェック機能をさらに厳重にできるはずだ。
その問題は、裁判員制度として国民が裁判に参加することとは、本質的に異なっている。なぜなら、裁判員制度には守秘義務が徹底されることだろう。それではオープンな議論とはなりえない。国民を人質に取ることにより、判決の正統性をより厳格に国民に押し付けるものでしかない。
そうではないのだ。人間は誰もが間違いを犯すものであり、その間違いが発生したときに、制度としてどのように修正していくかが大きな問題であるはずなのに、制度として間違いがないような振りをしてしまうことに力を注いでいる。これでは制度が内部から腐食して、住みにくい国になっていくだけである。
そういえば、その浅野健一氏であるが、『週刊文春』にセクハラ教授と書かれた件については、2審判決(大阪高裁)でさらなる勝訴を勝ち取ったようだ。『週刊新潮』ではないが、『週刊文春』も、誤報を発表した責任をどう取るつもりなのだろうか。裁判所が文春に言い渡した550万円という賠償金額が、妥当なのかどうかは小生にはわからないけれど、週刊誌は自ら滅びの道をたどっているようにしか見えない。文春が最高裁まで争うつもりなのかどうか知らないが、素直に、さっさと謝罪広告でも掲載した方が潔い。いまどき、週刊誌に無謬性なんて、だれも求めていないだろう。
命の灯を消さないで―死刑囚からあなたへ 105人の死刑確定者へのアンケートに応えた魂の叫び

インパクト出版会

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