風塵社的業務日誌

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追悼、T先生

2022年05月07日 | 出版
学生時代の恩師であるT先生の訃報の連絡が、某日夜、小生のケータイのショートメールに飛び込んできた。享年92歳だそうである。大往生だ。長命でなによりではあるけれど、まずは合掌。先生に初めて出会ったのは、小生が二十歳ソコソコのときだったと思う。ずいぶんとお歳を召されていたように感じたものではあったけれど、振り返ってみれば、現在の小生の年齢とさほど変わっていないようにも思う。しかしそのため、先生のことを陰では「クソジジイ」と敬愛の念をこめてお呼びさせていただくことになった。または、ボウボウと伸ばされた白髪がただものではない風格を現していたので、「ライオン丸」などと呼ぶこともあった。
先生は某アホ大学の文学部インド哲学科(コース名の正式な名称などとっくに忘れた)の教授をされていた。小生も文学部には制度上所属していたものの、インド哲学科には進んでいない。そもそもがサンスクリット語なんて勉強するのも面倒だし、仏教をはじめとしたインド哲学に関心などない。したがって、先生とは学問上の師弟関係ではない。小生が移り住んだ学生寮の親分がT先生であったというだけだ。
さて、以前にも先生の思い出は断片的に記してきたはずなので、今回はそれと重複してしまう部分が出ることはご容赦いただきたい。
小生は一浪して信州の山から降りてきて福岡のアホ大学に進学したものの、当然ながら入学式なんて出るわけもない。ガイダンスかなにかがあり、仕方なく初めて学校に行ってみたら、こちらも生意気だったので周りの連中が全員阿呆に見えてしまい、3秒でその大学に進んだことを後悔してしまった。以来、なるべく塀のなかには入らないようにしていたら留年はしてしまう、生活には追われると散々な境遇に陥ってしまうことになる。おかげで、ずいぶんと不貞腐れた日々を送っていた。そこで、食事付きなのに寮費が安いという理由で転がり込んだのが、先ほどの学生寮であった。一応は大学と関係のない社団法人の運営する寮である。
そこで新入寮生歓迎の飲み会を何十畳かはあり、何十人は入れる広い仏間で開くことになり、先生もその場に来られた。先生には初めて会う学生の名前を手帳に記す習慣があり、小生も氏名をたずねられた。そして「学部は?」とたずねられたので「文学部です」と答えたら、「卒論はなにをテーマにするつもりだ?」と聞かれた。こちとら、はふはふの体でようやく学部に進学したばかりである。卒論なんて考えているわけもない。そこで冗談で「福岡中洲・赤線の研究でもしてみたいと思います」と元気よく述べてみた。すると先生の表情に、一瞬、怒気が浮かぶ。そこで「こいつも冗談のわかんねえやつかなあ」と小生が内心思っていると、先生は冷静さを取り戻し、「実はなあ」と語りだした。
その語りの内容というものが、若くてまだ童貞であったころ、押さえ切れない性欲を我慢できず女郎屋に行こうと決意したことがあったらしい。しかし、なかに入る勇気がなかなかわかず、その店の前を行ったり来たりしたものだ、というものであった。しかもそれを、腕組みし背を丸めて悩んでいる様子を再現しながら話すから、単純な小生などギャハハハと笑いながら一発で先生のことを尊敬するようになったわけである。イン哲なんていう、世俗の煩悩を超越することを研究しているはずの教授が、おのれの煩悩の一場面を赤裸々に語っている。そういう人物に出会えたことに感動を覚えたのだ。
そして、先生と出会い、その学生寮に住み始めたことにより、小生の世界は急速に広がっていった。先生に小生の存在を認めてもらい、それがなんらかの自信へとなった面もあったのではなかろうかとも思う。福岡に暮らすようになってから話の合うやつとはめったに遭遇しなかったけれど、それでも自分はこれでいいのだという自覚を持てたということなのかもしれない。
先ほど述べた社団法人のトップがT先生だった(と思う)。それで先生はたびたび寮に足を運んではわれわれクソ学生どもと酒を呑み、クソくだらねえ議論をすることになったわけではあるものの、おそらくは、先生ご自身もそうした旧制大学的な雰囲気を楽しんでおられたのではないかと想像する。そして「おい腹巻、よく聞け」と何度か、ご高説という名の説教をたまわったものである。繰り返すが小生はただのクソ生意気なガキだったので、そうしたご高説など素直に聞くわけがない。つまんねえ反論を意地でもすることになる。先生、おかげさまでいまだに大人気のない大人のままです。
先生からなにかを体系的に学んだわけではない。また、人として生きる方途を教わったわけでもない。しかし先生との出会いは、そういう瑣末な次元に落とし込める経験ではなかった。目の前の問題にばかり焦点を絞り込むのではなく、常に大らかさを心がけよというのこそがクソジジイの求めていた世界像ではなかったのか、と勝手に想像してみる。こんなクソ生意気なだけのクソ馬鹿に、いつも真摯にお付き合いいただき本当にありがとうございました。そのご恩は忘れようもないです。安らかにお休みください。

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