風塵社的業務日誌

日本で下から258番目に大きな出版社の日常業務案内(風塵社非公認ブログ)

鎌倉へ(2)

2018年11月29日 | 出版
北鎌倉の駅頭に素朴な雰囲気の中華屋さんの暖簾を発見し、小生にしてみたらものすごく入ってみたい気分になってきた。要するに、鎌倉文化人をウリにしているような意識高め系ですよ的なお店には関心が湧かないのだ。しかし、ミーハーな妻にしてみれば、そっちの方が楽しいにちがいない。さて、ではどうやって妻をだまそうか。「もうお昼になるし、いまからお店を探しても、どこも並ぶことになると思うよ。それだったら、目の前のあ . . . 本文を読む

鎌倉へ(1)

2018年11月28日 | 出版
実りの秋、あちこちから野菜やらお米やらをいただき、大変に助かっている。この夏は暑すぎて野菜の収穫量が落ちていたように思うが、秋となって例年並の取れ高となってきたのだろうか。スーパーに行けば、大根の値段も下がってきている。そういえば、E氏から宮城のおでん大根なるものをいただいた。Aさん宅の裏の畑で採れたもののおすそ分けである。ところがこの大根。なんと普通のものの3倍くらいの太さなのだ。それで、おでん . . . 本文を読む

タイムスリップしたゴーンちゃん

2018年11月26日 | 出版
ゴーンちゃんが有価証券報告書の虚偽記載で逮捕されて、世間は大騒ぎである。個人資産としてはとんでもない金額を、トップの指示とはいえ会社ぐるみで隠蔽してきたのだから、これだけの騒ぎになるのは無理もない。そして、実はこんな話もある、あんな話もあると検察情報を小出しにマスコミが後追いで流し続けている。話の規模が大きいから、そうしたがるマスコミの気持もわかるし、そうやっておのれに有利に世論誘導しようと目論む . . . 本文を読む

中目黒へ(2)

2018年11月20日 | 出版
それにしても、中目黒は小じゃれたお店が妙に多いところだ。昔、某打ち合わせのためちょくちょく中目黒まで出かけていたものであったけれど、当時はそんなにおしゃれでもなかったように記憶する。落ち着いた住宅街という感じで住みやすそうだなあとは思ったものの、若者がいっぱいというような雰囲気ではなかった。 それはともかく、急な坂を上り始めたら意外に走れる。その坂は2層になっていて、下から行けば高架の手前までとそ . . . 本文を読む

中目黒へ(1)

2018年11月19日 | 出版
某土曜日、畑で採れた春菊とブロッコリーをYさんから山ほどいただく。レジ袋二ついっぱいにぶら下げて帰宅。小生は虫がきらいなので、早速水洗い。春菊から数匹出てきたけれど、不思議なことにその葉っぱには虫食いの痕がほとんどない。虫ども、春菊のえぐみがきらいなのだろうか。1時間以上もかけて洗っていたから、それだけで疲れてしまった。ジョギングに行こうかと思っていたけれど、面倒になり、家に残っていたワインを飲ん . . . 本文を読む

医科歯科へ(3)

2018年11月14日 | 出版
無事会社に着き、メールチェックを終えてから、某句集の再校ゲラの付け合せ校正を終えて、それを某所に宅急便で送っておく。この仕事は、現在医科歯科大病院に入院中のN氏からピンチヒッターをお願いされたものだ。それにしても、俳句の漢字って小生には読めないものが多々出てくる。蒲公英なんて可愛いほうで、辛夷なんて出てくると漢和辞書を頼るしかない(これも可愛いほうか)。つまりは、小生の浅学非才を深く感じさせられる . . . 本文を読む

医科歯科へ(2)

2018年11月13日 | 出版
晩飯をあまり食べないようにしてから、どのくらい経ったのだろうか。忘れてしまった。確か、あまり食欲のわかない日が続き、もう若くもないし代謝も落ちているのだからと、夕方以降は酒を飲むだけでメシを食わないようにしたわけである。おかげで調子がかなりよろしい。朝、空腹とともに目覚めるのだから。ある日も、目が覚めると同時に朝食を欲する。膝の痛みはたいしたことはない。これならジョギングで通勤できそうだと考える。 . . . 本文を読む

駒場へ

2018年11月12日 | 出版
フルマラソンでも目指してみようかなあと思い立ったことはすでに述べた。そのため、ジョギング通勤の頻度と週末ジョギングの走行距離を延ばす、その二つを課題とすることにした。小生はひざにオスグートを持っているので、疲労がたまるとひざが痛くなってしまう。そのため、そこそこジョギング通勤している状況でも、隔日で走るようにしていた。しかし、隔日では力がなかなかつきそうにもないので、月火水と会社まで走り、木金と休 . . . 本文を読む

金沢へ(7)

2018年11月01日 | 出版
それにしても話が進まない。といって、別に急ぐ必要もないし、そんなことにこだわることもあるまい。称名寺本堂の右手から裏山に登るルートに入ったところまで述べた。しばらく進めば、いかにも山道の入り口という感じのところがあり、そこから急に坂が険しくなる。鎌倉幕府は、こういう急峻に囲まれた狭い盆地地帯に、なぜ、わざわざ居を定めたのだろうか。 一つは、当時の天皇だ幕府だといっても、さほどの広さを必要としなかっ . . . 本文を読む