風塵社的業務日誌

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神奈川新聞(2014年7月3日)

2014年07月22日 | 出版
弊社刊『「陸軍登戸研究所」を撮る』が、神奈川新聞紙上に紹介が出ていた。消される前に魚拓を残しておこう。(腹巻)

「今こそ、戦争の正体伝え 長編映画『陸軍登戸研究所』監督が再録本」

第2次大戦中、旧日本軍の「秘密戦」を陰で支えた「陸軍登戸研究所」。その実態に迫った長編ドキュメンタリー映画を再録した「『陸軍登戸研究所』を撮る」(風塵社)が、出版された。「人殺しだけが戦争じゃない。文化や生活、学問、青春、恋愛、未来が奪われる」。楠山忠之監督(74)は、この国の在り方が変わろうとしている今こそ、戦争の正体に向き合うべきと訴える。集団的自衛権という「目くらまし」で戦争の扉を開かせないために-。

 〈世が世である。無色無味無臭の『死の灰』に染まりながら、憲法九条を軍事力で『壊憲』しようとする現政権。(中略)陸軍登戸研究所は過ぎた歴史にとどまらなかった、とならないためにも、実相を多くの人に知ってもらいたい〉

 3時間にわたる映画を再録した前書きに、楠山監督はこう記した。集団的自衛権の行使を認め、戦後日本の安全保障政策の大転換に踏み出した安倍政権。楠山監督は「今、『戦争ができる国になる』と言われているが、それは抽象的な危機感。僕は『戦前』だと思っている」。集団的自衛権という「あいまいな言葉」が独り歩きし、戦争の負の側面が覆われているとも。



 映画「陸軍登戸研究所」は、講師を務めていた日本映画学校(現・日本映画大学)の学生数人と取材や撮影を進め、6年以上かけて完成させた。劇場公開にこぎ着けると各方面から反響が。「みんなもっと知りたがっている」(楠山監督)。より多くの人に真実を伝えようと、昨春から出版の準備を始めた。

 映画の中で出演者が交わした会話も可能な限り忠実に再現。新たに加えたのは第10章「スクリーンがつなぐ新証言」だ。上映を機に名乗り出た関係者が、当時の体験や日常を証言した。

 過酷な労働環境を振り返ったのは、終戦直前に旧満州で風船爆弾の材料を煮る作業に従事した女性。「足がやけどで火膨れになり、細ひもでゲートルのようにぐるぐる巻いて痛みをこらえた」。女子挺身(ていしん)隊の一員として東京で紙貼り作業に当たった女性は、空襲のない昼休みに上級生が美しいドイツ歌曲を歌ってくれた思い出を記した。

 取材した関係者6人は完成を待たずに他界した。これまで言えなかった研究所での任務や秘密を映画の中で告白した元所員たちは皆、重荷が取れたような晴れ晴れと明るい表情を浮かべたという。



 「人間に秘密を抱えさせ、市民を有形無形に拘束していく戦争の扉を絶対に開けてはいけない」

 政府が集団的自衛権行使を認める憲法解釈変更を閣議決定した1日、楠山監督はあらためてその思いを強くした。閣議決定後の安倍晋三首相の会見は「集団的自衛権の是非の前に、戦争が何をもたらすのかが語られていない」と映った。

 「どんな大義があっても戦争が始まったら復讐(ふくしゅう)の繰り返し。国家の存亡をかけて政治家は黙っていられなくなり、拡大していく」。70年ほど前の歴史を重ね、危機感が増す。

 戦争で命を落とした人の実相にさらに迫ろうと、旧日本軍をテーマにした次回作に挑む。「誰が戦争を動かし、長引かせ、何のために多くの人が死ぬことになったのかを明らかにしなければ。守るべきもののために相手を殺すことがあってはならない」

 ◆映画「陸軍登戸研究所」 2012年作品。同年の「キネマ旬報」文化映画部門第3位。正式名称「第九陸軍技術研究所」は1937年に「登戸実験場」として現在の川崎市多摩区に設立され、殺人光線や生物・化学兵器の開発、風船爆弾や偽札製造、生体実験を秘密裏に進めていた。それぞれに携わった研究員や作業員、当時の女学生たちの証言を追い続けたドキュメンタリー作品。8月2日には東京・練馬区役所で上映会が開かれる。午後1時と同5時の2回上映。問い合わせは練馬・文化の会の轡田(くつわだ)さん電話03(3948)5129。

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