長らく中断していた下の原稿、ようやく刊行準備に入ることにした。これからまじめに仕事をしなければならない。(腹巻)
肺を刺されて入院したときに、広田さんと一緒に見舞いに来てくれた女性洋子が、その後広田さんの家にも遊びに来るようになった。もしかすると前から来ていたが、俺が知らなかっただけかもしれない。広田さんの前の彼女で、二二歳という。家に出入りしていたので、俺も周りの人もみんな、まだ広田さんの彼 . . . 本文を読む
そもそも広田さんを紹介した弘と広田さんはスポーツジムで知り合いになったとのことで、弘もいい体格をしていたが、広田さんはそれ以上で、ボディビルダーとしても有名で、そのような本や雑誌にも採り上げられるほどであった。広田さんの家には若者が三人ほどいて、弘もたびたび遊びに来ていた。広田さんが体を鍛えているジムは、プロレスラーの力道山のジムで、力道山のところの若いレスラーも広田さんの家に遊びに来ていた。
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周三は三代目の実子だったこともあり、箸家内ではいい立場で育ったが、三代目が亡くなって周三もあまりテキヤ稼業に身が入らず、立場もあまりよくなくなっていき、俺とも段々そりが合わなくなっていったのだ。その関係を見かねた姐さんが、三代目の兄弟分で樋口家というところでがんばってみたらどうだと言ってきてくれた。そして、樋口家の預かりとなった。
箸家の鎬と全然ちがっていて売り物商売ではなく、競輪、競馬、競艇 . . . 本文を読む
家出の上京だったため行く当てもなく、頼れるのは友だちの小田だけであった。小田に働くところを探してくれるように頼み、自分でも歩き回って探したのだが見つからず、初日は野宿した。次の日も当てもなく都内を歩き回っていた。新聞屋、牛乳屋などいろいろと行ったのだが、住民票がないと雇ってもらえないのであった。そんなとき、ふと中華屋の募集の張り紙が目に留まったのであった。ダメだと思いながらも、そのまま飛び込んで . . . 本文を読む
木更津にいる友だちの天野の同級生に文房具屋をやっている近藤というせがれがいたのだが、その近藤が一年後に住み込みで働くこととなった。親父は俺に仕事を任せるとともに入院することとなる。近藤には都内を回ることを任せることとする。自転車で回れる近場は近藤、そして俺がその他すべてを回ることとした。親父に信用され任されたのだから、責任は重大との思いから人一倍にがんばった。
近藤が来て半年も過ぎ、年末近くに . . . 本文を読む
しかし、俺は東京へ行く気持ちで固まっており、考えを変えることはなかった。しかし、母の気持ちを無碍にすることはできず、母を説得することに一ヵ月以上要することになった。
母の気持ちを変えたのは、いま、定時制に行きながらわけのわからぬ勉強をしているのなら、東京で仕事をしながら歌の勉強をしたいとの話をしたからである。以前から母は、俺によく歌を歌えと言っていたし、祭になると歌わされた。そのようなことで、 . . . 本文を読む
中学二、三年ころには、貝渕地区・新田地区グループ、市内グループ、桜井グループなどの不良グループがあり、そのグループの対立争いがよくあり、けんかが絶えないのである。俺も中学に入るころからグループに携わるようになる。そして市内へ行けば市内グループと、また学校へ通う登下校には桜井グループとよくけんかになった。特に桜井グループとは、卒業式の日に請西の寺の境内で大ゲンカとなり、新聞ざたになるほどであった。 . . . 本文を読む
子どもの頃のエピソードや思い出を話すときりがないが、五年生の頃だと思う。木更津の海は遠浅の海になっており、泊めてある船から海へ飛び込む遊びを、低学年のころよくやったのだが、ある日、三つ年上の先輩たちに呼び出され、いきなり殴られ、ヤキを入れられた。
どういうことでヤキを入れられたのかわからず、後日、そいつらに話を聞いたが、そいつらの親の船から海に飛び込んで遊んでいた子どもたちが、船を泥でかなり汚 . . . 本文を読む
話がもどるが、幼少の頃から意地っ張りで向気(むこっき)が強いと母からよく言われていた。小学校三年の頃からガキ大将となり、兄とは性格がちがうとも母によく言われる。兄は父や母に怒られると素直に謝るが、俺は叩かれても謝らないとのこと。兄が要領よく、俺は要領が悪かっただけといまでは思うのだが、母が注意しても、たたいても、言うことを聞かないことから、母が「おまえは〝もらい子〟だから、母さんの言うことを聞かな . . . 本文を読む
帰りの汽車窓から見える風景はとてもひどく、特に東京の焼け野原を見て、そのひどさは子どもだった俺の心にも傷つくほどで、一番の印象に残っているのは不思議と焼け残ったビルと金庫がポツンポツンと残っている風景である。大きな金庫は残る。
終戦後になり、生活は相変わらず苦しく、その頃から闇商売も始めることとなる。闇商売とは、その時代は配給制度となっており、自分たちで作った米、野菜、卵など食料品を直接売った . . . 本文を読む
昭和12年3月10日、父浅吉、母とらの次男として横浜市戸部にて出生。家族は10歳違いの兄和夫の4人家族で、別に俺が生まれる4年前に大正13年生まれの姉が亡くなっているので、3人きょうだいということとなる。父は明治30年生まれの船乗りであり、母は明治34年生まれで父の仕事を手伝う。
船乗りといっても、俗にいう〝だるま船〟で、大きな船と港との往復する仕事であり、仕事がないときは戸部の家で過ごすが、 . . . 本文を読む