風塵社的業務日誌

日本で下から258番目に大きな出版社の日常業務案内(風塵社非公認ブログ)

アナルコ保守主義(12)

2019年09月27日 | 出版
最近、夜に用事が入ることがしばしばで、ついついブログの更新を怠ってしまった。間が空いてしまうと、これまでなにを考えていたのかをほとんど忘れてしまっている。一連の妄想を最初から確認し直すのも面倒なので、ここで話が少し飛んでしまうかもしれないが、どうかお許し願いたい。 ある休日の晩、ほろ酔い気分で近所をウロウロさまよっていた。近くの古本屋の前を通りかかると、店先の100円均一セールの棚にソローの『森の . . . 本文を読む

アナルコ保守主義(11)

2019年09月19日 | 出版
戒律についてもう少し考えてみたい。ここでいう戒律とは、キリスト教なり唐招提寺的なものに限らない。確かに宗教的な要素が濃い用語なのだろうけれど、どっかの村落共同体に代々伝わる掟のようなものと、とりあえずしておこう。マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫、大塚久雄訳)を、あえてここで超バッサリと要約しておけば、プロテスタントは戒律を放棄したがゆえにかえって不安に . . . 本文を読む

アナルコ保守主義(10)

2019年09月18日 | 出版
もう少しアナルコ・キャピタリズムについて考えてみたい。前に、アナキズムに近い概念にリバタリニズムとサンディカリズムとがあるものの、アナキズムとの区分けを小生はよく理解していない旨を述べた。それでも小生の理解としては、リバタリニズムとは自由放任主義とでも訳されるもので、権力に対して否定的ではあり、経済思想としてはアダム・スミスの「神の見えざる手」を楽観視したものといえるという解釈をしたつもりである( . . . 本文を読む

アナルコ保守主義(09)

2019年09月13日 | 出版
テロリズムに親和性の高いアナキズムはあるものの、テロそのものは、権力を握っている側が他者を支配するための手段であったことを述べた。一番最初に記したように、英のバークはジャコバン派のテロが吹き荒れるフランス革命の進行を見て、「だから言わんこっちゃない」と革命そのものを否定したわけである。のちのロシア革命も、中国革命も同じようなコースをたどることになる。そのため、革命なるものを否定したくなる気持ちは、 . . . 本文を読む

アナルコ保守主義(08)

2019年09月10日 | 出版
前回、少しばかり結論を急ぎすぎたか。そこで、そもそもの初心にもどることにする。なぜ保守思想なのかという説明は、一番最初に行ったつもりなので繰り返さない。それよりも、なぜアナキズムかということの方が重要だろう。そして、アナキズムといっても多種多様なイメージがあることは述べたけれども、その保守思想との相性のよさそうなイメージというものがあるのか、どうかという点を考えてみないことには、話の重心をどこに置 . . . 本文を読む

アナルコ保守主義(07)

2019年09月06日 | 出版
前回、全共闘の不倶戴天の敵であった林健太郎と、日本の新左翼との比較でもしようかしら、というところまで話が進んだ。しかし、結論を急ぐつもりもないし、このテーマで結論めいたものにたどりつけるのか自体がはなはだ不明だ。ようやくおのれのなかでは、こういうことなのかなあという像が結ばれつつあるのだけれども、それを文章として記せるのかどうかはわからない。まあいいや、ゆっくりやりましょ、てなもんだ。 また前回、 . . . 本文を読む

アナルコ保守主義(06)

2019年09月05日 | 出版
前回、話がまたヘンな方に向かってしまった。抽象的にすぎるのだけれども、人間社会が自由自治を目指し、その構成員である個々人が自主、自立、自律などを獲得していくためにはどうすればいいのか、ということを考えていたつもりであった。その一つのオルタナティブとしてル・グィンの小説を取り上げてみたものの、そこから、名誉なるものを考えていたら迷走してしまったので話をもどすことにする。 ここで、社会が先か個人が先か . . . 本文を読む

アナルコ保守主義(05)

2019年09月03日 | 出版
更新するのに時間が経ってしまった。ここまで、アナキズムなるものを考えるうえで、コミューン主義ではその内部に権力構造が発生する旨を述べたつもりである。したがって、それでは権力からの解放を訴えるアナキズムなるものにはなりえず、ならば、アナキズムとは永遠の見果てぬ夢なのかと、仮に設定してみたところで話が滞っている。 そこで話が少しそれるけれど、英語でアナキズムと発音するとき、最初の「ア」の字にアクセント . . . 本文を読む