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ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番/ヴェンゲーロフ,ロストロポーヴィチ&LSO

2009年03月01日 21時20分55秒 | クラシック(20世紀~)
 まだまだ続く、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番だが、こちらはマキシム・ヴェンゲーロフのヴァイオリンにロストロポーヴィッチ指揮のロンドン響がバックに陣取っての演奏である。私はこのアルバムを水曜にiTunesショップでダウンロードして購入したため、よく分からないのだが、なんでも1994年のイギリスでレコード・オブ・ザ・イヤーを受賞したものらしいので、有名なアルバムなのかもしれない。ヴェンゲーロフは74年生まれだから、そうなると、当時はまだ20歳だったはずで、先のバティアシュヴィリ、チャン、ハーンなどより、録音の時点では若かったことになるが、20歳でここまでというべきなのか、はたまた20歳だから出来たという方が正解なのかよくわからないけれど、とにかくこの演奏も凄まじいテクニックでこの曲を完璧にねじ伏せている。

 タイプとしては、ピアノでいえばリヒテルとかギレリスとかを思い起こさせるような、鋼鉄のように硬質な響き、完璧のコントールされたコンピュータの如きテクニック、エッジの切り立ったシャープさ、そして豪快なパワー感を持っているだ。聴いていて、なんだか「ソ連の秘密兵器」みたいな古臭い言葉を思い出してしまった(笑)。まぁ、グルジア出身のバティアシュヴィリもそういうところがあるけれど、彼女がもっていた屈託のなさ、オプティミズムのようなものあまりなく、まぁ、男だとせいもあるだろうけれど、もっと鋭角的というか、よりシリアスに一音一音に切り込んでいくようなシャープさが特徴なように思う。
 静かだが絶望感だの苦悩が渦巻く奇数楽章では、とても20歳とは思えない深刻な表情を見せつつも、この曲の持つモダンな現代性のようなものを前面に出した、いく分アブストラクトな演奏をしているように感じた。また動的な奇数楽章でも、ショスタコーヴィチらしい諧謔的なところ、屈折した感情、複雑に絡み合った音楽的要素を白日の下にさらしたような演奏で、ヴァイオリンのテクニックはこれまで聴いたものの中では、多分、一二を争うといってもいい、エグいとしかいいようがない凄みのあるもので、どこを切っても間然とするところがない。

 という訳でこれまたパーフェクトな仕上がりなのだが(この形容ばっか-笑)、この演奏の場合、特筆すべきはロストロの指揮だろうか。オケこそロンドン響ではあるものの、ソリストと指揮はロシア人であり、いわば「おらが国な音楽」な訳で、ことにロストロは作曲家自身とも親交があったほどだから、ソリスト共々本場物といいたいようなところがあるのではないかと思う。とにかくグラマスというか、馬鹿でかい粗野な音のオーケストラが轟音を鳴らし高速駆動しているような風情は(ロンドン響とは思えない重量級な響きがするし)、いかにもショスタを聴いているような充実感あって、やはり本場物は違うと思わせる。
 ちなみにこのアルバムには、ヴァイオリン協奏曲の2番も収録されていて、そちらも先日車の中で一聴してみたのだが、大筋では1番で似たような感じだが、1番に比べると、透明感のようなものが増した仕上がりな反面、ちと盛り上がりに欠けるような気がした。まぁ、これもあとでゆっくりと聴いてみたい。

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