ブラームスはピアノ四重奏曲を3曲書いていて、これは一番最後のもの。ただし、私の読んだ本によれば、双子のような1番と2番よりも早い時期に着手されているらしい。例によってブラームスらしく改訂に改訂を繰り返したせいで完成が遅れ、結局、恩師であるシューマンがライン河に投身自殺を図った1854年2月くらいに一応の完成をみたことと、全編にわたって悲劇的な雰囲気が濃厚なことから、そのあたりの心中を慮って「ヴェルテル四重奏曲」といわれることもあるようだ。私はブラームスのピアノ四重奏曲といえば、シェーンベルクが編曲した第1番しか聴いたことがなかったのだが、しばらく前に封を切ったブリリアントのブラームス室内楽全集に収録されていたファウスト、ジュランナ、ムニエ、ハンのクインテットで演奏した同曲のディスクにこれが併録されていたので、「秋から冬といえばブラームス」ということもあり、最近けっこう頻繁に聴いているところである。
曲は確かに全編に渡って暗い悲劇的なムードが強い。ピアノに導かれて始まる第1楽章の暗い情熱に満ちた雰囲気は、私の知っているブラームスの曲だとかの「悲劇的序曲」に共通するものがあると思う。この楽章はこうしたパセティックな第一主題とほのかな明るさを感じさせる第二主題をいったりきたりしながらテンションを上げていく、まぁ、ブラームスらしいものといえる。
第二楽章はスケルツォ、精力的だがやはり暗鬱な情熱に満ちている。この第3番はどちらかというと管弦楽的な第1番に対して(シェーンベルクが編曲したからそう思えるのかもしれないが)、この3番はピアノ・ソナタの拡大版みたいなところがあると思う。終始ピアノがリードするこの楽章などまさに初期のピアノ・ソナタを思わせる趣があり、ピアノ・ソナタ的であると同時にピアノ協奏曲的でもある。ちなみにこの楽章、スケルツォ主題のまんなかにおかれた副主題への推移する部分の流麗さがとても美しい。
続く第三楽章はブラームス的な抒情が余すところなく発揮された甘美な感傷的、どことなく逡巡するようメランコリーが漂う緩徐楽章となっている。中間部ではピアノと弦が語り合うように進み、やがて感情的な高まりを見せていくが、それもほどなく静まり再び瞑想的に雰囲気に戻っていくあたりの優美な趣はなかなかの味わいがある。第四楽章は再び第一楽章の雰囲気に戻り、暗い情熱に満ちている。最終楽章に相応しくアレグロでかなり精力的に進んでいくが、「暗から明へ」と彼の作品でいえば、ピアノ協奏曲や交響曲の第一番のようには、くっきりと解決しないのも、室内楽という内省的なフォーマット故だろうか....?。
ともあれ、この第三番、聴けば聴くほど味わいのある作品である。最初、聴いた時はとにかく恐ろしく地味で、どの楽章もこれといって決め手に欠く感じがしたものだけれど、やはり聴きこむという作業は大切だ。ブラームスの室内楽はほんの少ししか馴染みがないから、管弦楽の方と違って、これからまだあれやこれやまだ聴くべき作品が沢山残っているかという思うと、ちょっとうれしくなる。
曲は確かに全編に渡って暗い悲劇的なムードが強い。ピアノに導かれて始まる第1楽章の暗い情熱に満ちた雰囲気は、私の知っているブラームスの曲だとかの「悲劇的序曲」に共通するものがあると思う。この楽章はこうしたパセティックな第一主題とほのかな明るさを感じさせる第二主題をいったりきたりしながらテンションを上げていく、まぁ、ブラームスらしいものといえる。
第二楽章はスケルツォ、精力的だがやはり暗鬱な情熱に満ちている。この第3番はどちらかというと管弦楽的な第1番に対して(シェーンベルクが編曲したからそう思えるのかもしれないが)、この3番はピアノ・ソナタの拡大版みたいなところがあると思う。終始ピアノがリードするこの楽章などまさに初期のピアノ・ソナタを思わせる趣があり、ピアノ・ソナタ的であると同時にピアノ協奏曲的でもある。ちなみにこの楽章、スケルツォ主題のまんなかにおかれた副主題への推移する部分の流麗さがとても美しい。
続く第三楽章はブラームス的な抒情が余すところなく発揮された甘美な感傷的、どことなく逡巡するようメランコリーが漂う緩徐楽章となっている。中間部ではピアノと弦が語り合うように進み、やがて感情的な高まりを見せていくが、それもほどなく静まり再び瞑想的に雰囲気に戻っていくあたりの優美な趣はなかなかの味わいがある。第四楽章は再び第一楽章の雰囲気に戻り、暗い情熱に満ちている。最終楽章に相応しくアレグロでかなり精力的に進んでいくが、「暗から明へ」と彼の作品でいえば、ピアノ協奏曲や交響曲の第一番のようには、くっきりと解決しないのも、室内楽という内省的なフォーマット故だろうか....?。
ともあれ、この第三番、聴けば聴くほど味わいのある作品である。最初、聴いた時はとにかく恐ろしく地味で、どの楽章もこれといって決め手に欠く感じがしたものだけれど、やはり聴きこむという作業は大切だ。ブラームスの室内楽はほんの少ししか馴染みがないから、管弦楽の方と違って、これからまだあれやこれやまだ聴くべき作品が沢山残っているかという思うと、ちょっとうれしくなる。
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