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日本作曲家選輯/山田耕筰 vol.2

2007年04月06日 23時01分51秒 | クラシック(20世紀~)
 日本作曲家選輯シリーズの山田耕筰編第2巻です。収められたのは長唄交響曲「鶴亀」、「明治頌歌」、舞踊組曲「マグダラのマリア」の3曲で、前巻が1910年代前半の作品群だったのに比べ、本巻はそれ以降、つまり1910年代中盤から1930年代までの作品となっています(アルバムには新しい順で作品が並んでいますが)。前巻はベートーベンばりの「序曲」、シューベルト風な交響曲、リヒャルト・シュトラウスやスクリャービンを思わせる交響詩と、山田がベルリンでどん欲に学んだであろう、西洋音楽の受容体験をそのまま音楽にしたようなところもありましたが、本巻ではそこから一歩踏み出して、自国の音楽と自分が学んだ西洋音楽とをどう折り合いをつけるかみたいなところに、山田の主眼が移っていることを感じさせる作品がそろっています。

 まず、このアルバムでは一番古い1916年作である舞踊組曲「マグダラのマリア」ですが、これは前巻のふたつの交響詩の延長線といった感じの音楽で、ワーグナー的な情景描写、R.シュトラウス風なオーケストレーションで出来上がっています。ただし、前述の交響詩と同様、やや音に隙間が多く、起伏もなだらかなので、オペラのカラオケのようでもあり、また本当のドラマが始まらないうちに音楽が終わってしまったというか、..みたいなやや食い足りないところもないではないです。まぁ、こういうのは日本的美質というべきなのかもしれませんが....。
 「明治頌歌」(1921年)は、黒船の襲来から大正時代までの日本と西洋文明と対立と和合を綴った交響詩的な作品で、幕末の雅な江戸の風景から黒船の襲来、明治維新の活気、明治天皇崩御、大正デモクラシーと進んでいくようです。これは歴史的絵巻であると同時に、多分山田の個人史でもあるんでしょうね。ちなみにここで初めて(?)オーケストラによる和風な響きが登場し、ようやく山田も西洋音楽の修得を追え、自国の音楽に対峙しはじめたことを感じさせます。ちなみに黒船が襲来しても、闘争の音楽にならないのは、さすが日本人というべきでしょうか。まぁ、実際ドンパチもしなかった訳ですが(笑)。

 歴史はぐっと下って1934年の長唄交響曲「鶴亀」は、純和風な世界に突入しています。なにしろ長唄と西洋の管弦楽の融合ですからね。今、聴いてもけっこう凄い。私は長唄のことなどさっぱりですが、どうやら長唄そのものは既成の作品らしく、それに管弦楽の伴奏をつけたような作曲プロセスだったようです。なので聴こえてくるのはまさに長唄そのもの。管弦楽はオブリガードの一種として長唄にからみついてくるという格好ですかね。まさにジャパン・ミーツ西洋といった響き充満しています。さながらアメリカで作った日本を舞台にした映画の一場面のようです(例えば芸者が三味線を弾いている場面で、別動の映画音楽が流れるみたいな感じ)。しかも音楽そのものは実験的でも前衛でもなんでもなく、極めて音楽的な充実感に溢れてますから、山田の音楽的見識の高さはさすがだったというべきでしょう。しかし、昭和9年という時代に日本では既にこんな音楽まで作ってたいたんですね!。 

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