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シェーンベルク 弦楽四重奏曲第3番/新ウィーン弦楽四重奏団

2009年11月19日 23時14分39秒 | マーラー+新ウィーン
 シェーンベルクの弦楽四重奏曲の第2番をあれこれ書いてから、もう2年が過ぎてしまった。当初は4番まで順繰りに書いていくつもりだったのだけれど、あの時も書いたとおりバルトークとかシェーンベルクの弦楽四重奏曲というのは、中々聴き通すモチベーションが続かず、たいてい途中で頓挫してしまうのだ(笑)。さて、この3番は前作から約20年を経た1927年(昭和2年)に発表されたものである。1927年といえば日本でせは金融大恐慌があり、シェーンベルクが居たドイツではナチスが次第に勢力を拡大していた時期にあたる。要するに第二次世界大戦前夜の不穏な社会情勢だったのである。シェーンベルクはこの時期、既に無調音楽から12音音楽へと音楽の創作スタイルを変えており、この曲もその手法で書かれているようだが、なんというか、1927年という物的にも精神的にも世界中が「不安」に覆い尽くしていた時代の空気を見事なまでに伝える音楽になっていると思う。

 第1楽章はわさわさと蠢くような弦の動きが様々な形に変容し、緊張と弛緩を行き交いつつ、なにやら不安神経症になってしまった人の精神世界を切り取ったような、着地点のない不安な世界を作り出している。第2楽章は虚無的な諦念に満ちた雰囲気だが、ちょっとベルクに近い感じのロマン派的な匂いもする緩徐楽章になっている。第3楽章は第1楽章にけっこう近いムードで進むスケルツォ。まぁ、12音音楽ということで、耳に残る旋律だのモチーフなどは当然ないが、とりあえずスケルツォには聴こえるのはシェーンベルクの音楽の妙というか、さすがに形式だけは温存させていたことがよく分かろうものだ。また、最終楽章はロンドとなっているが、音符が読めず、音感もない私のような人間には、やはりこの曲のテーマを明確に識別するのは至難の業だが、なんとか繰り返しテーマが回帰しているようには聴こえるあたりは、こうした形式を押さえた上で、12音という技法が使っていたことによるのだろう。

 もっとも、戦後の音楽界はこれすらも破壊して、音楽はほぼ完全な音響デザインと化してしまうのだけれど(シェーンベルクは逆に多少先祖返りするのだけれど)、この曲の場合、こういう形式感、楽章ごとの古典的な起伏のようなものを残したことと、そして、発表が1927年だったからなのかどうかはわからないけれど、とにかくこの曲で表現されたやや歪んだ情緒、気分のせいで、曲はかろうじてロマン派の最終ステージの音楽のように聴こえるのかもしれない....などと、理屈はともかく、この曲、不安で気持ち悪いところが、妙に心地よかったりするもので、最近のよく読書や作業にBGMに使っている。

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