Blogout

音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

伊福部昭の芸術4 SF交響ファンタジー/広上&日本PSO

2006年02月11日 17時49分47秒 | クラシック(20世紀~)
 こちらは目下先生の作品ではレコード化、演奏会とも頻繁に演奏される知名度という点では最も高いものといえるでしょう。先生が50~60年代に残した膨大な東宝特撮映画の音楽を接続曲風に構成して、各々十数分程度の3つの組曲にしたものです。特に第1番は現在までおそらく10種類以上の演奏がCD化されているようで、もはや現代日本の人気オーケストラ・ピースといってもいいような作品になっているとすらいえるかもしれません。この曲が初演された83年の頃の先生の作品、特に映画音楽の評価の低さ、不遇さから思えば、隔世の感があります。

 もっとも、この曲に対する先生の想いは、おそらく複雑なものがあったであろうことは想像に難くありません。先生の創作の中心はあくまでも「シンフォニア・タプカーラ」 等の純音楽の分野であって、片手間といっては語弊があるものの、この種の音楽はやはり収入源としてやっていた面が大きかったはずです(とはいえ、先生なりに音楽として筋を通したエピソードには事欠きませんが)。
 そもそも映画音楽はその性格上、本来の創作であれば、当然自分が扱わないであろう感情や心理、風景やシチュエーションといったものが要求されます。先生のような音楽的自我が強固な音楽家の場合、こうした「音楽的枠」は非常に厳しいものがあったはずですが、意外にも先生はモチーフの再使用や自作からの流用なども含めて実に大らかに音楽を作っています。当時はよほどのことがなければ、サウンドトラックがレコード化などされなかった事情もあるかとは思いますが、やはり先生にとってこれらの音楽は「上映中のみに有効な映画のパーツ」というか、ある種「消耗品」として、ある種の割り切りの上で創作されたと思います。だからこそ、これらを他の伊福部作品と並べて、演奏会やアルバムとして公表にするには、抵抗感があったと思うんですね。

 そんな訳で、先生にとってはある種複雑な想いにかられる作品ではあるとしても、この作品はあまりに抗しがたい魅力に溢れています。私のように高度成長期にゴジラ映画をリアル・タイムで体験できた人間にとってはある種のノスタルジーという側面もあるでしょうが、こうして20余年に渡って、演奏され続けられているのは、もはや音楽そのもの魅力があったとしかいいようがありません。
 評論家風にいえば、先生の特撮映画の音楽というのは、伊福部音楽に内在する様々なダイナミズムを極端な形でデフォルメし、それを通俗化、単純化したものといえます。この作品が映画を離れてなおかつ魅力があるのだとすれば、どうもそのあたりに人気の秘密があるのではないかと、ここ10年くらい私は思っているのですが、これはいずれ詳しく書くこともあるでしょう。ともあれ、様々な先生の作品に接しつつも、気がつくとここに戻ってしまうという、私にとってはまさにバイブルのような作品がこれなのであります。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 伊福部昭の芸術3 舞踏音楽... | トップ | 伊福部昭 SF特撮映画音楽の夕... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

クラシック(20世紀~)」カテゴリの最新記事