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PAUL MCCARTNEY / Flaming Pie

2007年10月06日 23時19分02秒 | Beatles
 この2週間、ポールの作品ばかり聴いているのだが、実はここでレビュウした「フラワーズ・イン・ザ・ダート」や「オフ・ザ・グラウンド」より、このアルバムの方が聴く頻度は高い。このアルバムは「オフ・ザ・グラウンド」に続く1997年の作品で、私はほぼリアルタイムに近い時期に購入したものの、一聴して前作、前々作の華やかさ、勢いの良さとあまり対照的な仕上がりに「ずいぶん枯れてしまったな」と思ってしまい、その後ほとんど聴くことがなかったのだ。ところが前述の2枚を新たに購入をしたのをきっかけに、こちらを改めて聴き返してみたところ、「あれ、けっこういいじゃん」となって、繰り返し聴いいくうちに、「うわぁ、これ傑作かも」と思うようになってきたという訳だ。まったく昔は一枚アルバムを購入したら、それこそ骨の髄までしゃぶりつくして、嫌いな音まで好きななったものだけれど、最近はなにしろアルバムを購入し過ぎているのか、一聴してダメだともうそれっきり....という弊害がもろに出たという感じだ。

 さて、このアルバムとにかく地味である。リンゴ・スター、スティーブ・ミラー、ジェフ・リン、ジョージ・マーティンといった錚々たるメンツも顔を出さない訳でもないが、基本的にはポールのワン・マン・レコーディングによる、かつての「マッカートニー」的に制作されたせいか、サウンドはスカスカでひどくこじんまりとまとまってしまっているし、バンド的なノリやグルーブ感もほとんどない。冒頭を飾る「ザ・ソング・ウィー・アー・シンギング」の午睡のようなムード、アイリッシュ・トラッドのような4曲目「サムデイズ」、6曲目「カリコ・スカイズ」や11曲目「リトル・ウィロー」といったアコスティック・ナンバーあたりはひどく内省的な趣が強く、ある種の虚脱感のようなものすら感じさせるのだ(このあたりも「マッカートニー」と共通する雰囲気といえなくもない)。2曲の「ザ・ワールド・トゥナイト」や3曲目の「イフ・ユー・ウォナ」といったロック的作品も同様である。ポールらしい外向的な明るさを持った曲といえば、6曲目の「ヤング・ボーイ」と13曲目の「ビューティフル・ナイト」くらいのものだろう。だが、その地味さが繰り返し聴いていくうちに「効いてくる」のである。

 80年代後半からのポールの創作活動は完全復活、ワールドツアーはどこも超満員とエンターテイナーとしてポールは絶好調だった訳だけれど、いささかそれに疲れてしまっていたところもあるのではないか。またこのアルバムの直前にビートルズの「アンソロジー」の制作が、ポールの心境をどこかどこか内向きで、回顧モードに向かわせたとも考えさせる....ともかく、そんな理由でこのアルバムは前作からうってかわって、内向的で地味な仕上がりになったのだと思う。で、これで音楽も気の抜けたようなものになっては意味がないのだが(かつて私はそう思っていた)、そのあたりはさすがはポールというべきだろう、枯淡の境地といいたいような渋さ滋味あふれる音楽になっているのだ。
 また、おそらくアンソロジーの影響なのだろう、全体がビートルズ的なアンサンブルに先祖返りして、、その音楽はさながら「55歳になったポールによるひとりビートルズ」みたいな趣もあるのは、決して手練手管などではなく、それがその時のポールが本当の欲するものだったのだろう。

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