90年の録音。これまでアシュケナージ、シャイー、レヴィ、シノーポリと「浄夜」をムーディーで滑らかに演奏したものが続いた訳ですが、このオルフェウス室内管はいささか毛色が違います。もちろん、70年代以前の激しい表現主義的な演奏に逆行したものという訳ではなく、これもまた「今どきのさっぱりとした浄夜」には違いないのでしようが、オケが室内管による演奏ということで、そもそもオケの人数が少ないのか、時に弦楽六重奏版を聴いているような気になるくらいに引き締まったタイトでクリアな響きがするのが印象的で、演奏時間も20分代後半と、ある意味メカニカルといいたいくらいにキビキビと進めているのもそうした印象を倍加していると思います。
また、全曲を通じて歌い回しがとてもあっさりしていて、時にデジタル的に割り切ったようなドライな感じになるのも特徴といえるでしょうか。女性的ななよなよしたところをフィーチャーしがちな第2部や、逆にブラームス的な男性美を感じさせる第4部なども、リリースの短いフレージングで、あまりムーディーなところにはこだわらず実にてきぱきと進めていきますし、逆に音響的におもしろい部分ではそのあたりをくまなく表現してますから、いきおいこの曲のロマン派的な香りは後退し、標題音楽というより抽象音楽として時にスポーティーな美しさすら感じさせたりします。このあたりは感触というのは、おそらくこの楽団が「浄夜」を現代音楽の視点から演奏しているせいもあるでしょうし、そもそもこの楽団の特色なのかもしれません(ロッシーニなんかでもそうでしたし)。
ともあれ、そのあたりがこの演奏のおもしろさであり、また食い足りないところでもあります。ちなみに、このアルバムには二つの室内交響曲が収録されているのですが、この楽団の真骨頂は、どちらかといえばこういうハイブリッドな曲の方に発揮されるような気もします。
また、全曲を通じて歌い回しがとてもあっさりしていて、時にデジタル的に割り切ったようなドライな感じになるのも特徴といえるでしょうか。女性的ななよなよしたところをフィーチャーしがちな第2部や、逆にブラームス的な男性美を感じさせる第4部なども、リリースの短いフレージングで、あまりムーディーなところにはこだわらず実にてきぱきと進めていきますし、逆に音響的におもしろい部分ではそのあたりをくまなく表現してますから、いきおいこの曲のロマン派的な香りは後退し、標題音楽というより抽象音楽として時にスポーティーな美しさすら感じさせたりします。このあたりは感触というのは、おそらくこの楽団が「浄夜」を現代音楽の視点から演奏しているせいもあるでしょうし、そもそもこの楽団の特色なのかもしれません(ロッシーニなんかでもそうでしたし)。
ともあれ、そのあたりがこの演奏のおもしろさであり、また食い足りないところでもあります。ちなみに、このアルバムには二つの室内交響曲が収録されているのですが、この楽団の真骨頂は、どちらかといえばこういうハイブリッドな曲の方に発揮されるような気もします。
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