こちらはストコフスキー指揮による弦楽合奏版。オケはストコフスキー交響楽団となっているが、実体はロスアンジェルス・フィルらしく、収録は57年というからステレオ最初期の録音となる。ストコフスキーといえば、大衆受けするブリリアントな演奏という他にも、オリジナルに編曲と見まごうような改変を加えることでも有名だったが、この演奏もシェーンベルクが編曲した弦楽合奏版ではなく、弦楽六重奏のスコアを使った演奏という話をどこがで聞いたことがある。確かにその他の弦楽合奏版を用いた演奏と比べると、どこか違うような気もするのだが、詳しくはよくわからない。
まぁ、ディテールは違いはさておくとして、これまでの弦楽六重奏版と比べると、さすがに弦楽合奏だけあって、シンフォニックでふっくらとした響きが心地良い。弦楽六重奏版、心の機微のようなものを感じさせる弦楽六重奏版が小説的だとすると、弦楽合奏版の色彩感は総天然色の映画的なスケール感があると思う。ただし、ストコフスキーの解釈は少し古くさい大時代的な趣が強すぎる気がしないでもない。この表現主義的な激しさを否応なく含んだ音楽を無理やりウィーン風な優美な音楽にしてしまおうと、例えば昨日例にあげた第1部のウィーン風なヴァイオリン・ソロなどは全面的にフィーチャーする一方、表現主義的な部分になるとやけにテンポを早くして、そそくさと通り過ぎしまおうとする傾向があると思うのだ。
1957年という時代。レコードというメディアに「浄夜」を持ち出してくるストコフスキーの英断は評価するにやぶさかではないが、彼の解釈はあまりに「ワーグナーをベースにした古風なウィーン風な音楽」という側面に傾斜し過ぎてはいまいか。シェーンベルクらしい容赦ない冷徹なところだとか、ブラームスとマーラーの折衷だとか、そういう要素があまり感じられないのが不満に感じてしまうである。なにしろ、昨夜聴いたシェーンベルク弦楽四重奏団の演奏が、そのあたりをあまりといえばあまりなくらい自然に演奏してたものだから、この演奏には古典化を多少焦っているような不自然さを感じてしまったりもするのだ....。
まぁ、ディテールは違いはさておくとして、これまでの弦楽六重奏版と比べると、さすがに弦楽合奏だけあって、シンフォニックでふっくらとした響きが心地良い。弦楽六重奏版、心の機微のようなものを感じさせる弦楽六重奏版が小説的だとすると、弦楽合奏版の色彩感は総天然色の映画的なスケール感があると思う。ただし、ストコフスキーの解釈は少し古くさい大時代的な趣が強すぎる気がしないでもない。この表現主義的な激しさを否応なく含んだ音楽を無理やりウィーン風な優美な音楽にしてしまおうと、例えば昨日例にあげた第1部のウィーン風なヴァイオリン・ソロなどは全面的にフィーチャーする一方、表現主義的な部分になるとやけにテンポを早くして、そそくさと通り過ぎしまおうとする傾向があると思うのだ。
1957年という時代。レコードというメディアに「浄夜」を持ち出してくるストコフスキーの英断は評価するにやぶさかではないが、彼の解釈はあまりに「ワーグナーをベースにした古風なウィーン風な音楽」という側面に傾斜し過ぎてはいまいか。シェーンベルクらしい容赦ない冷徹なところだとか、ブラームスとマーラーの折衷だとか、そういう要素があまり感じられないのが不満に感じてしまうである。なにしろ、昨夜聴いたシェーンベルク弦楽四重奏団の演奏が、そのあたりをあまりといえばあまりなくらい自然に演奏してたものだから、この演奏には古典化を多少焦っているような不自然さを感じてしまったりもするのだ....。
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