Blogout

音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

羅生門(黒澤明 監督作品)

2009年08月22日 23時01分39秒 | MOVIE
 なんだが「黒澤週間」みたいになってきたが(笑)、土曜の夜のリラックスタイムを利用して、さきほど「羅生門」を観てみた。こちらは確か3回目くらいだと思う。ご存じの通り、本作は1951年のヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞したことによって、黒澤の名前が世界に広まったいわば出世作である(ちなみに東宝ではなく、大映の作品である)。タイトルの「羅生門」は、当然芥川の短編小説から来ているが、「羅生門」は全体の額縁程度で、本編は同じく芥川「藪の中」を映画化したものである。

 この作品のおもしろさは、誰もがいうことだが、登場する3人の人物によって異なる視点から、同じ出来事を全く違うものとして回想するという点にある。平たくいえば、登場人物である3人は全て自らが「自分が殺した」旨を裁きの場で告白してしまうので、観ている方は、真相はどうだったのか混乱するという具合である。もっともこれはラストで最初の目撃者がラストで告白する内容で、一応真実らしきものが見えてくるので、原作のような文字通りの「藪の中」的な不条理感はない。

 ただし、その分こちらはほとんど異常なほどに映像的な興奮があり、森の木々から垣間見れる太陽光線だとか、盗賊のレイプ事件を引き起こすきっかけになる「風」の描写、そして問題の「夫をどうして殺したのか」の場面は、三つの真相が映像が語られる訳だけれど、これがどれも非常に緊張感の高い、人間ドラマとして説得力の高い場面になっているのが凄い(しかし、これは全て嘘なのだが)。そして、皮肉なことに最後で語られる真相らしきドラマが一番、醜悪で惨めなものだったりするのは、「人はみな都合いい嘘をつくものだ」という本編のテーマを逆に補強しているようで痛烈である。

 という訳で、この作品毎回おもしろく観ているのだが、物語の語り口でおもしろさを感じるには、ちと文学性が高すぎるような気もするし、かといって、「どん底」とかああいう文学物とも位相が違うしで、どうもイマイチ決定打に欠ける気がしてしまうような気がしないでもない。うーむ、きっとこちらの読みが足りないせいだろうな(笑)。「七人の侍」のように回を重ねるごとに愛着や理解が増していくこともあるので、これも次に観るときはもっと「分かる」かもしれないし....。とりあえず目が覚めるほどに修復されたとかいう評判のブルーレイ・ディスクでも購入して、もう一度観直してみようかな。

 ちなみに出演者では、三船はいつもの野獣のようなキャラクターだが、今回は主演というほどではないし、ちと狂言回しのようにみえなくもない、主演はむしろレイプされる妻の役を演じた京マチ子の方だろう。彼女が黒澤作品に出たのはこれが大映で制作された故のことだろうが、少女のように清純であり、魔女のように狡猾でもある、こんな2面的な魔性の女を好演してる(時にゾクっとくるほど美しい)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする