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DIANA KRALL / Quiet Nights

2009年08月07日 23時26分04秒 | JAZZ
クラウス・オガーマンの編曲、トミー・リピューマのプロデュース(ついでにエンジニアはアル・シュミット)と、かの「ルック・オブ・ラブ」の時の役者が再び勢揃いしたダイアナ・クラールの新作。なにしろ、かの作品ついて私は、 『彼がかかわった「ルック・オブ・ラブ」は、私がこの10年に聴いた様々のアルバムの中では、ベスト3に入る作品だった』 とか 『ジョビンの「イパネマの娘」で作り出した「オーケストラによるボサノバ・サウンド」の最終にして、最高のアルバムとなるんではないだろうか。いや、もう一枚くらいこの趣向でクラールのアルバムをアレンジしてもらいたいとは、切に願ってはいるのだが....。』 などと書いているくらいだから、かの作品の続編になるに違いないであろう本作はまさに待望のアルバムである。で、本作がボサ・ノヴァをメインしたアルバムだから、別に夏本番になるのを待っていた....訳でもないのだが(笑)、先週末ようやく聴くことが出来た。

 この一週間くらい、メインのシステムやWalkman、カーステなどで、ずっと聴き続けているところだが、「ルック・オブ・ラブ」にあった「もーなにもしたくねー」的ゴージャスさ、華やいで垢抜けたムードに比べると、今回はジャケットのポップな印象に相反して、前作「フロム・ディス・モーメント・オン」でも感じたような、仕上がりは決して悪くはないものの、全体に渋味が強く、いささか通好み的な地味さが出た作品になってしまっている。いや、「イパネマの少年(娘)」「ソー・ナイス(サマー・サンバ)」「クワイエット・ナイツ(コルコバード)」といったボサ・ノヴァ・スタンダーズは入っているし、バカラックの「ウォーク・オン・バイ」、ロジャース&ハートの「いつかどこかで」といったスタンダード作品のボサ・ノヴァ化など、オガーマンの作り出す瀟洒だが温度感の低い、貴族的ともいえるオーケストラをバックにゆったりと音楽を展開しているあたり、かの「ルック・オブ・ラブ」的な条件は表向き満たしてはいるのだが....。それなのに、どうもイマイチ突き抜けた感じがせず、どことなく「冴えない」雰囲気を感じてしまうのは、一体どうしてなのだろう?。

 理由はといえば、やはりポップさに欠けているというところかもしれない。ポップさといって悪ければ、どうも作り手の意識がリスナーに向かっていないところがある....といってもいいかもしれない。このあたりはトミー・リピューマと並んでダイアナ・クラール本人が名を連ねているあたりがヒントになるかもしれない。ダイアナ・クラールというの人はどう考えても「アイドル性のあるエンターテイナー」ではなく、「生真面目な音楽主義者」であり、このところ数作では「リスナーに媚びを売るのをほどほどにして、私は芸術性の高い音楽をやるんだ」的なアーティスト・エゴが強まってきてるようだから、本作でもおそらくリピューマが狙ったであろう「ゴージャスで耳当たりの良い、極上なエンターテイメント・ジャズ」に対して、ひょっとすると、かなり抵抗したのではないかと思ったりするのである(というか、御大リピューマも既に十分に大物になってしまったクラールに対して、音楽的な指示をあれこれだすことは、もはや出来ない....みたいなところはあるんだろうし)。

 そんな訳で、ここでの彼女のボーカルはジャズ的な都会性というよりは、敬愛するトム・ウェイツ風なアーシーさに近寄ってみたり(そういえば、ボーカルの録音がいつも違って、かなり近接したオン気味の質感なのも違和感が大きい、キーも下がったかもしれない)、ボサ・ノヴァ・スタンダーズも当たり前に演奏することや、これみよがひけらかすことに出すのに抵抗があったのか、アレンジ的にちとひねりすぎだし、収められたポジションも地味な場所で、せっかくのアルバムなのに目玉やセールスポイントになり損ねているのが残念だ。同様にオガーマンのアレンジも、甘目のメロディックさだとか、ゴージャスでリッチな量感みたいなところを意図的に抑えているような印象を受けるのも、どうもそこにクラールの「私はリスナーに媚びを売りたくない」的な主張を感じてしまうのだ。
コメント
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