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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

スーパー・ギター・トリオ/パッション、グレイス&ファイア

2006年04月16日 17時32分32秒 | JAZZ-Fusion
 ジョン・マクラフリン、アル・ディメオラ、パコ・デルシアによる通称スーパー・ギター・トリオの第2作です。前作がライブであったに対して、こちらはスタジオ作、また前作がある種ジャム風なライブ・セッションであったのに比べると、こちらはマクフリンが全体を仕切り、ある程度3者のコラボレートがきちんとした形で実現したというか、また、前作では「地中海の舞踏」を筆頭にライブらしいエキサイティングがインタープレイが随所に見られた訳ですが、本作ではアレンジにせよ、アンサンブルにせよ、ある程度、収斂され作り込まれた印象が強く、ゴリゴリしたインプロビゼーションというより、緊張感とリラクゼーションがほどよくバランスした仕上がりという気もします。

 収録された曲は、各人が持ち寄った曲が2つづつの計6曲。アルバム冒頭を飾るマクラフリン作の「アスパン」は随所にマクラフリンらしいインド風なリフを取り混ぜつつも、デ・ルシアのフラメンコ調、ディメオラのエキゾチックな風合いなどをバランスよく配置したこのアルバムを象徴するような作品。2曲目の「オリエント・ブルー組曲」はディメオラらしい作品で、エキゾチックで幻想的なムードに始まり、次第に熱っぽいインタープレイへ発展していくあたりの構成がいかにもディオラ風で楽しめます。デ・ルシアの2曲は他の二人の作品とし違って、あまりジャズのテイストを感じさせない。あえていえばモダン・フラメンコみたいな作品といえましょうか。4曲目の「シチア」のホットさなど、ジャズのインプロビゼーションというより、舞踏の熱さという感じです。

 マクラフリン作の5曲目「デビッド」はシャクティの最終作の諸作品を思わせる瞑想的な作品。オーラスに収録されたディメオラ作のタイトル曲は、例のエキゾチックなムードを基調にしつつも、アルバム中もっともエキサイティングな作品で、ギクシャクしたキメの合間に各人の超絶プレイがフィーチャーされてます。
 という訳で、全体に低カロリーな分、夜、酒などをなめつつ聴くには音楽を聴くのを無上の楽しみにしている私には、ライブよりこちらの方がとりだす機会が多いです。録音もかなり優秀なので非クラシック系のアコスティック・ソースのチェックにはけっこう重宝します。
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STEPS AHEAD / Holding Together

2006年04月06日 00時03分54秒 | JAZZ-Fusion
 ステップス・アヘッドってヴィブラフォン奏者、マイク・マエニエリを中心とした通後のみのフュージョン・バンドで、名前は以前から度々聞いてはいたんですが、実は聴くのはこれが初めてです。1999年はヨーロッパでのライブということで、活動が途絶えがちなこのバンドとしては、比較的最近のアルバムということになるんでしょう。メンツはマイニエリの他、ボブ・バーグ、イリアーヌ・エリアス、マーク・ジョンソン、ピーター・アースキンという豪華といえば豪華だし、予定調和といえばまぁ予定調和的といえなくもないメンツです。最盛期はマイケル・ブレッカーとかマイク・スターンも入っていたようですから、それからすればやはりちょいとばかり地味なメンバーなのかもしれません。

 音楽的には典型的な90年代ニューヨーク・フュージョンという感じです。8ビートと複雑なキメを心地よく配置したスポーティーなフュージョンではなく、適宜モダンな4ビートやアウト気味である意味シリアスなインプロも織り交ぜたフュージョンという感じで、ある意味モダン・ジャズ的なフリーブローイング・セッションをフュージョン・スタイルで再現したみたいな趣もあると思います。したがって曲はどれも10分前後の長尺演奏となっていて、ソロ・スペースもふんだんにとってあり、マイニエリ、バーグ、エリアスの伸び伸びとして、時にエキサイティングなソロがたっぷり楽しめるあたりが「売り」となっている仕上がりとなっています。

 それにしても、驚いたのはイリアーヌがシンセは全く弾かずピアノだけで通している点で、ベースがマーク・ジョンソンでドラムがビーター・アースキンということで、彼女のピアノ・トリオ系のソロ・アルバムにかなり近い演奏になっていることですかね。もちろんステップス・アヘッドといえばマイニエリのバンドでしょうから、このアルバムでもテーマはバーグとマイニエリのユニゾンで演奏されることが多いですが、このアルバムに散見するウェザー・リポート的なオプティズムだとか、ピアノ・トリオ的なインタープレイなどを聴くに、このアルバムで彼女は音楽参謀というか、ひょっとするとかなり部分彼女が仕切っているのではないかと思えるほどでした(そういえば1曲目から彼女の曲だし)。
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MCLAUGHLIN & DELUCIA, DIMEOLA/Friday Night in S.F.

2006年03月13日 00時13分08秒 | JAZZ-Fusion
 78年に再びエレクトリック・ギターによるフュージョン路線に舞い戻ったマクラフリンですが、翌年には「Electric Dreams」を発表します。おそらく前作「Electric Guitarist」路線のアルバムと思われるのですが、入手できなかったため、ひとつ飛び越えて、例のアル・ディメオラ、パコ・デルシアとのコラボレーション第1作「Friday Night in San Francisco」を聴いてみました。次作以降はともかく本作についていえば、ディメオラとデルシアのコラボにマクラフリンが参加したという経緯のようですから、必ずしもマクラフリンのソロ・アルバムの文脈で聴くべきアルバムではないのかもしれませんが、ともあれ参加しているのは確かだし、三人揃っている時はセンターに陣取ってますから、まぁ、善しとしましょう(笑)。

 さて、このアルバム聴き物はなんといっても、冒頭に収録された「地中海の舞踏~広い河」ということになるでしょう。左チャンネルのデルシア、右チャンネルにディメオラを配したデュエットで演奏されている訳ですが、エキゾチックなスパニッシュ調の曲をふたりしてなぞりながら、ふたりがありったけのギターのテクニックを披露しつつ、絡み合い、せめぎ合い、かつ触発しあうといったインタープレイの応酬による壮絶な11分間な訳ですが、前半はディメオラ、中盤がデルシア、後半の壮絶なインタープレイの応酬はどこをとっても素晴らしいものですが、とりわけ終盤の3分間は筆舌に尽くしがたいエクサイティングさがあります。まさにジャズ史上の残る至福の11分間といえるでしょう。
 2曲目「黒い森」はマクラフリンとディメオラのデュオ。3曲目「フレボ」はマクラフリンとデルシアのデュオとなります。どちらも「地中海」ほどではありませんが、こちらもかなり高テンションです。お相手をするご両人共にマクラフリンが相手だと、一気にソリッドで硬質なムードになるのは、やはりマハビシュヌ発、シャクティ経由のゴリゴリ感をマクラフリン音楽に持ち込んでいるせいでしょうか。前者は比較的音楽的資質が似通っていたせいなのか、お互いの手の内を読み切った余裕のようなものがあり、随所に披露する遊びも以心伝心という感じ。後者はややリラックスしてますが、よくよく聴くとシタール対フラメンコみたいな異種格闘的テンションがあってこれもなかなか凄まじいものがあります。

 最後の2曲はいわゆるスーパー・ギター・トリオによる演奏です。「幻想組曲」はディメオラの作品でバラエティに富んだ小品を集めたトロピカルな作品で、後半の盛り上がりはさすがですが、三人のバトルというよりはかなり計算されたギター・アンサンブルという感じ。最後の「ガーディアン・エンジェル」はライブでなくスタジオ録音のようで、これは明らかにマクラフリンがシャクティの最後の頃のやったような、比較的リラックスした無国籍アコスティック・サウンドのスーパー・ギター・トリオ版といった趣でしょうか。
 という訳で、マクラフリンの盤歴からすると、ここでまたしてもアコスティック路線へ回帰という感じになるんですかね。なにしろこのメンツでもう一枚作ってしまう訳ですし....。ただ、この時期になってくると、そういう区切りもマクラフリンの中では、かつてほどはっきりと峻別しなくなってきているような感じもしないでもないです。
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RETURN TO FOREVER / Music Magic

2006年03月07日 00時40分30秒 | JAZZ-Fusion
 77年のRTFの最終作(ライブは除く)ですが、これはCBSとの契約上、名義としてRTFを名乗っただけで、基本的には「妖精」、「マイ・スパニッシュ・ハート」に続く、チックのソロ作と考えるべきでしょう。参加メンバーは前作と共通するのはスタンリー・クラークのみ。一応、ジョー・ファレルが復帰していますが、明らかにセッション・ミュージシャンのノリ、ドラムスはゲーリー・ブラウンが新加入、「妖精」のラインでヴォーカルにゲイル・モランが参加してます。後・ブラス・セクションがフィーチャーされるという具合。

 音楽的には、RTF的な音楽主義的なところはかなり後退して、「妖精」でもフィーチャーされたゲイル・モランがより一層露出していますし、ブラスセクションの使い方もかなりポップで、時にリラックスしたAOR&フュージョン的な音楽に急速にじり寄っています。ある意味「フレンズ」風なフュージョン・サウンドへの伏線みたいな趣で捉えると良いのかもしれませんが、この手のフュージョン・サウンドがポップになろうとした時にありがちな陥穽かもしれませんが、ヴォーカルを入れたポップスさとインストゥメンタルが巧く噛み合っていないようなうらみもあります。まぁ、これはこれである種のファンタジックなテーマがあって、それをコンセプト・アルバムとして表現しているのもしれませんが、ちょいとばかりポップ・センスみたいなところに絡め取られてしまっているのが弱点かもしれません。

 そんな訳でRTFとして聴いても、はたまたチックのソロ作として接しても、どうも過渡期という感を免れない作品です。インストゥメンタル・バンドとして聴いた場合、スタンリー・クラークの作った2曲が一番良くで、チック自身の作品についてはいつも溌剌とした奔放さが不発気味では(大作である3,6曲目ではあたり、正直いってヴォーカルがインストのジャマしているとしか思えない)、ちょっと話にならないかな....なんて不遜な印象をもってしまいましたが、ちまたでのこのアルバムは評価は一体どんなものなんでしょうね?。
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JOHN MCLAUGHLIN / Electric Guitarist

2006年02月18日 18時53分17秒 | JAZZ-Fusion
 シャクティとのコラボレーションが続いたマクラフリンが再びエレクトリック・ギターで、マハビシュヌ流のジャズ・ロック/フュージョンに舞い戻った78年の作品。「エレクトリック・ギタリスト」というタイトルは、カッコ良いのか、ダサいのかよくわからないが、マクラフリンの気負いのようなものだけは伝わってくる。また、ソロ名義ということで、参加するメンツは曲毎に豪華な布陣をしいていて、後年の「ブロミス」ほどではないけれど、やはりこのアルバムである種総決算的な音楽を目論んでいたことは確かだと思う。こういうアルバムなので、収録曲をメモっておくことにしたい。

1.New York On My Mind
 ビリー・コブハム、ジェリー・グッドマンに加え、スチュアート・ゴールデンバーグが参加し、新旧マハビシュヌの合体のような布陣による作品....となると、ハイ・テンションなソロの応酬をバリバリしていくようなもの期待してしまうのだが、聴こえてくるのは、78年という時期を反映したかのような、割とAOR風にリラックスしたミディアム・テンポの曲である。ヴァイオリンとギターのユニゾンによるテーマや中間部で披露される各人のソロなどマハビシュヌ以外の何者ではないのだが、ちょっと渋かったかな。

2.Friendship
 こちらはサンタナ・バンドと後期マハビシュヌ・バンドとの合体で演奏される、一連のコラポレーションの延長というか、その結論みたい作品。ふたりが共演すると、妙に説教臭く辛気くさいムードになりがちだったりするだが、ここでは当時のサンタナ・バンドを仕切っていたトム・コスターががんばったのか、音楽的背景を考えなくてもふたりのギタリストの共演作として素直に楽しめるのがいい。

3.Every Tear From Every Eye
 このアルバムでは一番、ニューヨーク・フュージョンっぽいというか、その後のマクラフリンの動向を予告するような作品。これもミディアム・テンポで割りと渋目に進んでいくのだが、ここではやはりデビッド・サンボーンが参加が大きく、彼に触発されたのか、静かだが冷たく燃えるようなマクラフリンのソロを展開していく。

4.Do You Hear The Voices You Left Behind?
 旧B面に移って、最初の曲はチック・コリア、スタンリー・クラーク、チャック・ディジョネットという一際豪華な布陣による作品。早いサンバ風なリズムなのはコリアの参加を意識してのことか?。ともあれこのトロピカルなリズムにのって前半からマクラフリンがソロを全開し、デジョネットも鋭敏に反応、中盤以降に登場するコリアはRTF風なエレピで応酬、後半では各人のソロをフィーチャーした4バース・チェンジが聴き物。

5.Are You The One? Are You The One?
 トニー・ウィリアム、ジャック・ブルースとのトリオ、つまり初期のライフタイムを再現したメンツで演奏される。ここでもかつてのような壮絶さというより、ジャム的にリラックスした感じで旧友の再会を楽しんでいるという感じ。マクラフリンもマイルス時代の頃のようなアブストラクトなフレーズを繰り出している。

6.Phenomenon: Compulsion
 編成がどんどん小さくなっていってこちらはビリー・コブハムとのデュオ。意外にもこれがアルバム中では一番ハイテンションな作品で、マハビシュヌというのはいわばマクラフリンとコブハムがジェネレーターになって、あの壮絶さを生み出していたことがよくわかる作品とでもいったらいいか。

7.My Foolish Heart
 最後はソロでビル・エヴァンスで有名なスタンダード作品を演奏している。今聴けば、これもマクラフリンらしい演奏なのだが、当時としてはこういうジョー・パスやジム・ホールを思わせたりもする、コンザバティブな演奏を彼がやったのはかなり意外だったのではないか。

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CHICK COREA / The Leprechaun

2006年02月13日 00時08分11秒 | JAZZ-Fusion
 RTFの「浪漫の騎士」と同年に発表されたソロ名義の作品です。この年のチックは非常に多作で、ソロ名義としては他に2枚組の大作「マイ・スパニッシュ・ハート」、ついでにジャレットやハンコックと共演したライブも出していますから、まさに四面楚歌の活躍振りといったところだったのでしょう。音楽面ではRTFのバンドとしてやるべきことにそろそろ限界を感じ、ソロに新たな活路を見いだしたというところだったのかもしれません。

 アルバム冒頭は、シンセ多重による「インプス・ウェルカム」という曲。チックは楽器オタクみたいなところがあって、新しい楽器が出るとそれにインスパイアされて、それ向きな楽曲をつくるみたいなところなきにしもあらずでしたけど(80年代はヤマハのDXにどっぷりでした、この時期だとミニ・ムーグやアープ・オデュッセイといったところでしょうか)、この曲も飛び道具で遊んでみた1曲というところなんでしょう。

 ただし、それ以降の曲はドラムスにスティーブ・ガッド、ベースがアンソニー・ジャクソン(もしくはエディ・ゴメス)というピアノ・トリオをベースに、ゲイル・モランのヴォーカルとチック自らのシンセを随所にフィーチャーした、割とアコスティック色が強い音楽になっています。誤解を恐れずにいえば、RTFの第2作「ライト・アズ・ア・フェザー」あたりでいったん棚上げしていた音楽を再び発展させたとみることも可能で、2曲目「レノーレ」で、ゆったりとしたサウンドにのって、スペイシーなシンセ・ソロが登場したり、3曲目の「夢想」,4曲目「世界を見つめて」で、女性ヴォーカルが現れるあたりは、RTF初期の浮遊感を思い起こさせずにはいられません(エレピがアコピに替わったということはありますけど....)。

 一方、5曲目の「夜の精」では同時期のRTFと共通する複雑なキメや変拍子を多用したゴリゴリ感の強いハードな作品ですし、6曲目「ソフト・アンド・ジェントル」にはバルトーク風なストリングスが聴こえてきたりもします。また「ピキシランド・ラグ」もどちらかといえばバルトークや新古典派を思わせるシニカルなユーモアを感じさせる作品で、前記のRTFの延長線では語れない要素も散見するのも事実。アルバムのコンセプトとしては、そこまでに鏤められた音楽的ファクターをオーラスの大作「妖精の夢」で、一気に全て統合してしまおうと意図しているようですが、どうもこれまで提示された音楽にヴァリエーションがありすぎて、まとめあぐねているような印象もあります。

 そんな訳で、このアルバム、少しばかりとっ散らかってまとまりがないと感じてしまいました。部分的にはきれいだったり、カッコ良かったりする訳ですが、いかんせん、このアルバムでメインに出したいであろう「妖精」という幻想的なコンセプトには収まりきらなかったという気がするんですが、どうでしょう?。
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リターン・トゥ・フォーエバー/浪漫の騎士

2006年02月01日 00時54分36秒 | JAZZ-Fusion
 レーベルをCBSに鞍替えして76年発表された第6作。メンバーは前作と同様の黄金時代のRTFのメンバーです。前作ではポップなファンキーっぽさが特徴でしたが、本作ではネヴィル・ポーターという人が作ったジャケにも記載されている中世風な詩がモチーフになっているようで、いわばジャズの分野では珍しいコンセプト・アルバム。そうした制作経緯があったせいかどうか、音楽的にもドラマティックでスケールが大きく大作指向が強い仕上がりになっています。また、一方で音楽主義的な技術指向という点でもRTF史上最高のテクニカルさがあるのも特徴でしょう。例によって収録曲を軽くさらってみたいと思います。

 アルバムはコリア作の「中世序曲」からスタート、木管楽器を模したようなシンセ・サウンドが中世的なファンタジーを醸し出す部分と、いつも通りのゴリゴリのRTFサウンドが交錯するあたりがおもしろいところ。
 「女魔術師」はホワイト作の凝りに凝ったファンキー・ナンバーで、どちらかといえばディメオラをフィーチャーしている感じ、コリアはシンセとエレピでバックに回りカラフルさを演出。エレピはRTFというより、「フレンズ」あたりと共通するポップなフュージョン色が強くなっているあたりや後半アコピのソロというあたりに、コリアの変貌を感じさせたりします。
 タイトル曲はもちろんコリアの作品ですが、アコスティック楽器のみで構成された幻想的なサウンドで、ある意味、70年代後半のフュージョンによく出てきた無国籍アコスティック・サウンドの応用編のような曲といえるかもしれません。10分という長丁場ですが、真ん中のディメオラ、続くコリアのソロあたりから、にわかにバンド全体のテンションが高まり、ドラマチックな展開になっていくあたりは聴き物です。

 旧B面移るとディメオラ作の「荘厳な舞踏」から始まりますが、これはディメオラらしい8ビートがベースになったロック・サウンド。弾きまくりげんギターと、それを押しとどめるようなコリアのシンセが交互に登場するあたりがミソですかね。ただ、ちょいとばかりテクニカルな遊びに堕してしまったようなところもないでもないですが....。
 クラークの「手品師」はゴリゴリの変則リフでもって組み立てられためちゃくちゃテクニカルな作品で、ここでもコリアのシンセが妙にオーケストラ的サウンド作りをしていますが、ユーモラスで冗談みたいな曲調からしてインターリュード的作品とみるべきでしょう。
 ラストの「道化と暴君の決闘」は「銀河の輝映」のラストに収録された「ソング・トゥ・ザ・ファロア・キングズ」を彷彿とさせるふたつのパートに分かれた大作。全体にバルトークを思わせる作品で、「フォー・カルテッツ」とかエレクトリック・バンドの大作の先駆けともいえなくないでしょう。また、前半はスペイン情緒からちらほらする叙情的なムードの中、各種ソロが展開していく様は名曲「スペイン」を思わせる展開。後半は一点してファンキーなリズムにのってテンションの高いソロ、キメが連打するRTFらしい展開です。
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SHAKTI & JOHN MCLAUGHLIN / Natural Elements

2006年01月30日 01時08分32秒 | JAZZ-Fusion
 マクラフリンとシャクティのコラボレーション第3作(77年)。元々インド音楽のフォーマットにマクラフリンがいかに違和感なくとけ込むかという音楽スタイルで始まったこのシリーズですが、第3作ともなるとマクラフリンも大分要領を掴んだというか、なんだかんだといいながら結局は自分の土俵にシャクティを取り込んでしまったというか(笑)、ともかくマクラフリン流のアコスティック・ミュージックという感じの作品となっています。とりあえず主要な曲をメモっておきましょうか。

 1曲目「Mind Ecology」はホットな8ビートをベースにしたエキサイティング作品で、ギターとヴァイオリンのインタープレイはまさにマハビシュヌのそれ。ついでになにやらビリー・コブハムみたいなフィルインまで聴こえてきたりします。2曲目「Face To Face」は、ほとんどインド音楽とは関係ない70年代後半のフュージョン・フュージョン・ギタリストが良く聴かせたような無国籍アコスティック・サウンドで、ある意味ディ・メオラなんかと共通する感覚ですかね。結局、このあたりがその後のスーパー・ギター・トリオの活動に繋がっていくんでしょう。4曲目の「The Daffodil And The Eagle」は意外にもロード・ムービー風なブルース・ミュージックとシャクティ流インド音楽の融合で、じわじわと盛り上がっていく構成で中盤~後半は激辛。

 5曲目「Happiness Is Being Together」はカリプソ風な作品で途中のコーラスの一瞬ドキッ。6曲目の「Bridge Of Sights」はちょいとダークですが、基本的には2曲目同様な無国籍アコスティック・サウンドということになりましょうか。4曲目と近い感じなのが7曲目の「Get Down An Sruti」、いや、もうちょっとシャクティ本来の音楽性に近いですかね。これは本作全般にわたってえることですが、第1作のような集団即興音楽みたいな側面より、本作では各プレイヤーのソロ・プレイにフォーカスをあて、そのテンションでもって割とストレートに仕上げるみたいな曲が多いですが、ここでは打楽器がメインになフィーチャーされてます。ラストの「Peace Of Mind」はもはやニュー・エイジ風といってもいいような、淡い叙情に彩られた作品。

 という訳で、第3作にしてシャクティをほとんどバック・アップ・ミュージシャンにしてしまったからには、もうマクラフリンとして「やるべきことはやった」という感じだったんでしょうね。この後、マクラフリンはエレクトリック・ギターをもってフュージョンに復帰、ここで聴けるようなアコスティック路線はスーパー・ギター・トリオの方に継承されることになります。
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RETURN TO FOREVER / No Mystery

2005年12月28日 13時54分49秒 | JAZZ-Fusion
 前作と同じメンツによる75年発表の第5作、音楽的は当然前作の延長線上だが、こちらはかなりポップさを増しているように感じる。いや、ポップというよりこのアルバムの場合、ファンキーというべきだろう。アルバムにはコリアはもちろんだが、クラーク、ディ・メオラ、ホワイトとそれぞれのメンバーが持ち込んだおぼしき作品が収録されているけれど、どれもしめしあわせたようにリズム・パターンがファンキーなのである。

 これはどういうことなのかというと、要するに前作でRTFの音楽は完成してしまったということなのだろう。つまり本作はRTF・アラ・ファンキーという応用編なのだ。チック・コリアという人の音楽は往々にしてスタイルの開発、その路線を複雑化したり、ポップ化したりして、しばし展開すると、そのプロジェクトはほどなく終了という道筋をたどることが多いのだけれど、このアルバムはおそらくその「ポップ化」にあたるのではないだろうか。

 ただし、タイトル曲である「ノー・ミステリー」はどちらかといえば、平行して行っていたソロ・プロジェクトに近い感触。オーラスの「セレブレイション組曲」は次作で挑む音楽主義的な大作の伏線であると同時に、にじみ出るやはりスペイン情緒からしてやはりソロ・プロジェクト的作品だ。
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RETURN TO FOREVER / Where Have I Know You Before

2005年12月27日 13時56分54秒 | JAZZ-Fusion
 コナーズに代わってギターがディ・メオラにチェンジしたRTFの74年の第4作、邦題は確か「銀河の輝映」。音楽的にはほぼ前作路線の、ロック的なアグレッシブなパワー感、シャープでスピーディーな展開、ゴリゴリしたテクニカルさが前面に出したもので、1~2作目あたりに濃厚だった浮遊感だとか詩情みたいなものを重視した音楽とはほぼ完璧に決別した内容となっている。

 旧A面は、スタンタリー・クラーク作の名曲「ヴァルカン・ワールズ」とレニー・ホワイト作なる「ザ・シャドウ・オブ・LO」をフィーチャー。前者はとにかくスピード感あふれるめまぐるしい展開とコリアのフリーキーなシンセ・ソロが印象的でこのアルバムを象徴するような仕上がり。後者は様々な要素を取り込んだ複雑な構成、ディ・メオラの俊敏なギターも動き回る。
 一方、旧B面はチック・コリアが仕切ったようで、スペイン情緒とスペイシーなムード、そしてバルトーク的なゴリゴリ感が奇妙混在した曲が並ぶ。オーラスの「ソング・トゥ・ザ・ファロア・キングズ」は序盤にコリアが弾く幾重にもオーバー・ダビングされたシンセ・オーケストレーションとでも呼びたいようなサウンドがフィーチャーされ、中間部以降は複雑なキメを多用しつつ山あり谷ありで展開していく、15分近い大作だ。

 という訳で、きちんと聴いたのは実はこれが初めてなんだけど、総体的な印象としてはディ・メオラが以外と地味ということと「ヴァルカン・ワールズ」でぶっとばしたはいいが、それ以降はどの曲も今一歩決めてに欠く....というところか。
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GRP CHRISTMAS COLLECTION vol.2

2005年12月14日 19時05分49秒 | JAZZ-Fusion
 こちらは前作から2年後に出た続編。前作でGRPのトップ・アーティストのほとんどが登場してしまったせいもあって、こちらは新人、中堅ばかりで高められていて、アレンジもやや穴狙いみたいなところが散見して、いろいろな意味で前作の豪華さには劣るが、とりあえずお気に入りの曲を拾ってみたい。

 パティ・オースティンが歌った「Christmas Time Is Here」はVol.1の「Have Yourself a Merry Little Christmas」と「This Christmas」の次くらいに好きな曲で、インティメートなムードが身上のこの曲にしてはとちオースティンの歌は堂々としすぎている感じがないでもないけど、いかにもGRPらしい豪華さはこれはこれでありと思わせる。また、ラミアというデビュー直後の女性ジャズ・ヴォーカリストが歌った「Blue Christmas」は、なんていうかとろけてしまいそうなくらいムーディーなアレンジとボーカルなので個人的なお気に入り。多分スタンダードなのだろうけど、他の人の演奏聴いたことないな。

 あと、ニュー・ヨーク・ヴォイセズが「I Wonder as I Wander」をジャズ的倦怠感と静謐さをミックスして歌っているのこれまた私好み。ソウル2ソウル風なグランド・ビートとゴスペル風味のクリスマスのミックスした「Let There Be Peace on Earth」もおもしろい。なんかヴォーカル物ばかりだが、インストは前述のとおりやや穴狙いなアレンジなので個人的にはいまひとつ、ネルソン・ランゲールの「Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow!」が楽しかったかな。
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GRP CHRISTMAS COLLECTION vol.1

2005年12月13日 19時04分40秒 | JAZZ-Fusion
 ここ20年近くクリスマスの時期になると街角だけでなく、うちのむさ苦しい部屋からもクリスマス・ミュージックが聴こえてくる。クリスマス・アルバムというのはずいぶん昔からあったように思うけど、やはり数が多くなってきたのはここ十数年くらいじゃないだろうか。毎年一枚か二枚買えば済んでいたクリスマス物が毎年片手で数えられないくらいの数になったのは、やはりバブルの頃からだったと思う。

 そんな数あるクリスマス・アルバムの中でも、個人的に一番聴く頻度の高いのがこのアルバムである。GRPのアーティストがクリスマス・ソングを一曲づつ演奏している訳だけど、顔ぶれの豪華さといい、GRPならでは瀟洒なたたずまいといい、まずはこの手のアルバムの決定盤といってもいい仕上がりだと思う。特に2曲目にラインナップされたトム・スコットによる「Have Yourself a Merry Little Christmas」が素晴らしい。私はこの曲ならどんな演奏でも大抵気にいってしまうくらいコレを偏愛しているのだけれど、そのきっかけとなったのがこの演奏なのだ。トム・スコットの甘く都会的なサックスがもうこれ以上ないくらい存分に歌い、キラキラと輝くようなデジタルシンセとベルの音がクリスマス気分を盛り上げる。とにかくちょっと出来すぎなくらいクリスマスらしい曲であり、演奏なのである。

 ダイアン・シューアが歌う「Christmas Song」もいい、この曲、個人的に前述の「Have Yourself a Merry Little Christmas」と並ぶマイ・フェイバリット・クリスマス・ソンクズで、これまた誰がどう演奏しようと気に入ってしまう。ダイアン・シューアは割と原曲から離れず歌っているが、後半のテンションの高まりは素晴らしく、毎年聴き惚れているところだ。後、教会音楽と4ビートが交錯するデビッド・ベノワの「Carol of the Bells」もいいし、リー・リトナーのシックなアコギが冴える「White Christmas」のムードも極上。オリエンタルなユタカの「This Christmas」なんてところもおもしろいし....という訳で、今年は大分始めるのが遅くなってしまったけれど、クリスマス・ミュージックはやはりこれのアルバムからスタートである。
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BOB JAMES / Heads

2005年12月10日 21時41分54秒 | JAZZ-Fusion
 77年にめでたくCTIを卒業し、CBS傘下に自らが主宰するタッパンジー・レーベルを興しての第1作(通算第5作)。極上のポップ・フュージョン人気アーティストとして名実共にそのキャリアを確立するのは、おそらく次の「タッチダウン」以降であり、このアルバムは丁度それとCTI時代の架け橋のような位置付けのアルバムになるのではないだろうか。ジャケット・デザインの方もここではCTI的な意味不明な重厚さを温存しているのは、まだまだボブ・ジェームスがCTIを抜けきっていないことを感じさせるに充分である。

 収録曲は全部で6曲だが、この中ではボズ・スキャッグスの「We're All Alone」が抜きんでた仕上がりを示していると思う。原曲の良さもあるが、この曲の都会的ムードに、リチャード・ティーによるやや濃い目のゴスペル風な味をあえてプラスした色合いが絶妙だし、中間部でボブ・ジェームスからマイク・マイニエリにスウィッチするソロもジャズ的感興も素晴らしいものだ。またビリー・プレストンの「You Are So Beautiful」もいい。グローバー・ワシントンJRとエリック・ゲイルをフィーチャーしたソウル・ナンバーで、バック・コーラスが絡むあたりのムードは今聴いても極上そのものである。

 オリジナル作品では「Night Crawler」が、バックにうっすらと流れるストリングスや時おり合いの手のように入るブラス・サウンドはCTI時代の残り香のようにものを感じさせる以外は、ほぼ現在にも通じる完璧なるボブ・ジェームス・サウンドだ。アルバム冒頭に収録された「Heads」は前々作のファンキーなリズムをより一層ソフィスティケーションしたような趣だか、少々いじくり過ぎな感もある。ピーター・フランプトンと「I'm In You」とパーセルのアダプテイションである「One Loving Night」は、CTI的なコンセプトだが、少々受けを狙い過ぎたのだろう、ボブ・ジェームスにしてはあざとい仕上がりとなってしまったようだ。
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BOB JAMES / One

2005年12月09日 20時31分24秒 | JAZZ-Fusion
 こちらは74年のデビュー作。既に何度も書いているとおり、このアルバムは当時大ヒットだったデオダードの2番手として企画されたのだと思う。ボブ・ジェームスはこれに前後してCTIはもちろんサラ・ヴォーンの編曲などもやっているから、その器用さを買われていよいよ一枚看板でデビュウといったところでもあったのだろう。クラシックのアダプテイション、ポップ・ソング、オリジナル作品等をゴージャズでシンフォニックなフュージョン・サウンドで展開するというCTI路線をこのアルバムはほぼ忠実になぞっているのだ。

 ただし、現在聴くとやや異質な要素も散見する。1曲目の「Valley Of The Shadows」ては、カオスのような混沌したムードの中でバーバリックな響きが随所に聴こえてくるいわば「ビッチズ・ブリュウ」的な作品だし、「パッハルベルのカノン」を「In The Garden」のニューオリンズ風味や本作のハイライトである「はげ山の一夜」でのダイナミズムというかゴリゴリ感のようなものは、このあとどんどん姿を消していく要素なのである。つまりこのアルバムは、ボブ・ジェームスが本音とは別に「オレはデオダードやドン・セベスキーにもなれる」ことを証明したがっているアルバムのようにも感じたりするのだが、これは勘ぐり過ぎたろうか。

 ともあれ、そんな後年を彼を標準にして聴くと、やや異質な要素が散見するこのアルバムで、これぞボブ・ジェームスといったスムースで上品、かつ知的なアレンジを聴かせるのが「Feel Like Making Love」。どちらかといえばアルバムでは捨て曲のポジションに置かれた曲ではあるが、様々な足枷と圧力があったに違いないこのデビュウ作に、ひっそりのこんな曲を紛れ込ませたあたり、ある意味、このあたりがボブ・ジェームスの本音ではなかったのかと再び勘ぐりたくなってしまうのだ。
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BOB JAMES / BJ4

2005年12月08日 23時44分52秒 | JAZZ-Fusion
 77年発表のCTI第4作。77年といえば一時代を築いたCTIレーベルもそろそろ陰りが見え始めた時期であり、所属アーティストに対するクリード・テイラーの締め付けも緩んでいたいたのか、下世話なゴージャズさが売りだった従来のCTI路線をかなり忠実に敷衍していたこれまでの作品からすると、ボブ・ジェームス自身の音楽嗜好みたいなものがかなり強くなってきている作品だ。

 前作ではCTIの傘下のレーベルとして立ち上げたUDOあたりを意識したのかどうかわからないが、ボブ・ジェームスにしてかなりファンキーな楽曲が多かったが、こちらはある種スムースさな聴きやすさみたいなものを重視したようで、4曲も収められたオリジナル作品では、フュージョンらしい込み入ったリズムや複雑なソロの組み合わせなどを、いかにもボブ・ジェームスらしい耳障りのいい、上品なオブラートに包んでアルバム全体を仕上げているという感じだ。

 ちなみに1曲目と4曲目に収録された非オリジナル作品は、いずれもダイナミックでブリリアントなブラス、華麗なストリングス等をフィーチャーして既成曲をモダンにアレンジしたCTIらしい楽曲といえるが、1,2作あたりに比較するとあまりにソフィスティケーションされてしまい、前述の下世話なゴージャズさと言う点ではちょいと食い足りない感がなくもない。まぁ、そのあたりがボブ・ジェームスの個性だったのだろうが....。
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