UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

聖夜にふさわしからぬ話ですが・・・神の代理人・・・・

2016-12-25 01:10:38 | 日記

昨夜はクリスマス・イヴでありました。

GGIはキリスト教徒ではありませぬ。ですから昨夜はサイレント・ナイトとではありましたが、ホーリーではありませんでした。。

先日、わがマザーが生前長きにわたり世話になっておりました教会の関係者にスーパーで遭遇してしまって「GGIさん、クリスマスイヴには教会にいらっしゃい」などと言われてしまったのですが、慇懃かつ曖昧な答ですませておきました。

というけで昨夜は教会には失礼したのでありますが、今宵は聖夜だなあなどと思っておりましたら、今からほぼ半世紀前に著されたドイツ人の戯曲のことを思い出しました。

戯曲の題名は「神の代理人」、作者はドイツの劇作家ロルフ・ホーホフート氏。

「神の代理人」というのはローマ法皇(正しくは教皇とうのだそうです)あるいはローマ法王庁のことです。その内容はかなり忘れてしまっているのですが、実は10年ほど前に別のブログに荒っぽく書いておりますので、手抜きで以下に引用いたします。

『第二次大戦中、ローマ法王ピウス12世はヒットラーの帝国でホロコーストが進行しているのを知りながら、はやくからナチスの残虐行為を知りながら、なぜか沈黙をきめこみ、ユダヤ人たちを救おうとしなかった

この問題をテーマとしたのがロルフ・ホーホフートの戯曲、「神の代理人」、1963年初演。これは実在の人物、ナチス親衛隊の将校ゲルシュタインの経験を題材にした戯曲。

もとは軍の飲料水の消毒用の薬品であったチクロンBが大量虐殺に用いられているのを知った化学者でドイツ国防軍の軍人であった彼は、実態を確かめるためにナチス親衛隊に入隊、そしてユダヤ人たちを救うために、はじめドイツ国内のプロテスタントの教会に接触するが協力を得られず、ついにカトリックの総本山ローマ法王庁に協力を求めるが、時の法王ピウス12世は動かない・・あしもとのローマからユダヤ人たちが連れ去られても・・・』

(以上はhttp://blog.goo.ne.jp/yossarian/d/20060731より引用)

GGIの記憶では、このナチス親衛隊の将校、最後はユダヤ人たちとともにガス室で殺されるのを覚悟のうえでドイツに帰国します。

この戯曲の翻訳書があることはずいぶん前から知っていたのですが、実際に本で読んだのは15年以上前のことです。県立図書館に出向き、探してもらいましたら、さすが全国に誇るわが湖国の図書館、書庫の奥から出てきました。すっかり古びて表紙は破れていました。、出版社はみすず書房ではなかったかと思います。2004年に大村書店から再刊されているとのこと。

この戯曲、いわばキリスト教界のタブーに触れるもので、今でも忘れさられてはいないようです。ちなみに2006年のいつだったか、ヨハネ・パウロ2世のあとを次いで継いで前年法王になったドイツ出身のベネディクト16世が就任後はじめてあのアウシュビッツを訪問したことが注目をあつめました。

そしてこの日記を書くためにネットであれこれ調べておりましたら、何と今年の7月25日の毎日新聞がこの戯曲の作者であるホーホフーㇳ氏のことを記事にしていました。以下のサイトにも記事が掲載されています

http://mainichi.jp/articles/20160725/ddm/007/030/091000c

この記事によれば作者のホーホフーㇳ氏は健在で今年85歳、「神の代理人であるローマ法王が非難していれば、アウシュビッツ(強制収容所でのユダヤ人虐殺)は終わっていたはずだ、戯曲のメッセージは『なんじ、沈黙するなかれ』という11番目の戒律だ」と語っているそうです。

今日はクリスマスらしからぬ話題で失礼しました。

今日の写真、クリスマスですのでほんとはヒイラギがふさわしいのですが、手抜きでヒイラギさんの代役として、わがガーデンの垣根のナンテンさんを撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

グッドナイト・グッドラック!


みなさん、まずは日本国憲法をしっかり勉強するよう希望します・・・

2016-12-24 01:32:43 | 日記

後期高齢者前期ともなりますと祝日に関係なき惰性の日々でありますが、昨日は天皇誕生日、すなわち旗日でありました。

もう祝日だからと日章旗を掲げている家々を目にすることはほとんどありませんので「旗日」というのも死語に等しくなったなあ、などと愚にもつかぬことを考えておりましたら、朝日新聞の朝刊に天皇の退位問題を扱ったコラムが掲載されているのに気づきました。「天皇退位への提言」という連載記事です。

この記事で、九州大学の名誉教授で憲法学者の横田耕一氏が天皇退位問題の核心を突く発言をしておられました。憲法学者らしく、現憲法に照らして順序立てて退位問題をどう考えるべきなのかを鋭く論じていました。

(この記事は以下のサイトなどにも掲載されています)http://www.asahi.com/articles/DA3S12719319.html

横田氏は初めに「今の天皇は『高齢で被災地訪問などの公的行為ができなくなるから退位したい』という趣旨のことを述べた。しかし、その公的行為は本当に必要だろうか。」と疑問を呈しています。

実はGGIも天皇の上記のような公務(公的行為)は憲法に照らして果たして許されるものであろうかと、横田氏の指摘と似たような疑問を抱いておりました。この点に関して、GGIは今年の8月11日の日記に以下のように記しています

「《日本国憲法第4条:天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する機能を有しない》。この規定は、天皇は国事に関する行為、すなわち憲法に定めのある国事行為以外の行為を行ってはならないということを意味しています、国政に影響を及ぼしたり関連を有する行為を行うことは許されないことを意味しています。ですから厳密に考えるならば、国事行為以外の天皇による行為はこの憲法第4条の規定に触れる可能性があるのではないかというのがGGIの考えです」

(8月11日の日記は下記のサイトに掲載しています)http://blog.goo.ne.jp/ugugggi/d/20160811

横田氏は憲法における天皇のなすべき行為について「天皇のなすべき行為は国事行為しかない。戦前と違い、憲法が天皇に国民統合の能動的役割を求めているわけではないのだから、統合機能を積極的に果たすために天皇が公的行為(注:国事行為以外の公務)を行う必要はない」と明快に指摘したうえで、公的行為が多すぎるなら、不要な公的行為をやめればよいと結論づけています。現憲法の論理的枠踏みに沿った説得力のある説明であるとGGIは思います。

同氏はさらに退位問題に潜む、天皇の役割に関する、重要な本質的問題を以下のように指摘しています。

「戦後、昭和天皇は戦前と同じような意識で内奉(注:首相や閣僚などが政治情勢などについて天皇に説明を行う行為)での政治的見解の表明や国内巡行を行った。国体護持にこだわった日本政府は皇室の継続性を重視して、こうした行為を容認した。国民の側からも、憲法に照らして疑問があるという声はほとんどなかった。その延長線上で、今の天皇の公的行為も、国民は憲法上の疑問をさしはさむことなく受け入れている。憲法上必要のない公的行為を象徴天皇の役割と捉えていることは、戦後の象徴天皇像がいまだ確立していないということではないか」

この指摘には異論もあるかもしれませんが、いまだに「内奉」なるものが行われていることは事実です(いつであったか、田中真紀子氏が、閣僚を務めていたとき、内奉の内容を口外して問題になったことがあります)。また、国民が「憲法上必要のない公的行為を象徴天皇の役割」と捉えていることも多分に事実であろうと考えられます。

横田氏は最後に「(国事行為以外の公務、公的行為は)憲法上必要がないのだから、(国事行為はともかくとして)公的行為ができないことはそもそも退位の理由にならない」と言いきっています。

同氏は「有識者会議は最初に憲法学者を呼び、憲法上の天皇の役割の幅をまず検討すべきであった」としています。戦後の天皇の地位と役割は基本的に憲法に規定されています。したがって退位問題についても憲法を起点にして考えることは自明の理であり、その意味で横田氏のこの指摘は正鵠を得たものであると言うことができます。

しかしながら、憲法なんか邪魔でしょうがないアベ君に、このことを期待するのは無理であったと言うべきでありませうか・・・

今日の写真は退位問題とは何の関係もありませんが、よろしければクリック義他ご覧くださいませ。冬のわが淡海です。琵琶湖が一番美しいのは冬です。

グッドナイト・グッドラック!


甘いかもしれないけれど、《もんじゅ》廃炉決定を率直に歓迎します

2016-12-23 01:34:55 | 日記

みなさんもご存知のように一昨日12月21日の午後、政府は高速増殖炉《もんじゅ》の廃炉を正式に決定しました。

これまで原発関係に限らず国による巨大プロジェクトが途中で中止・撤回されることはほとんどありませんでした。その意味で1兆円を以上費やされてきた《もんじゅ》計画が実質的に失敗であることを認めて政府自らが撤回したことは前代未聞とも言うべき記念すべきできごとであろとGGIは考えます。

新聞報道などによると、廃炉にはさらに4000億円近い費用と30年の歳月が必要とのことですけれども、それでも、GGIは一市民として率直にこのたびの政府による決定を歓迎したいと思います。

これまでも《もんじゅ》を含めた原発に反対する市民の運動が、とりわけ福島原発以後広く進められてきました。このことがこのたびの《もんじゅ》廃炉決定の背景にあることは確かです。しかしながら、このたびの政府による廃炉決定の直接の引き金となったのは昨年11月に原子力規制委員会が文部科学大臣に対して行った勧告です。

《もんじゅ》の安全管理・運営体制などが非常に杜撰であり先行きがまったく不透明なため、原子力規制委員会は昨年11月13日、高速増殖炉「もんじゅ」)について、日本原子力研究開発機構に代わる運営主体を特定するか、できない場合はもんじゅのあり方について抜本的な検討を進めるよう、所管の馳浩文部科学相に勧告を出し、半年をめどに結論を出すよう求めたのです。

すなわち、半年以内に新たな運営主体を決めろ、それができなければ廃炉にしろという勧告です。半年以内のあらたな運営主体を見つけろというのは無理難題とも言うべきです要求であり、事実上不可能の近いものです。

この勧告のことを知ったとき、GGIは、これは今までにない非常に思い切った勧告だけれど、これまでの政府の頑なな姿勢を考えると、果たしてこの勧告が実際に実行に移されるのか、政府筋などいろいろな方面から圧力がかかって腰砕けに終わるかもしれないと、半信半疑であり、韓国の行方をとても懸念していました。

ところが原子力規制委は方針を貫いたのです。政府は電力会社や原子炉メーカーなど関係者に呼びかえてあらたな運営主体を見つけようと一時画策してのですが、もちろん半年で見つかるはずがありません。その結果、このたびの廃炉決定ということになったのです。

そんなこと言っているけれど、政府は《もんじゅ》は廃炉にしても、核燃料サイクル計画を維持するために新たな高速炉開発計画をスタートさせるといっているぞ、ことはそんなに甘くないぞ、とお考えの方もおられるかもしれませんが、GGIはこの《もんんじゅ》廃炉の決定は事実上の核燃料サイクル計画の放棄を意味していると考えます。

12月6日の日記にも書いたのですが、自民党の関係者は堂々とあからさまに《核燃料サイクルをやめれば『パンドラの箱』が開いてしまう。高速炉開発を続ける意思を示す計画は、箱を封印する『お札』のようなものだ》とまで言っているのです。まことに正直です。つまり新たな計画はお札に過ぎない、あてにならないお呪いにすぎないのです。

核燃料サイクルの放棄を国が明言すればパンドラの箱が開き、ドミノ倒しのごとく政府にとって負の連鎖反応が生じるのです。

まず、高速増殖炉で用いるためのプルトニウムが不要になる⇒プルトニウムの回収を目的とした六ヶ所村の再処理工場が不要になる(すでに2兆数千億円が投入されています》⇒使用済み燃料の再処理ができなくなる⇒すでに原発敷地内における使用済み燃料は満杯状態になっているため、使用済み燃料の行き場がなくなる⇒この状態を回避するために、とりあえず状態使用済み燃焼の「中間貯蔵施設」なる施設を原発立地県以外の地域に建設する(関電はすでに計画しつつあります)⇒使用済燃料を再処理して残された核廃棄物を最終処分するという計画が不可能になる、というわけです。

政府が核燃料サイクルの放棄を正式に表明すると、このようなまことに厄介な事態が出現し、これまでの原発政策を根底から見直さなければならなくなるので、いましばし気休めのために「パンドラの箱」が開くのを先延ばしすることにしよう、まったくの机上の空論である新高速炉計画というお札をパンドラの箱につけておくことにしょう・・・

 かようなしだいで、まだまだ紆余曲折があるでしょうけれど、でも、このたび遂に政府を《もんじゅ》廃炉決定に追い込んだ原子力規制委員会は《よくやった!》というのがGGIの偽らざる心境です。「そんな甘いこと言っていてどうするんだ」という声が飛んでくるかもしれませんが、評価に値するものは率直に評価すべきであろうと考え申しげるしだいです。

今日の写真は《もんじゅ》廃炉決定を伝える12月21日の新聞記事を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

グッドナイト・グッドラック!


霧でせうか、靄でせうか、霞でせうか、fogでせうか、mistでせうか・・・

2016-12-22 01:56:01 | 日記

昨夕、知人に会うために外にでましたら一面に霧がかかっていました、かなり濃い霧です、数百メートル彼方のプリンスホテルさん、高層ビルの姿がまったく見えません。

知人たちと忘年会のようなことをしましてから11時過ぎに帰ってきたのですが、依然として街は霧に覆われていました。

わが庵のガーデン、その前の大通り、街頭の光が霧に反射して、ちょっぴり幻想的な光景が出現しておりました

今日の写真は午後11時過ぎの大通りの光景です。よろしければクリックしてご覧くださいませ

ところで霧と靄(もや)と霞(かすみ)はどう違うのでありませうか。どれも似たようなもののように思われるますが気象用語ではちゃんと使い分けられているようです

ネットさんの「霧と靄と霞の違い」というサイトには以下のように記されています

《現象としては「霧」も「靄」も同じものを指すが、気象用語では、視程1km未満の状態を「霧」、視程1km以上10km未満を「靄」と呼ぶ。
つまり、近くのものしか識別できない状態(濃いもの)が「霧」、遠くまで識別できる状態(薄いもの)が「靄」である。
濃い霧は「濃霧」というが、濃霧は視程が陸上で100m以下、海上で500m以下の霧をいう。
「霞」は、気象用語として用いられていない。

また、気象用語での「靄」の定義は、微小な水滴や湿った微粒子で湿度50%以上のものをいい、湿度50%未満の乾いた煙や砂ぼこりなどによって、視程1km以上10km未満となっている状態は「煙霧」という。》

これは以下のサイトより引用しました

http://chigai-allguide.com/%E9%9C%A7%E3%81%A8%E9%9D%84%E3%81%A8%E9%9C%9E/

この定義によりますと、昨夜GGIが目にしたものは霧、あるいは濃霧でありませう。

ところで「霧のロンドンブリッジ」(英語の題名はOn the London Bridge)という英語の歌がありますね。この「霧」は英語の歌詞ではfogとなっているのかと思っていましたらmistと記されていました、mistというのは霧雨の意味だそうであります。

「想い出のサンフランシスコ」という歌では霧はfogと記されています。歌詞にthe morning fog may chill the air・・・とありますから朝霧というところでありませう

グッドナイト・グッドラック!

 


あとはキザたらしく花束でも持っていくことにするかなあ・・・・

2016-12-21 01:17:01 | 日記

先日、某知人から、今年はちょっとまともなクリスマス・パーティをしたい、ついてはイヴではなくクリスマス当日に、上等のワインなどを持参してくれないかとの電話がありました。

この知人、これまでにも少し書きましたが、重病に陥っており、在宅で治療を受けています。日赤のお医者さんと連絡をとりながら、訪問看護を専門とする医療機関の看護婦さんたちとかかりつけの医師である近所の開業医が治療に当たっています。

かようなしだいで昨日、GGIは上等ワインの探索に出かけました。探索と申しましても出かけたのは酒屋さん、近所のGGIが数十年にわたりご用達している創業100年を越した酒屋さんです。お店の主人は40代のほがらかな、まだまだ青年といってもよい人物ですが、ワインにもなかなか通じております

店頭に並べるワインはすべて試飲してみて、さまざまなワインについて、ひとつひとつ味や香りなどの特徴について、自分で簡単な説明書きを付しています

カクカクシカジカ、高校での同級生、最後の晩餐になるかもしれないので云々。医者はワインぐらいは飲んでも大丈夫と言っている、飲み手はこの知人と主治医であるお医者さんも含めて大人6人などと説明しましたら、店主の青年はしばらく店の棚を眺めていてからもうしました

「六人ですか・・・赤でよろしいですね・・・六人だと一本ではたりませんね・・・・二本、同じ銘柄を二本するのも・・・・では、こうしたらどうでしょう。ボージョレ―ヌーボーはまだ熟成していないので誰にも口当たりがよく飲みやすいので、病人の方にも大丈夫でしょう。ですから一本目は今年のボージョレ―ヌーボーにしたらどうでせう、これが今年最高のボージョレ―、おすすめです。もう一本は私が自信を持ってお勧めするしっかりした味のワインです」

ふだんGGIは千円以下の安物ワインしかたしなんでいないのですが、金に糸目をつけてはいけないないときはしっかり糸目をつけないようにしようという殊勝な心得で、店主推薦のワイン二本を買うことにしました、お札一枚でギリギリのお値段でありました。

ワインを飲むならアテがいるようなあ、と申しました、店主の青年曰く

「そうですよねえ、アテが大事です、上等のチーズなんかが一番でしょうけれど、あいにくうちにはチーズはおいていません。西武さんにでも行かれたらいかがですか。ワインの方は瓶が割れたりしないようにしっかり包んでから袋にいれて、あとでお届けしておきますから」

まことにありがたきことであります。そこで、途中でほかの用事を済ませてから、西武さんのなかにある東京は目黒かどこかの高級スーパー?の出店であるスーパーに行ってみました

売り場のどこにチーズがおいてあるのか分からないのでウロウロしていましたら店員さんが丁寧に案内してくれました。でも、品揃えが今一つです、貧弱というか言うか平凡、どこにでもある国産の雪印や明治などのチーズがおいてあるだけ、こんなのではなあ、金に糸目をつけないことにしたのだからもっと上等でないとなあ・・・困ったなあ・・・まあ、しかたがないからあまり期待できないけれど西武さんのお隣の大衆スーパー、マックスバリュさんをのぞいてみることにするか・・・

ところがマックスバリュさんに行きましたら想定外でありました。国産のチーズはもとよりイタリアやフランスなど外国産のチーズが結構ならべられているのです。これは赤ワインに合います、というチーズも売っております。しめしめ、犬も歩けばだ、GGIも歩けばたまにはいいものにぶつかるというわけで数種類の外国産チーズを買い求めました。もちろん結構なお値段でありました。

やれやれ、ワイングラスは誰かが用意すると言っていたから、GGIが用意しなければならないのはこれくらいかなあと思いながら店を出ました携帯のベルがなりました。病気の知人からです。

「おいGGIよ、25日のクリスマス、できればクリスマスソングのCDなんか買ってきてくれないかなあ。いろいろ頼んでばっかりで悪いなあ、でもなあ、25日は今年最後の重賞レース、有馬記念や、電話投票でGGIの馬券も買っておいてやるからなあ、3連単であたったりしたらウン百万円になるかもしれんぞ!」

有馬記念をあてにする元気があるなら、まだ大丈夫とGGIはひと安心いたしました。

次いで知人の願いに応えるべくパルコさんのなかにあるタワーレコードのお店に行きました。若い歌い手さんのCDばかりがわんざか、クリスマスソングのCDを探し出すのに一苦労。ホワイトクリスマスなど往年のアメリカの有名な歌手たちが歌っているCDと讃美歌のCDを買いました。CDは結構なお値段なんかではなく安売りのもののようでありました・・・

お店を出ましたらすっかり日が暮れておりました。まあ、これで用意万端だとは思うけれど、あとはちょっとキザたらしく花束でも持っていくかなあ・・・

今日の写真は病気の知人を囲んでのクリスマスのためにGGIが昨日買い求めた品々です。よろしければクリックしてご覧くださいませ

グッドナイト・グッドラック!