UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

大訂正!あの看板は残されていた!・・・でも・・・官製伝承疑惑・・・

2021-03-02 01:30:52 | 日記
2月28日に掲載しました前回の日記に、福島第一原発がある福島県双葉町の中心部の道路に設けられていた「原子力明るい未来のエネルギー」という標語が記されている大きな看板は、福島原発事故からもうすぐ10年、結局は解体・廃棄されどこかへ密かに捨てられてしまったのではないか、と記しましたが、このGGIの推測は大間違いでありました、結果として大フェイク・・・

と申しますのはこの日記を掲載した翌日すなわち3月1日(昨日)の朝日新聞朝刊に、あの看板は残されているという記事が掲載されていたからです!1日違いでGGIは大ウソつきになってしまいました。まことに遺憾であり、みなさまに陳謝申し上げます・・・

朝日新聞の第二面の「東日本大震災10年:原発事故 教訓どこに / 県建設の伝承館 「負の面見えず」と題された大きな記事です。

「県建設の伝承館」というのは福島県が国の予算53億円を使って建設し昨年9月に開館した「東日本大震災・原子力災害伝承館」のことです。この施設の詳細については同館のホームページンをご覧になってください。3階建てガラス張りのゴーカ建築物です。

この記事の一部に、GGIがウソをついてしまったことになった、あの看板のことが書いてあったのです。その部分、記事の文面をそのまま以下に丸写ししておきます

《事故前、双葉町の中心部には「原子力 明るい未来の エネルギー」の標語の看板があった。町などは安全神話の象徴として伝承館での展示を求めたが、全長16メートルの大きさを理由に写真展示にとどまっていた。
 しかし、県は今年1月、将来的に展示する方針を決定。標語を考えた同町の自営業大沼勇治さん(44)は「看板の保存や展示を求めた活動は無駄ではなかった。声を上げることで変えられた」と話す・・・》

かようなしだいで根性が曲がっているGGIの邪推はまったく誤りでありました。標語を考えた大沼さん、ほんとうに良かったですね。双葉町役場が2015年に廃棄しようとしていた看板、あなたががんばったので捨て去られずに残されていたんですね!GGI、無責任市民を代表して心から敬意と感謝の意を表明いたします。

この記事に看板は全長16メートル(9間弱)とありますね。この長さなら、なんとか、場合によっては斜めに置けばわがガーデンに設置できないこともないことが分りました。大沼さん、福島県が心変わりして、伝承館に展示するのはやっぱりやめたあ、などと言いだしたりしたらGGIにご連絡くださいね、今からでも引き取りますから!!

この3月1日の朝日の記事、全体としてこの「東日本大震災・原子力災害伝承館」なるもの、どうやら「官製伝承」の気配濃厚、果たしてほんとうの「伝承」がなされるのか疑問、というトーンで書かれています。

GGIも、この国費53億円も投入したとされる伝承館、その建物の全景を伝承館のホームページで目にしたとき、最近の美術館などをはじめとした文化施設を連想させるようなスマートなカッコいい大きな建物・・・

これは「箱物」だなあ、典型的な「箱物」、これは見栄えのするリッパな施設(庁舎や文化施設など)を欲しがる自治体の首長さんや政治屋さんによる、中身よりも、どれだけ実際に市民に役立つのかということよりも、なによりも見てくれを誇ることを目的にした、戦後一貫して全国各地で続いてきた、今も続いているゼネコン屋さんを喜ばせる「箱物政治」の典型であると即座に判断しました。またしてもこのGGIの早とちり、邪推でありませうか・・・

さらに邪推いたしますと、この施設、全額国費により建設されたものでありますから、「これだけ豪華な施設を建ててやったんだから、国はやることをやったんだから、今後はとやかくウルサイこと言うなよ、文句なんか垂れるなよ、今後は国のいうことをきけよ」と国が言っているような気がいたします

気がするだけではいけません。そこで記事全体をちゃんと読んでみました。記事の概要は以下のようなものでした
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GGIはまったく知らなかったのですが、東北の太平洋岸に沿って9カ所に東日本大震災に関する主な伝承施設なるものがすでに設けられています。北から順に宮古市、釜石市、陸前高田市、気仙沼市、南三陸町、石巻市、浪江町、双葉町、いわき市に設けられています。GGIは震災から三年後の秋口だったでせうか、知人の車で、盛岡を経て宮古市から順に南下して津波の跡を「見物」したことがあります。一路福島原発を目指したんですが、福島県に入って浪江町まで行ったものの途中で後ろから追いついてきたパトカーにストップさせられてしまいました。その結果、最終目標地、一番重要な目標であった東電福島第一原発がある双葉町に入ることはできませんでした、残念無念・・・

これらの伝承館は双葉町を除いて、他はいずれも東日本大震災・津波被害に関するものであり、そのほとんどが建設費数億円程度(南三陸町の施設だけは17億円)ですが、福島第一原発事故による災害も対象としている伝承館は建設費が53億円と突出している双葉町の施設だけです。

しかし、双葉町は昨春に避難指示が解除されたものの、インフラが未だ整備されていないために人は住めません。伝承館の館内には「復興への挑戦」など五つの展示室があり、また畳二枚ほどのおおきさの福島第一原発の模型も展示されており、事故により破壊された様子が再現されているそうです(どのような展示が行われているかは、詳しくは先に記した伝承館のホームページをご覧ください)

福島第一原発の建設にも携わった、原発の近くに自宅があった、元作業員の栃木信一さん(68)は、いまは自宅の敷地が汚染土の中間貯蔵施設の用地になっていることもあり、展示物について「二度と事故を起こさないため、安全神話を信じ切っていた『負の側面』の展示を」と期待して見学に来たました。栃木さんは、国会の事故調査委員会などが「人災」と指摘したように、津波対策の甘さも教訓の一つであるはずなのですが、展示内容に接して、「事故の教訓はどこにあるのか」と感じたとしています。そして彼は、「伝承館のチラシには《あの日からの経験、みらいへの教訓》とあるのに、館内を巡っても最後まで《教訓》を感じることはできなかった」としています。

展示内容に疑問を感じる人は他にいます。このため福島県知事は「そのような指摘を真摯に受け止め展示内容の見直しを検討する」としています。

展示内容を議論した有識者会議は非公開であり、情報公開された議事録は当初黒塗りだらけ、発言の概要をまとめた文書は公開されたものの録音テープは県により消去されていました。また、原発事故を巡る被災者による集団訴訟などに関しては「裁判が進行中」ということで展示や説明は行われていません。

そのうえ、伝承館の「語り部」の研修では、東電や国を含む「特定の団体を非難しない」よう
求めるマニュアルが配られていました。
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以上が記事の概要ですが、要するに、この伝承施設、記事の内容からわかるように「官製談合」ならぬ「官製伝承」のための施設、国や県が「伝承させたい」と思う事だけを伝承するための施設である疑いが濃厚であることは、展示内容が密室での会議により決定されていること、おまけに「語り部」に政府や事故を起こした東電のことには口を慎めと指示していることからも明らかでありませう。これだけリッパなものを作ってやったのだから、もう過去のことをウジウジ言うな」と原発事故問題や復興問題に一区切りつけてしまおうというのが国の(それに県の?)魂胆ではないではないでせうか・・・

もちろん、福島のたくましい市民は「官製伝承」を傍観しているわけではありません。市民の手で、原発事故の実相を伝えるために、小さな施設ですが、たとえば「原子力災害考証館」や「伝言館」などといった施設をつくり、もっと多様な展示を行おうとしてする動きがあることもこの記事に記されていました。

この双葉町の「伝承館」、そもそもその名称に問題ありです。正式名称は「東日本大震災・原子力災害伝承館」です。「東日本大震災」はどの地震のことを指しているのかを明記した正確な表現ですが、「原子力災害」とは何という不正確であいまいな表現ですか!原子力災害と言うのは一般的には原発の稼働などにともなう様々な大きなトラブルなどを意味する用語であり、福島第一原発の事故を特定する表現ではありません。ですからここでは正確に「福島第一原発事故」と記すべきです。つまり正しい名称は「東日本大震災・福島第一原発事故災害伝承館」とでもすべきなのです。そうであるにもかかわらず「原子力災害」というあいまいな名称を採用したのは、できるだけ、肝心の「福島原発」事故という言葉は使いたくないという、この施設の建設計画を企画し決定した者による不純な動機のせいでありませう。まことに姑息なやり方です・・・・・

また、「原子力 明る未来の エネルギー」という標語を考えた大沼さんに、「看板が伝承館で展示されることになってよかったですね」と申し上げましたが、実はあまり喜んでもいられないのではないかとGGIは思っています。

つまり、本来であればまるで最新の大きな美術館を思わせるようなリッパな「伝承館」という建物の中に展示するより、いままであった場所、すなわち双葉町の中心部に再び設置したほうが正しい展示のやり方ではないかと考えるからです。キレイでリッパな建物中で美術品のごとく展示したのでは、あの看板は単なる過去の遺物と化してしまうのではないかと危惧されるからです。そうではなく、町の中心部に再び設置すれば、人々にとって過去の記憶を呼び覚ます「生きた教訓」となるのではないか、とGGIは思うのです

などなど、今日は前回の日記の訂正とその弁解の為に、新聞記事に頼っただけのダラダラとした長いだけの日記になってしまいました。お許しください。

今日の写真は「東日本大震災・原子力災害伝承館」の建物の完成予想図です。福島県のホームページから借用しました。よろしければクリックしてしかとご覧くださいませ

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!