UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

百均で美術品を売っていた!あるいは「ビー玉」物語・・・

2021-03-08 01:39:50 | 日記
前回の日記で現代美術がどうのこうのと、知ったかぶりのことを書いてしまいましたので、何をエラそうなこと言っているのだと不快感を催された方もおられるのではないかと思います。そうでありまたら、GGIの不徳のなせる業でございます。どうかお許しください。

というわけで今日はもっと素直な美術についての話です

GGIの食糧庫でもある近くの平和堂のスーパさん、最近お店の一角に「百均」すなわち100円ショップのコーナーを設けました。なにやら細々した日常品などを売っております。

先日、どんなものがあるのかなあと、この百均さんをぶらついておりまたら、なんとビー玉とおはじきを売っておりました。いづれも三十個ばかりで百円、税込み百十円でありました。ー玉におはじき、久方ぶりに目をして、おもわずGGIはわがガキの日々にタイムスリップしてしまい、ビー玉クン、おはじきさんを衝動買いしてしまいました

今日の写真は買ったビー玉クンたちを撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ。

買って帰ってから数日後の3月4日、ビー玉クン・おはじきさんをちゃぶ台に置きっぱなしにしてすっかり忘れておりましたら、この日の朝日新聞夕刊にビー玉クンのことが大きく載っておりました!

「おおきに関西:まだまだ勝手に関西遺産」と題されたシリーズものの記事であり、「タマげた きらめく気の名は・・・大阪発祥ビー玉」と題されていました。

物好きの記者さんが「色鮮やかな《ビー玉》。実は大阪発祥らしい。そもそも《ビー》の由来が以前から気になっていて、詳しく調べみた」そうであります。

なかなか良く調べてあります。以下に内容を簡単に申しますと

・広辞苑には、ポルトガル語のガラスを意味す「ビードロ」の略とある。でも昔の新聞を調べても「ビードロ玉」という表現はない。ほんとにそうなのか・・・

・だが、大正時代に朝日に連載されていた夏目漱石の小説「明暗」には「ビー玉」という言葉が登場している。漱石の息子が通学していたミッションである東京の「暁星中学」にはフランス人の教師が多くいて、フランスの遊びを教えてたりしていた。50年ほど前の同窓会誌に「ビー玉、正しくはビィーユ、フランスのこどもたちの遊び」という記載があるので仏語のビィーユが語源ではないか、ただ、使われていたのはガラス玉ではなく彩色した土の玉・・・

ということで仏語が語源らしいけれども、日本でガラス玉のビー玉を初めて製造したのは大阪市の徳永硝子製造所であり、1892年のこと。

現在もビー玉を製造しているのは同じく大阪市の松野工業だけ。同社の松野龍太郎社長での話では「かつて大阪には10社以上のビー玉製造会社があり、特産品の一つだった。だが昭和30年代をピークにビー玉遊び衰退すると、他社は次々と撤退。安い中国産との戦いは厳しいが、いまも1日60万個を製造する。ただ、多くはスプレー缶の中身をかき混ぜる撹拌用で、おもちゃ用はその3分の一ほど」

龍太郎社長さん、ガンバってください!

またKOBEとんぼ玉ミュージアムの宮本恭庸館長さんによれば「ビー玉は英語では《マーブル》。日本では子どものおもちゃですが、海外では米国を中心に美術品の《アートマーブル》として高い人気を誇ります。ガラス玉の中に宇宙を表現したり、花の模様などを入れたり、見る角度や、光の具合でも見え方が違うのでずっと眺めていられます。ここ10年で日本でも人気が高まっている」とのこと

かようなしだいで、GGIは百均で数多くの「美術品」を手に入れたことになるのであります

そういえば「三角出し」というビー玉遊びををガキのころやっていたことを思いだしました。

イギリスではビー玉遊びの技を競う世界大会 The World Marbles Championshipsというものが1932年から行われているそうです

みなさんも、いましばしコロナから離れて、一度ビー玉を手に取って眺めてみてください!

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!

コメント
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