UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

疑惑:結局は、あの歴史的看板、どこかにこっそり捨ててしまったのでは?

2021-02-28 01:22:28 | 日記
2月24日の朝日新聞の夕刊に「なつかいしい」?写真が掲載されていました。今日の写真はこの朝日さんの写真を無断借用したものです。福島第一原発がある福島県双葉町で撮られた写真です

「原発ジプシー」と題された原発労働者の問題についての古典的ともいうべき本(1979年刊行、堀江邦夫)、ジプシーの如く全国の原発を渡り歩き、たえず高線量の放射線を被曝する危険にさらされながらの過酷な労働を強いられている、ピンハネに苦しめられて下請け非正規労働者の実態を現場に潜り込んで描いたドキュメンタリーについての解説記事に付されていた写真です

写真にはつぎのようなキャプションが付されています

「福島県双葉町の中心部で30年近く原発をPRしてきた看板から、福島第一原発事故後の2015年、文字が外された」

実はこの写真とほぼ同じ写真が2015年12月にも掲載されていたことをはっきり記憶したいましたのでGGIにはなつかしかったのです。なぜなつかしかったのか・・・

それはかつてGGI、「原子力明るい未来のエネルギー」と記されていた、双葉町の中心部の道路をまたいで設置されていたこの大きな看板をGGIは入手しようと試みたことがあるからです。

2015年の春ごろであったでせうか、双葉町役場がこの看板を撤去して廃棄することを考えているというニュースが流れました。GGIは、これは歴史的証言ともいうべき看板、かつて日本が全国で原発を積極的に推進していた時代があったことを証明する看板、原発を繁栄の象徴のように思い込んでいた時代があったことの歴史的証言となる看板であるから、このまま残して大切に保存すべきである、この看板を撤去して廃棄することで歴史をごまかすようなことをしてはいけない、と考えました。

そこでGGI、双葉町役場に電話して「解体して廃棄するのならば、捨ててしまうのならば、私に譲ってほしい、タダでとは言わない、解体費用と運搬費はこちらで負担するから」と申し入れました。

看板の大きさがどのくらいなのか、写真からははっきりしないのですが、わが庵のサザンガーデンに無理をすればなんとか収まるぐらいの大きさではないか、そうであれば、この歴史的とも言うべき看板をわがガーデンに設置して、庭の前の大通りを通る人や車に広くご覧いただくことは、まったく意味がないわけでもないであろうと、ささやかな社会貢献であろうと、まことにわれながら殊勝なことを考えたのでした。

このときの経緯は2015年12月22日の日記に詳しく書いておきましたので、関心をお持ちの方はお読みになってください。

双葉町役場がこの看板を撤去・廃棄しようとしたことに対して、2015年を溯ること30年前、役場が原発推進のスローガンを募集した際に、応募して当選し、このスローガンが採用された当時小学生であった(あるいは中学生であった?)人物がまず強く反対しました。過去を誤魔化すような行為に強く反対したのです。この看板の前で、このかつての小学生が「撤去反対」と書いたプラカーを持って、看板の前に一人で立っている写真も掲載されたことがあったと記憶しています。

その他にもいろいろは方々が反対されたようであり、結局、双葉町役場は廃棄することは止め、解体して倉庫などに保管するということになった、とされています。またGGIと同じようなことを考えこの看板を譲ってほしいと申し入れた方も何人かおられたようです

いまから思えば、双葉町役場がこの歴史的看板を廃棄しようとしたころから、福島原発事故の「風化」が始まりだしていたのかもしれません・・・

そして、この2月24日の朝日新聞夕刊の写真を眺めておりましたら、にわかにGGIの心に猜疑心の黒雲がモクモクと湧き起こりました。

あれから5年以上の時を経たいま、福島原発事故が風化がさらに進んでいるいま、福島原発の廃炉工事が困難を極め遅々として進まず先行きまったく不透明、復興も未だならずという状況のなかで、あの看板、歴史的証言であるあの看板、結局は廃棄してしまったのではないか、結局は単なるゴミとしてどこかに人知れず捨て去ってしまったのではないか・・・

でも、GGIのへそ曲がりの猜疑心がどうか杞憂であることを願っております

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

グッドナイト・グッドラック!
コメント
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