UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

今宵は「ナルシスト」ではなく「控えめな素晴らしさ」で・・・

2021-02-02 01:01:08 | 日記
今日もまた、まず写真をクリックしてご覧くださいませ。ただいま我がガーデンに咲いている赤い椿の花を撮ったものです。

昨日の日記では水仙の花言葉であるナルシズムつまり《自己愛》あるいは《うぬぼれ》という厄介な代物についてイイカゲンな話を記しましたが、今夜も花言葉に悩ませられるという物語でございます

椿の花言葉は「控えめな素晴らしさ」「気取らない優美さ」だそうであります。
そして、赤い椿の花言葉は「控えめな素晴らしさ」「謙虚な美徳」であるとされています。

「謙虚な美徳」かあ・・・そやなあ、これはGGIには縁無き話かもしれないなあ・・・自分ではいつも謙虚でいるつもりやけど誰もそうは思っていてくれないようだし・・・でもなあ、ほんまはオレ謙虚な美徳、結構持ち合わせていると思うけどなあ、なあ、そう思わんかぁ?・・・謙虚?GGIよ、おまえ、オツムへんになったのとちゃうか!、「謙虚」なんてお前さんに一番縁なき言葉や、それにおまえさんに「美徳」が備わっているとはとうてい思えんなあ・・・そやなあ、あえて否定はせんけどなあ、美徳かあ、でも、いったいどんなのが美徳なのやあ、美意識というものはひとによってことなるから、美徳というのもひとによってさまざまとちゃうか、それに陰徳、聖徳、悪徳、功徳、道徳、人徳、仁徳なんていうものもあるし・・・いったい「徳」って何や?

「控え目な素晴らしさ」・・・これはGGIに多少関係があるかもしれんなあ、おれ、これまでも控え目生きてきたと言えんこともないからなあ・・・あのなあ、GGIよ、控え目に生きることと日ごろなすところなく徒然に目立たずにダラダラと生きることとは別物や、わかってるかあ・・・わかっているけどなあ、その境目がムズカシイなあ・・

まあ、それはともかく、花は散り際というけどほんまやなあ、地面に散った椿の紅い花びらもきれいやなあ・・・

目を休め心を放ち紅椿 稲畑汀子 (ホトトギス )

(ここまで書いてきて、突然湧いた疑問:
花の散り方からすると、この花、ひょっとしたらサザンカかなあと思ってしまいました。と申しますのは「ツバキの花は、そっくり丸ごとポトリと落ちるのに対し、サザンカの花は花弁がバラバラになってそれぞれ散っていきます」などととネットさんで説明されているからです。この説明からしますと、今日の写真に写っている花びらの散り方、椿ではなくサザンカということになりそうです・・・新八重葎庵建立のとき、サザンカではなく椿を植えてもらったはずだけれど、おかしいなあ・・・と思っていましたら、この説明文、最後に「ただし、ツバキの園芸品種の中には、花弁が分かれて散っていくものもあるので、注意が必要です」とありました。ですから写真の花、やはり椿の花でありませう。)

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!
コメント
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